第2話 甘い紅茶は冷めないうちに

「――それで?今日は一体どんな厄介事を持ってきてくれたんですか、お姫くん」

 トンっとカップを置くと、灰崎教授はため息をついた。この芳醇な香りは、教授がとっておきのときに出すお気に入りの紅茶だ。

「もー、ちひねぇはあいかわらずそっけないなー。せっかくお土産にロマ子さんとこのケーキ持ってきたのにー」

 楽しそうに、自分の持ってきたチョコケーキを並べるお姫先輩。『ロマ子さん』というのは以前、学食で働いていた野室マコさんのことだ。今は“ロマン食堂”っていう定食屋さんをしている。お弁当とかケーキとか、テイクアウトも充実していて、灰崎教授のお気に入りのお店のひとつ。


「うんうん、ここのフォンダンショコラは大好きよ。ちゃんと良いお紅茶を出さなきゃね。

 ……でもね、お姫くん。キミ、いつも来るたびに何かしら事件を抱えてるじゃない」

「えー?そうかな?」

「あなたのおかげで私の眼鏡が何本犠牲になったことか。マリアナ海溝に置き去りになった子なんて、すっっっごくお気に入りだったんだから」

「あー、そうだっけ?ごめんごめん。

 でも、まぁ、今回は大丈夫!ただの旅行のお誘いだから」

 そう言って、彼女はスマホの画面を見せた。

『八葦荘』

 隣県の山奥にあるペンションらしい。

「小学校の同級生がオーナーやっててさ。今シーズンは暇だから、友だちいっぱい連れてきて良いって。タダだって。ゼミ旅行しようよ」


無料タダっ!?」

 嬉しそうな声とともに、ガタンッと椅子が大きな音を立てて倒れた。振り向くと、立ち上がった姿勢で固まる和田海咲ミサキさん。珍しく嬉しさに輝いたその顔がみんなの視線にみるみる真っ赤に染まる。彼女は奇抜で面白い人なんだけど、ちょっとシャイ。……たぶんシャイ。

「そうだよ、無料タダ!ご飯も無料!ミサキさんも一緒に行こうね!」

 お姫先輩がニッコリ笑うと、ミサキさんは少し恥ずかしそうに黙ってうなずく。そして、服を脱ぎ捨てた。なぜか全裸になった。

 何でだよ!!!

 普段はシャイなのに謎の脱衣癖があるミサキさん。未だにボクはびっくりする。だけど、みんなの反応は慣れたもの。特に騒ぐこともなく、トカゲちゃんがさりげなくボクの視界を遮って、灰崎教授がミサキさんに上着を着せた。流れるような動きだった。

「ん~~、だけど、さすがに迷惑じゃありません?ウチのゼミ生は今40人くらいいますよ」

「でも、どうせ今回も全員は来れないでしょ。相変わらずみんな忙しいみたいだし」

 側のPCを少し寂しげに横目で見るお姫先輩。無人で動く液晶画面。『リモート中です。電源を切らないでください』と書かれた紙がふわっと揺れた。いつもフィールドワークで世界を飛び回っている風間唯先輩のパソコンだ。

 唯先輩は勉強熱心で、社会人経験をされてから、再び大学に入られた。元々何処かの遺跡で、灰崎教授と知り合ったのをきっかけらしい。

 ただ……。ただ、研究テーマがよくわからない。彼女のテーマは世界の隙間に潜む『異界サメ』。サメは海の生き物だけど、『異界サメ』は空を飛んだり、地面を泳いだり、宇宙空間にも現れるらしく、頭も一つとは限らないらしい。

 正直、そんな生き物は実際にいるわけないと思う。でも、以前そう言ったら、一週間机の周りが『異界サメ』の写真やら標本(という名の謎の塊)やらで覆い尽くされた。だから、もう二度と言わない。

「……いろんなテーマの人を受け入れすぎなんスよ、ここのゼミ」

 つい思ったことが口からこぼれた。小声のつもりだったのだけど、お姫先輩には聴こえたみたいで、彼女はこっちを向いて微笑んだ。

「でも、オレはみんなのこと好きだよ」

「いや、ボクも、その、……。ボクもみんなのこと好きっすけど!」

「じゃあ、よかったじゃん。うひひ♪」

 先輩は少しうつむいてクスクス笑った。

「……うひひ、やっぱり今日ここに来てよかったよ。こうして、きつねちに会えたから。

 一緒に行こうね、ゼミ旅行!」


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