第8話 お嬢様と魔王
侍女曰く、ロフはずっとこの屋敷に仕えている執事だ。
もちろん、それが嘘であることを知っている。
ロフの手で部屋に連れ戻され、ベッドに寝かされた。侍女が呼んだ医師によって、入念に検査をされたが、手のひらと足の裏の擦り傷以外、問題はないようだ。
「お嬢様、ロフを見つけたからといって、窓から出ようとしてはいけませんよ」
侍女が言う。なんでも、「お嬢様の専属執事であるロフを見つけてつい飛び出してしまった」ことになっているらしい。
聖女は思わず唇を尖らせた。
(いつの間に専属執事になんかなってるのよ)
恐らく、魔王の力なのだろう。認識を操作しているのだ。聖女の力を使えば、その認識は簡単に解けるかもしれない。しかし、そうなったらそうなったで、不都合だった。
部屋から脱走したとなれば、対策が取られてしまう可能性がある。
彼らの認識を解いたところで、今できることはこの男を屋敷から追い出すことのみだ。危険な魔王を外に放り出すよりは側で監視しているほうが安全だと考えた。
(今回はありふれた普通のお嬢様を楽しむつもりだったのに、よりによって魔王が現われるなんて聞いてないよ)
布団で顔を鼻先まで隠す。父親を探し出し、自身の置かれている状況を理解するという小さなミッションを成功させる前に現われた魔王。
その姿を確認するために、ちらりとロフに目をやった。
落ち着いて見てみても、その姿は人間と変わりない。前世で対峙したときは、もっと禍々しいもののように感じた。全身に暗闇を纏ったというよりは、彼自身が暗闇のような恐怖すらあったのだ。
今のロフはというと、人間でいうところの美男であるという以外になんと表現していいかわからない。街を歩けば女性がつい視線を向けてしまうような容姿をしている。
その証拠に、ロフとベッドを挟んで向かいに立つ侍女がずっと頬を赤らめているではないか。
「二人とも、寝るから出て行って」
「お嬢様のロフはお側におりますよ」
聖女の言葉にすかさずロフが返答をする。つっこまずにはいられない言葉を聞いて、布団を頭まで引き上げた。
「……好きにするといいわ」
侍女が楽しそうに笑い、部屋を出る。扉が閉じられる音が響いた。
キシ、と小さく音がなった。その音には覚えがある。ベッドの隣に置いてある椅子に座った時の音だろう。先程医師が座った時にもその音を立てていた。
聖女は布団の中から目だけを出して、口を開く。
「あなたのその力は人体に影響はないの?」
「ロフですよ、お嬢様」
「……ロフのその力には人体に影響はないの?」
名前を力強く発音すると、ロフは嬉しそうに目を細める。
「ええ、ただの認識操作です。誰かの行動を制御するようなものでもありませんよ。彼らは私がずっと前からこの屋敷に仕えていると思い込んでいるだけですから」
「この屋敷の人にあまり変なことしないで」
「ええ」
「なら、とりあえずいいわ。それにしても、どうやって私を見つけたの?」
「聖なる光が私を導いてくれたではないですか」
「聖なる光って……まさか」
「ええ、それは今朝方のことです。私は聖女のことを探して隣国まで足を伸ばしていたときのことでした」
「え? 今朝隣国からここまで来たの!?」
「もちろん」
「もしかしてここは辺境の地とか?」
「いえ、ここは王都ナルフスですよ」
ロフはなにごともなかったかのように言った。聖女は頭を抱える。王都ナルフスは前世で育った街だ。隣国からでも馬車で半月はかかるだろう。それをたった数時間で来たということになる。
彼は規格外の力を持っていた。彼が本気になれば、今の聖女では太刀打ちできないだろう。
聖女はガバリと起き上がり、ロフと向き直った。
「私はね、今世は普通の、極めて普通の令嬢生活を楽しみたいの」
「はい」
「そのためには平和でなければならないのよ」
「ええ、そうですね」
「だから、あなたは……。はいはい、ロフね。ロフは大人しくしてもらわないといけないの」
「大人しくとは具体的にどのように行動したらよろしいでしょうか?」
ロフは極めて冷静に、まるで執事のような態度で聞く。
「そうね……。まずは、暴れない」
「私は無闇に暴れたりしませんから、ご安心ください」
「それから、私に許可なく力を使わない」
「かしこまりました。これからはお嬢様のために全ての力を使いましょう」
「そこまで言うなら、仕方ないわ。執事として側に置いてあげる」
魔王を執事として側に置く令嬢が普通かどうかはさておき、魔王さえ手懐ければ平和は約束されたようなものだ。
聖女はにっこりとわらった。
「そうと決まったら、まずは現状把握をしなきゃ。ロフが知っていることを教えて」
「私が知っていることですか?」
「そう。私は何者?」
「聖女は聖女でしょう?」
「そうじゃなくて、名前とか」
ロフは首を傾げる。
「ここのこと何も知らないの?」
「ええ、先程来たばかりですから」
聖女ははぁ、とため息をこぼした。
「聖女が望めば、屋敷にいるみなを呼び出し知っていることを一人ずつ吐き出させることも可能ですよ」
ロフは立ち上がると、右手を上げた。
「待って待って! ストップ! 危ない力は禁止!」
叫ぶと、彼はキョトンとした顔を向ける。
「ただ、自白させるだけですよ。聖女の知りたい情報を全て聞き出せます」
「だめだめ! 私は普通のお嬢様がしたいの!」
「わかりました。では、いかがいたしましょうか?」
「そうね……」
聖女はホッと胸を撫で下ろした。彼は本当にい聖女の命に従うつもりはあるようだ。少し常識外れではありそうだが、致し方ない。
「他の使用人との雑談で、それとなくこの家の事情と、王都の現状を掴むところからよ」
この小さな体では誰も何も教えてくれない。しかし、使用人同士ならば弾む話もあるはずだ。
「承知いたしました。お嬢様の命とあらば何なりと」
ロフは、片膝をついて頭を垂れた。黒の髪が揺れる。
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