第11話 グランツ家

 グランツ家は元々、伯爵家だった。貴族階級の中で特に抜きん出ているものもなく、代々受け継ぐ領地を守りつつ、王宮に出仕しているような中級貴族だ。


 王宮に出仕はしていたが、出世街道まっしぐらというわけではなかった。


 誇れるところがあるとすれば、家族仲が非常によく、一族は皆善良であったということだろうか。


 領民を大切にし、領民もまたグランツ家の面々を慕った。


 代々夫婦仲は良く、子宝にも恵まれた。


 グランツ伯爵家の娘として生まれた自身もまた、家族のことが大好きだ。両親も兄も義姉も甥も。グランツ家の面々にとって、領民も使用人たちも家族のようなものだった。


 優しい主人たちに使用人も領民も優しい。それが、当たり前の世界になっていたのだ。




 リリアナは優しい光に瞼を押し上げる。


 カーテンの隙間から入った太陽がリリアナの頬を撫でていた。


「おはようございます。リリアナお嬢様」

「おはよう」


 一つ欠伸を零す。


 ロフがカーテンを左右に開いた。


 まだふわふわとした頭で、差し出されたグラスを口につける。冷たい水が喉を通った。


「お疲れのようですね」

「なんだか久しぶりに夢を見たの。寝た気がしない」

「もう一度お休みになられますか?」

「ならない。寝てもまた同じ夢を見そうだし」


 久しぶりに見た夢は、昔の思い出だ。まだ自分が伯爵令嬢だったころの楽しい思い出。目が覚めたとき、この優しい世界はもうここにはないのだと思い出して、ため息が漏れた。


「では本日はいかがなさいましょうか」

「そうね……。屋敷の外には出ちゃだめなのよね?」

「ええ、旦那様が使用人全員に屋敷の敷地内からは出してはならないと通達しているようですね」

「なぜかしら?」

「まだ五つですし、心配なのでしょう?」

「一度も会いに来ていない娘を心配するかしら?」

「人間という生き物は心が複雑に作られていますから」

「それはどこの本の受け売り?」

「先日発売した『超読解。人間の心理』でございますね」


 リリアナは「はいはい」と言いながら、ベッドから出た。空になったグラスをロフに渡すと、彼は部屋から出て行く。入れかわりに侍女が今日の服を手に入ってきた。


「もう傷も治っておりますね」


 着替えの前に包帯を解いて傷を確認するのが侍女の日課になっている。もう包帯はいらないと思うのだけれど、大袈裟な彼女はかさぶたになった部分を剥がすとまた血が出て来てしまうからという理由でつけたままだった。


(子どもならいざしらず、私は立派なレディーよ。かさぶたなんか剥がさないのに)


 つい唇を突き出してしまう。


 治りかけは痒い、包帯を巻いていると更に痒い気がして苦手だ。傷程度なら聖女の力で癒やすことも可能なのだが、それをすると怪しまれるので絶対にしない。


 自然の力で治るのをただ静かに待つのみだ。


 愛らしい赤のワンピースを着せられる。侍女はどこか楽しそうに髪を結っていた。


「ねえ」

「なんでございましょう」

「お父様はいつ帰ってくるのかしら?」

「そうでございますね……私にはわかりかねます」

「そうなの? 前はいつ帰ってきたの?」


 髪を結っている途中で振り返ると、侍女は困ったように眉尻を下げた。義姉も下がった眉を更に下げるような人だった。思い出して懐かしむ。


「旦那様はいつもふらりとお帰りになられるので……」

「そうなの。決まった日ではないのね」


(残念)


 もしも決まっているのならば、その日は夜通し見張っていればいいのだ。毎日見張っていたいのだが、五才の体は睡眠の欲求に正直だった。


 深夜にさしかかったあたりで気絶するように眠ってしまうのだ。何度、ロフの手で部屋まで運ばれたことか。


(こうなったら、昼夜逆転生活をするしかないかしら)


 リリアナは腕を組んで考える。


「前のように危険なことはなさらないでくださいね」

「はーい」


 元気よく返事をすればこれ以上咎められないことを知っている。子どもらしく大きな声を出した。


「ロフ様がいらっしゃらなかったら、大怪我をしていたところだったのですよ」


 侍女は説教じみたことを言いながら、三つ編みを施していく。長くて癖のある髪をいつも結ってくれるのは彼女だ。手先が器用なのだろう。


 前世の聖女は少し不器用で、髪は簡単にまとめる程度だった。伯爵令嬢だった際は、特別な時だけ侍女に結ってもらった記憶がある。義姉も髪を結うのが得意だった。エリオットが生まれたとき、「男の子じゃ髪を結わせてもらえない」と言い、聖女の髪を華やかに結い上げていたものだ。


「できました。本日は天気もよろしいみていですし、お庭の花が綺麗に咲いてますよ」

「そうなの? じゃあ、お散歩しなきゃ。ロフを呼んできて」

「はい。お待ちくださいませ」


 リリアナは侍女の背中を見送った。


 平和である。『穢れ』で人々は泣き叫ぶこともない。穏やかな日常が流れていた。けれど、望んでいた平和と全く違う。


(絶対、この状況を打破してやるんだから)


 まずは前世での兄であり、今世の父親、ルーカス・グランツに会うことである。


 リリアナは小さな手をぎゅっと握り、拳を作った。

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