コーンスープ
シンシア
コーンスープ
「おはようございます。ご主人様」
柔らかな声で視界に光が差し込む。
「……うん、おはよう──ます」
私は寝惚け眼で声の主に挨拶を返す。目の前にはさながら天使のような少女が佇んでいる。
彼女の事を見ていると自然と顔が綻んでしまう。
「なにをニヤニヤとしているんですか」
桃色の髪を左右に振りながら怪訝そうにこちらの顔を覗き込んでくる。
彼女の名前はリリーである。
私がとある場所から引き取った人間の女の子だ。
リリーが手を伸ばせば触れるくらいの距離まで近づいてきた。
「いえ、何でもないですよ」
頬に触れると彼女の体が一瞬だけ反応するように震えたが、直ぐに目を瞑って手の感触を確め始めた。
「早く起きて下さい。朝食の時間ですよ」
「ありがとうございます。ところで起こしてはくれませんか」
「かしこまりました」
私は腕を彼女の方へ向ける。
「いきますよ」
掛け声と共に腕を引っ張られる力で体が起き上がる。
直ぐに彼女の腕を掴み返して後ろへ倒れないように支える。
「それじゃあ下に降りようか」
そのまま手を握って私はベッドから降りる。
下に降りると、もう食器は並べてあった。
「ではご主人様、先にトイレを済ませて来て下さい。その間に用意を済ませますので」
「よろしくお願いします」
トイレから帰って来るとトーストにサラダ、スープが並べられていた。コーヒーの良い香りも漂って来る。
「わぁ! 今日も美味しそうな朝食ですね」
「今日の予定だと昼食が時間通りに摂れるか分かりませんので、しっかり食べて下さい」
「はい!」
席に着くと私達は手を合わせる。
「「いただきます」」
大体こんな様子で私の一日は始まるのだ。
「ねぇリリー。このコーンスープ美味しいですね」
一口啜った所で私は声を上げた。
コーン由来の優しい甘さが口一杯に広がる。
舌触りもサラサラで心地が良い。
彼女の丁寧な優しさが垣間見える一品である
「お口に合うようでよかったです」
彼女は頬を赤くしながら答えた。
続けて、自分はあまり手を加えてないだとか、ベースは缶が素になっているのだから誰でも上手く作れるなどと謙遜を始めた。
「ううん、いつもありがとうね。本当に丁寧に作ってくれているのですね」
「あんまり朝から褒めちぎらないでください。それにご主人様が作ったスープの方が美味しいです」
「それは嬉しい言葉ですね。でしたら近い内に振る舞いますよ」
「やったー! じゃなくて……ありがとうございます」
彼女はもじもじと体をくねらせる。
わざわざ敬語で言い直さなくても良いと言おうと思ったのだが、彼女なりの気持ちがあるように見えたので飲み込んだ。
それから、今日の予定をひとしきり話した。
リリーの方を見ると、私のせいで食べる手が完全に止まってしまったようだ。
彼女にも温かい内に食べてほしいのでここからは朝食に集中して食べ進めていく。
「ごちそうさまでした!」
私は一足先に食べ終わった。
「ご主人様。先に二階に戻っていて下さい。食べ終わり次第私も向かうので」
「うん。ゆっくりでいいですからね」
私はお皿を片した後に自室に戻る。ベッドに腰を掛けて彼女が来るのを待った。
十分ほどでリリーは道具を一式持って部屋に上がって来た。
「お待たせしました」
彼女は綺麗なお辞儀をすると、私の隣に座る。
「今日も芸術的な髪型ですね」
彼女は私の髪の毛をまじまじと見ながら感想を溢す。
「え、そんなにひどいですか?」
「はい、最近では一番ですね」
「あらまぁ」
彼女は私の後ろに移動して後ろ髪を触る。毎朝、寝癖を直すのは彼女に任せている。
「でも、いい匂いはしますし、手触りもいいですよ」
後ろの方で鼻をスンスンと動かす音が聞こえる。
首元は髪があるのでそんなことはないのだが、彼女の息が当たるような感触がして体が動いてしまう。
「くすぐったかったですか?」
リリーが囁く。
私の耳は頭の横ではなく上にあるので耳元ではなかったが、耳は良い方なのでこの距離感でも近くで囁かれているような感覚がする。
「あまり私を揶揄うものではありませんよ」
「すみません。ですが、エマおねぇさんは私の気が済むまでじっとしていてくれましたよ」
エマとは隣に住んでいる私の友人である。
栗色のおさげ髪を一つに結んでいて、大きな丸い眼鏡をかけている。
彼女にはリリーのことをお願いすることがしばしばある
「なんですか! その情報は!!!」
私はあまりの衝撃に後ろを振り向く。
そこには笑みを浮かべる少女の姿があった。
少なからずこの時間は自分とリリーだけのものであると優越感があった。
「分かりました。続けても良いですよ。そのかわりですね」
先程の話を詳しく聞く代わりに、このまま髪を触るのを許すことにした。
私がベッドに腰を掛け直すとリリーは髪を触るのを再開する。
「この間、エマおねぇさんの家にお邪魔した時に偶然髪を触る機会がありました」
「どんな理由ですか」
「髪に虫が止まっていたものですから、払おうとした時に触れてしまいました」
「それならよくあることではありませんか。怪しくないですよ」
「続きがありまして。触れた時にあまりにサラサラとしていたのでつい、触らして欲しいとお願いしたのです。それで数分ほど手櫛を通しました」
「分かりました。それであれば咎める理由にはなりませんね」
私はてっきり耳元で囁いたり何かスキンシップがあったものだと思い込んでいた。
「含みがある言い方をしてしまい申し訳ありません」
「謝るのはこちらの方ですね。早とちりをしてしまい、ごめんなさい」
疑惑が解けた頃にリリーは私の髪に櫛を入れていく。髪が一本ずつ、サラサラと解けていく感覚がする。
「ねぇリリー、私の髪は好きですか」
「はい。私が毎朝梳かさなければボワボワなままの頑固な髪の毛ですから」
「それは悪口ですか」
「エマおねぇさんの髪の毛は面白味がありませんでした。なにせ、私が触る前からサラサラでしたから」
「そんなに私を馬鹿にしたいのなら──」
言い終わる前に肩を叩かれ、後ろが終わった事を告られる。今度は前に彼女が来る。
「馬鹿になんかしないですよ。次は前と横です」
リリーは手際よく櫛を通していく。
ボブくらいの長さの髪型がよく似合っている。
前にいくにつれて長くなっているので彼女の小さな顔がより小さく見える。
「ご主人様以外の人に耳元で囁いたりしませんよ」
「きゅ、急にどうしたんですか?」
「エマおねぇさんに嫉妬していたように見えたので」
私の心の内を読んだかのように言い当てられてしまった。
「使えるじゃないですか。リリーも心を読む魔法が」
「そんなんじゃありませんよ」
リリーは笑いながら答える。
「はい。終わりました」
部屋の隅の鏡に目を向ける。
そこにはよく整えられた長い髪が写っていた。
「本当に綺麗な青色ですね」
青のような紫のような。そんな淡い色をしている。
「今日もありがとうございます。お陰様で何処へ出掛けても恥ずかしくはありませんね」
私は彼女に頭を下げる。
「いえ、そんな。私も梳かすだけでなく私情を挟んでしまいましたし。ボサボサでもご主人様は風格がありますよ。それに」
彼女は両手を振りながら、早口で言葉を並べた。
私はそんな様子を見兼ねて、彼女に腕を伸ばして抱き寄せた。
驚いたのか少しばかりの抵抗をしてくる。
私は負けじと腕の力を強めた。
「感謝しています。このままでは私はダメになってしまいそうですよ。ダメな主人のお礼を受け取ってはくれませんか?」
私は少し意地悪な言葉を並べた。
すると、腕の中で動いていた彼女の動きが止まった。
「ありがとうございます。受け取らせてください」
「まだ時間はあるようですし、少しこのままでも良いですか」
「お望みであれば喜んで」
私は精一杯の感謝と愛情を込めて小さな従者のことを優しく抱きしめた。
コーンスープ シンシア @syndy_ataru
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