第39話 相棒の夢

 家族が揃って食事を摂るようになって十日目。リリアナも少し歪な朝食の席に慣れて来た。リリアナは、くまのぬいぐるみを隣の席に置く。いつからか、くまの席の前にも朝食が置かれるようになった。先日、「ぬいぐるみは部屋に置いておきましょう」と進言した侍女に「これはお母様だから、ご飯を一緒に食べたい」と悲しそうに涙を浮かべたのが功を奏している。


 彼らのはからいで、くまのぬいぐるみは今では好待遇を受けていた。


 世界一贅沢なくまであろう。


 エリオットはそのぬいぐるみの待遇に関して、何も言わない。いつも難しそうな顔をして、リリアナとくまを交互に見た後、食事を摂った。聖女の力に読心術はないため、心の内はわからない。


(に、しても今日の夢は懐かしかったな)


 リリアナは、夢を思いだしながら朝食のスープを今日にスプーンですくう。


 時折、リリアナは夢を見る。夢はいつだって前世のことばかりだった。忘れないようにという忠告なのか、リリアナ自身が忘れたくないと思っているのかは分からない。


(ミミック、元気かなぁ)


 おそらく、今日の夢はくまのぬいぐるみを抱いて寝たせいで見たのだろう。聖女にとって親友であり相棒である白イタチのミミックの夢だった。


 正確には白イタチではなく、白イタチの形をした精霊である。聖女が旅の途中で助けた存在だ。白い毛はいつもふわふわしていて、抱きしめると柔らかくて温かい。聖女にとって、ミミックは家族だった。


(私が死んだ日は部屋にいた)


 ミミックも聖女のことが大好きで、いつも側にいる。しかし、人見知りでもあり、聖女以外の人間が部屋に入っているときは必ずどこかに隠れてしまう。それは義姉であってもそうだった。


 幸い、ミミックは人間の食べ物は口にしない。だから、聖女が飲んでしまった毒を間違えて口に含むこともないだろう。


(突然いなくなって、大丈夫かな。考えたら心配になってきた。ミミックにとっては知らない土地だし、私のこと探していたりして……!)


 あり得ない話ではない。『穢れ』で主人を亡くした犬が、主人を探して街を走り回っているという話を耳にしたことがある。ミミックに人間の常識は通用しない。精霊だから、人間の生き死にが理解できるかもわからないのだ。


 リリアナは小さくちぎったパンを、力強く握った。


「おい」


 エリオットに呼ばれ、リリアナの肩がピクリと反応する。考えごとをしていたせいで、大袈裟に驚いてしまった。


 彼は少し嫌そうに顔を歪めたあと、「どうした?」と聞く。リリアナはなぜそんなことを聞かれたのかわからなかった。しかし、エリオットとルーカスの視線が手元に向かっているのを見て、すぐに理解する。


(あちゃー。やっちゃった)


 皿の上には小さくちぎられたパン。鳥の餌にでもするのだろうかというほど細かい。考えごとをすると、つい、手元の物をいじってしまう癖があるようだ。


 手の中には握りつぶされた小さなパン。まるで豆のように硬く丸まっている。愛想笑いを浮かべながら、口に放り込んだ。


 硬い。ぎゅうぎゅうと圧縮されたパンが、生え替わり前の歯と戦っている。


 エリオットはまだ不機嫌な顔をしていた。


(たしかに行儀は悪いけど、そこまで嫌な顔しなくても)


 小さくちぎられたパンを口に運びながら、リリアナは思った。彼の行動や言動を理解するのは難しい。


 冷たい言葉を投げつけてくるかと思えば、こっそりくまのぬいぐるみをプレゼントしたりする。その行動は真逆で、リリアナを困惑させた。


 リリアナとしてはこの複雑な環境はあまり楽しくはない。しかし、エリオットとルーカスが会話をしているのを見ていると、よかったと思う。


「リリアナ。昼間は一人にさせてしまう」


 ルーカスが食事を終えたあとに言った。


「お仕事?」

「ああ、少し出かけなければならない」


 彼の言葉にリリアナは頷いた。仕事で不在にするのは、当たり前だと思っていたからだ。


(あれから毎日昼食も一緒だったけど、仕事大丈夫なのか心配だったのよね)


 一人で食べるご飯はあまり美味しくない。だから、ルーカスが一緒にいてくれることは嬉しいのだが、彼は聖公爵というやんごとなき身分。しかも、五年前とは比べ物にならないほど事業を抱えているとも聞く。そんな中、毎食娘と共にしていて大丈夫なのかと心配は尽きなかった。


 五才の子どもはそんな質問はしないと我慢していたのだが、リリアナに遠慮しているわけではないようで安堵した。


「今日はどこへ行くの?」

「王宮へ」

「王宮……」

「前に行っただろう? 人がたくさんいたところだ」


 ルーカスが丁寧に王宮の説明をはじめた。しかし、勝手知ったる王宮の説明を長々とされても困るため、リリアナは「あそこかぁ!」と大きな声を上げて、頷いた。


「何しに行くの?」

「謁見に」


 彼の言葉は短い。けれど、リリアナはそんな短い言葉にも頷いた。


(謁見ってことは、相手は国王陛下だよね。聖公爵にもなると、色々大変なんだろうな)


 前世では、聖女も何度か国王に会ったことがある。あの仰々しい空間が苦手だった。会って話すと言っても、大した話ではない。手紙でさらっと終わらせてくれたらと何度願ったことか。


 そんな面倒な場所に何度も通わなければならないなど、考えるだけでも恐ろしい。


(ミミックもあの場所は嫌いだったなぁ)


 床は大理石で、真っ白な柱の装飾は金。異世界を思わせる華やかな空間に入ろうとすると、相棒のミミックはいつも慌てて聖女の肩から飛び降りた。


(そうだ。王宮に行けば、ミミックに会えるかも)


 五年も会っていない。その間にミミックが王宮から離れている可能性もある。けれど、もしもまだ独りで聖女の姿を探していたら。


「お父様、私も行きたい!」


 リリアナは叫んだ。

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