第12話 リリアナの籠城戦
手入れの行き届いた庭は、聖女の母親の趣味だった。リリアナでいうところの祖母にあたる。庭師にまじり、土いじりをしているときの彼女が一番活き活きしているのだと、父親――今でいうところの祖父が言っていた。
庭はその面影を残しながらも変わっていく。「薔薇は棘がね」と言って嫌煙していた薔薇も、今は仲間に加えられているようだ。
前世――聖女となる前のもっと幼いころの記憶を辿りながら、リリアナは庭を歩いた。
リリアナの後にロフが続く。黙っているばかりのリリアナに、彼は何も言わない。
「ねえ、ロフ。今の使用人にとって兄さ――……いえ、お父様はどんな人だって言っているの?」
「皆、一様にして恐ろしい方だとおっしゃっておりますね」
「恐ろしい……ね。想像もできないわ」
リリアナは立ち止まって空を見上げる。高いところで取りが三羽仲良く空を飛んでいた。
「兄様……じゃなかった。お父様はお優しい人なのよ」
前世の聖女にとっては兄で、今は父親だ。人前で呼び間違えないように、今の状況に合わせようとしているのに、まだ前世のころの癖が抜けきれない。
前世は二十五年、こちらは五年。やはり、二十五年の方が比重が重いからだろうか。
前世のころの兄の笑顔を思い出す。
「お父様はお母様のことをとても愛していたわ。結婚する前からずっと、許嫁になる前からよ。それに、妹の聖女にも優しい人だった。怒っているところなんて見たことがないの。いつも穏やかに笑って、何でもそつなくこなす人だった」
恐ろしいという形容詞が一番似合わないとリリアナは思う。
「この五年でお父様が変わった原因があるはず」
「それをお調べになりたいと?」
「ええ」
「どうしてそこまで執着するのですか?」
ロフは首を傾げて言った。
「それは、家族だからよ」
リリアナの答えに傾げる首の角度が深くなる。
「お父様は数日に一度、お屋敷に帰ってくるのよね」
「そのようでございますね」
「お父様が帰って来たら起こしてって言っても、起こしてくれないんでしょう?」
「お嬢様のお体のことを第一に考えるならば、深夜に起こすなどもっての他」
「それも本に書いてあったの?」
「ええ、二十年前に出版された『超絶執事の掟全集』に載っておりました」
満面の笑みを見せる。ロフはこういうとき、とても頑固だ。たった一日深夜に目が覚めたとしても、リリアナの体が悪くなることはない。けれど、「人間の体は弱々しいので」と言って聞かなかった。
(こういうとき、役に立たないんだから)
リリアナは唇を尖らせた。
「なら、最終手段を取るしかないか」
リリアナは呟いた。ロフが目を細めて再度首を傾げる。
侍女は顔色を青くしたまま、リリアナを見下ろした。
「お嬢様、こんなところで眠っては体を悪くしてしまいますわ。お部屋に戻って眠りましょう?」
「いやよ」
「ですが、風邪を引いてしまいますよ」
「大丈夫。少しくらい。それにこの布団は暖かいわ」
「ですが、こんなところ……」
リリアナは、布団を頭から被って隠れた。
こんなところ……というが、言われてもしかたない。リリアナの寝転んだ場所は廊下だっただの。臙脂色の絨毯のは寝転んでみると想像以上に固い。しかし、リリアナは覚悟を決めて体を丸めた。
リリアナが寝床に選んだのは、父親――ルーカス・グランツの寝室の扉の前だ。
ルーカスは使用人たちに「リリアナを屋敷の敷地から出してはならない」とは言いつけていたが、「部屋の外で眠らせてはならない」とは言っていなかったようだ。
数人の使用人に囲まれながら、リリアナは籠城を決め込んだ。
「こんなところで寝なくても、そのうち旦那様も会いに来てくれますから」
「そのうちじゃなくて早く会いたいの」
「旦那様が帰ってきたら、お伝えしますから」
リリアナが布団から目だけを出す。使用人たちは「ようやく納得した」と安堵のため息を漏らした。ただの五才の子どもならば騙されたかもしれない。しかし、リリアナには前世の経験があるのだ。こういうとき、大人は平気で嘘をつく。
「いやよ」
リリアナは強く言うと、また頭まですっぽりと布団を被った。
「お嬢様」
諭すように侍女が言葉をかける。布団越しに肩を撫でられた。
「お願い。放っておいて。ただ、お父様に会いたいの」
小さなため息のあと、布団越しの手の温もりがふと、消えた。
「わかりました。ですが、体調が悪くなりそうだった場合、すぐにお部屋に連れ戻しますからね。あと、その布団だけでは冷えてしまいます。寝具を増やしますから、待っていてください」
布団から顔を出すと、少しだけ困ったように微笑む侍女の顔があった。
「ありがとう」
「いえ、私たちはお嬢様のお体が心配なのです。それは分かってください」
「うん。でも……」
「はい。旦那様にお会いしたいのですよね。早くお会いできるように、私もお祈りしております」
「ありがとう」
侍女は優しくリリアナの頭を撫でた。まるで、母にしてもらっているような優しい感触だ。
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