第5話 転生
侍女は大きく目を見開いた。そして、困ったように目を伏せる。それは視線を逸らすような仕草ではあったが、身長差のある子どもからでは大した効果はない。「聞いてくれるな」という言葉を態度で示す彼女を、聖女は真っ直ぐ見つめた。
(その程度で諦めるほど、私はお気楽じゃないのよ)
察しの悪い振りをして、小首を傾げる。
「お母様は、忙しいの?」
「その……」
「それとも私のことが嫌いなの?」
「いえ……」
侍女は眉間に皺を寄せる。逃がさないという気持ちを込めて、彼女の服をぎゅっと握った。観念したように、彼女はゆっくりと息を吐き出す。長い長いため息のような吐息は、少しだけ震えていた。
「奥様は……お母様は事情があって遠くへと行ってしまわれたのです」
床に膝をつき、子どもと視線を合わせる。言って聞かせるように、ゆっくりと彼女の唇は性格に動いた。
その言葉を知っている。昔、まだ幼い甥、エリオットに「お祖母様に会いたい」と言われ、聖女もまた、同じ言葉を口にした。だから、深くは聞かない。聖女は意味が分かっていないふりをして、無邪気に声を出す。
「じゃあ、お父様は? お父様も遠くへ行ってしまったの?」
はやる気持ちを抑えて言った。
「旦那様……いえ、お父様はお忙しくあらせられます。お時間ができたら、会いに来てくださいますよ」
侍女はにこりと笑う。
(もう五年、会いに来ていないのに?)
口が滑りそうになる。それを誤魔化すために、愛想笑いを浮かべた。忙しいにも限度があるというものだ。
侍女が見ている中、まだ不器用な手で食事を摂る。用意されたナイフとフォークは大人が使う物で、うまく持つことはできなかった。なにせ大きい。そして、銀食器は重い。
食事を終えると、侍女は部屋を後にした。彼女の足音が遠のいていくのを聞きながら、小さくため息を吐き出す。
(おそらく、これは、聖女(わたし)じゃない)
心の声を閉じ込めるように、下唇を噛みしめた。
ジッと、鏡の中の自分を見つめる。聖女の力を持った別の人間だ。よく似ているけれど、髪の色が少し違う。
どこかで期待していたのかもしれない。別れも言えずに失った両親との再会を。きゅっと、胸が痛んだ。
(私は聖女の力と記憶を残したまま、転生したと仮定したほうがよさそうね)
聖女の両親は二人とも魔王の穢れによって命を落とした。五才のころはまだ健在だ。今の自身の母は恐らく亡くなり、父親は娘に会いに来ることもせず、仕事に明け暮れているのだろう。
子どもには十二分に広い部屋。毎日栄養たっぷりの食事。子ども部屋にはたくさんの本が並ぶ。丁寧な仕事をする侍女。着る服はどれも生地がよく、仕立ても丁寧だ。想像するに、高位の貴族だろう。
(なるほど、私は死んだのね)
記憶があるものだから、実感がわかない。義姉と話したのがつい数日前のように感じる。
(死んだものは仕方ないよね。どう足掻いても私は生まれ変わってるわけだし)
心残りは兄夫婦の第二子の顔を見ることなく死んだことだ。しかし、生まれ変わりにタイムラグがなければ、家族の姿を見ることも可能だろう。
同じ貴族ならば、会って話すこともできるかもしれない。
(せっかくだし、楽しんじゃいますか)
ニヤリとわらった。
前世の人生の半分は世界平和のために捧げて来たと言っても過言ではない。今世は至って平和な世の中であろう。なにせ、魔王は聖女が倒したのだから。ならば自身の持つ聖女の力は全くもって無意味だ。
(お茶会にダンスパーティ。あと街を散策して……)
全部、前世ではやれなかったことだ。「ああ、暇だ」と嘆きながら紅茶を飲む日々を想像する。なんと甘美な一日だろうか。
一人で部屋をクルクル回ると、そこままの勢いでベッドに飛び込んだ。
柔らかな布団が身体を包み込む。
「まずは、私が何者かってことよね」
まだ、自身が何者かわかっていない。普通の五才の子どもなら、気にすることではないのかもしれない。世話をしてくれる人がいて、衣食住には困らないのだから。
「でも! 名前も知らないなんてやっぱり変!」
侍女はいつも「お嬢様」と呼ぶ。一度も名前を呼ばれたことはなかった。いつまでも名無しではかっこうがつかないというもの。
しかし、侍女はあまり多くを語らない。この部屋に並ぶ本は言葉と計算が学べる本と子ども用の童話ばかり。歴史を綴る本すらない。外部との関係を徹底的に排除された世界だった。
「よし、こうなったら、何はともあれ、行動あるのみよ」
ベッドから飛び降りると、部屋をぐるりと見回す。出入り口は外から鍵が締められており、こちら側からでは開かないことは調査済みだ。そして、部屋の前で侍女が必ず待機していることも。
(なら……。そこしかないよね)
ベッドの側の大きな窓を見た。
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