第20話「衝突」
「はあっ、はあっ、はあっ……」
クロは現在、アイアの街中をひたすらに走っていた。この周辺は傾斜が多く、彼の体力を容赦なく奪っていく。
「お疲れ、クロ」
上り坂の終点、頂上に辿り着くと、先行していたハクの姿があった。涼しげな声とは裏腹に、彼の顔からは疲労が窺える。
クロは返事をせずに呼吸を整え、そして肺に目一杯空気を取り込んだ後、
「あ、き、たああああ!」
街全域に響き渡る程の大声で叫んだ。近くにいたハクが体を震わせ、耳を押さえている。
「ク、クロ、どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたもねえよ。かれこれもう一ヶ月もこんなことばっかりやってるんだぜ?」
「確かに、面白みがないのはわかるよ。だけど、体力作りや肉体作りは重要だからね。すぐに効果が出るわけじゃないからこそ、しっかりやらないと」
「そんなの、実戦形式でやってればついでで効果が出るだろ」
てっきり、魔法に特化した修行ができると思い込んでいたが、実際は走り込みや筋力増強のための運動にばかり取り組まされている。他に取り組んでいることと言えば、魔力向上のための瞑想くらいだ。
「ったく。頭ぼけてんじゃねえのか、あの人」
「…… 聞き捨てならないね」
「え?」
クロが何気なく放った一言。それを聞いたハクの声は普段と違い、少しばかり怒気をはらんでいるようだった。
「お師匠様を侮辱することは許さないよ」
「いや、そんなつもりじゃ……」
「自分の努力不足を棚に上げてそんなことを言うなんて、尚更ね」
「…… あ?」
努力不足。その言葉がクロの苛立ちを促進させた。
睨み合う二人。今にも激突せんばかりの空気が流れる。
「はあっ、はあっ、おーい、二人ともー!」
不意に声をかけられたことで、クロは我に返った。
遅れていたフランが、ようやく追いついたのだ。彼女は二人に近づいて立ち止まり、膝に手をつく。肩で息をしながら、顔だけを二人の方に向けた。
「二人とも、速いよおっ……」
「…… 休憩しすぎたかな。僕はもう行くよ」
「あれっ、ハクー?」
ハクが行ってしまい、その場にはクロとフランの二人が残される。
「何かあったの?」
「いや、特に何も……」
「嘘。絶対嘘だね」
「なっ……」
フランがにやけながらクロの嘘を指摘した。
「わかりやすすぎ。それにハクの様子も変だったし。何があったのか話してみなよ」
走って振りきろうかとも考えたが、フランとも険悪な雰囲気になりたくなかったため、クロは渋々口を開く。
「いや、その。お師匠様の頭ぼけてんじゃねえのって言ったら、怒られた」
「そりゃクロが悪いでしょ」
「うっ……」
即座に繰り出される正論が、クロの胸を突き刺した。
「でも、あいつも大概だぜ? 俺のこと、努力不足とか言いだして」
「…… ハクが?」
フランが怪訝な表情になる。彼女がそうなるのも、クロは頷けた。彼自身、ハクの反応に違和感を覚えていたからだ。
「ああ。あいつらしくないよな」
これまで旅を続けてきたなかで、ハクが怒りを露わにしたことなど一度もない。故に、彼に対して、そういう人間なのだとクロは勝手に思っていた。だが、そうではなかったらしい。
「なるほどね。それで引っ込みがつかなくなった、と」
状況の整理ができたらしいフランは、その透き通った瞳でクロを見つめた。
「やっぱり、クロが悪いでしょ」
「はあ? なんでだよ」
「そりゃハクだって悪いだろうけど、元はと言えばクロが余計な愚痴を漏らしたからでしょ? それがなかったら、ハクがクロに突っかかることもなかったはずだよ」
「それは、そうだけど……」
フランの言うとおりだ。全面的に悪いわけではないが、原因は間違いなく自分にある。それに気づいた彼の表情は、やや暗いものになった。
「先に謝った方が、気持ちがいいと思うけどな」
「…… そうかもな」
背を向けてから、そう返事する。
「そろそろ行くわ」
「あ、待って! 私も一緒に!」
「置いてかれたくなきゃ頑張って走れ」
「ちょっとぉ!?」
フランの足音が後方から近づいてくるのがわかった。その間隔からして、かなり急いでいるらしい。追いつこうと必死なのだろう。
「無理すんなって」
フランはこれまでも全力だったはずだが、一度もクロには追いつけていなかった。同じ速さで走りきることは不可能だと、彼女も理解しているはずだ。それなのに、彼女は諦めずに食らいついてきた。
「無理、しなきゃ、意味ないでしょ……!」
「…… じゃあ俺も限界超えなきゃなあ!」
フランに触発され、クロもより一層力を振り絞って走る。体が風を切ることで、二人の足音と呼吸の音だけを耳が拾っていった。
発汗する体。芯から放出される熱。肌を撫でる風。そのどれもが不思議と心地いい。
時間が経つにつれ、彼の意識はただ走ることだけに向けられていく────
そんなことをしていたため、後の修行は想像以上に負担がかかり、終わる頃にはクロはくたくたになってしまった。
「あー疲れた」
夕食を取り終えたクロは、用意してもらった自室へと向かう。早く眠って、明日に備えなければならないからだ。
「あれ? なんか、忘れてるような……」
疲労が溜まって上手く回らない頭で、必死に考える。そもそも何故、今日はここまで疲れているのか。長々と考えてからそこに至った瞬間、ようやく思い出した。
「ああ! 謝り忘れた!」
頭を抱えて声を上げる。そしてすぐ、来た道を引き返そうと歩き始めたが。
「あれ、どうしたのクロ?」
「フラン! ハク見なかったか?」
「ハクなら、お師匠様に呼ばれてたよ」
「そっか。ありがとな」
「あ、待って。二人だけで話したいって言ってたから、行かない方がいいよ」
「マジかあ……」
「謝りそびれちゃった?」
「ってより、忘れてたんだよな…… 仕方ない。部屋で待ってるとするか」
クロとハクは相部屋である。そのため、そこで待っていた方が入れ違いにならずに済むと考えた。
「クロ。良かったら、ちょっと一緒に来ない?」
「どこへ?」
「書物の間」
一階にある、本棚の並んだ空間。それが、書物の間。建物の出入り口と直結しているためよく通りはするが、クロが長居したことはなかった。
「魔力とか魔法とか、クロはまだ詳しくないでしょ? まあ、私も特別詳しいわけじゃないけど…… お師匠様に指導してもらう前の予習だと思って、どう?」
「…… そうだな。行くか」
このまま部屋に戻っても、横になった瞬間に眠ってしまう気がしたのだ。それだったらハクを待つ間、読書していた方が有意義だと判断した。
「決まりだね」
二人で階段を下り、書物の間へ。フランが迷わず歩を進めるため、クロはそれについていった。
「この辺りに、魔力とか魔法に関する本が置いてあるよ」
フランは本棚の中から一冊取り出すと、近くにあった椅子を引っ張ってきて腰を下ろす。クロは同じ棚から、何か目を引くものはないかと探してみた。
「『魔法の歴史と発展をわかりやすく』……?」
難しそうな本が並んでいる中、親切にも『わかりやすく』と表記している本が。クロはそれを手に取り、目を通してみる。
(何々? 『魔法は詠唱型と魔法陣型の二種類がある』)
詠唱型と魔法陣型。クロの頭には、それぞれハクとリペルが思い浮かんだ。ハクはその都度、短いながらも詠唱を行っている。リペルは先日、治療の際に魔法陣を用いていた。
(『元は無詠唱が基本だったが、特別、才能に恵まれないような人間にも扱えるようにした結果である』)
ということは、自分が魔法を使うことも決して難しくはないはず。そう考えたクロは期待を膨らませた。
(少し飛ばすか……『魔法にはその他の分類もある。その一つが使い方。多くは魔力をその属性そのものに変化させて使う方法』)
ここで思い浮かべたのは人攫いの王子、エレトだ。あの男は雷や電気に関連した魔法を使っていた。途中で使われた『見えない力』も、それによるものなのだろうと推測できる。
(『だが、それとは別に、固有の効果をもたらす魔法が存在する。主に無属性魔法がこれに当たる』)
また、新たな言葉が出てきた。
無属性魔法。読んで字の如く、属性のない魔法だろう。
無属性の魔力というものがあると、つい先日ハクに教わった。もしかしたら、それを用いることで使える魔法かもしれない。これまでにそんな魔法を使った相手がいただろうか、とクロは考えを巡らせる。
(そういえば、前にお師匠様に使われた魔法は、属性で分類できなそうだな。もしかしてあれがそうか?)
初対面時に使われた、認識を阻害する魔法。クロは魔力や魔法の属性を全て把握することはできていないが、先の魔法が該当するようなものは、ないように思えた。
(ま、今度直接聞いてみるか)
一人で考えて解決するようなことでもない。クロは気にせず次の文へと読み進める。
(『有属性魔法でも、稀に確認される。例を挙げると、自らの肉体を、宿している魔力の属性の性質に変化させる、というものなどがある』……?)
読みながら、クロは疑問に思った。そのままの意味で解釈するのであれば、火属性の魔力を宿す者は自らの肉体を火そのものにすることも可能ということだ。
「なんでもありだな、魔法……」
そう漏らし、クロは本を閉じる。
「どう? 意外と面白いと思わない?」
「思ってたよりは、な。フランはここによく通ってるのか?」
「いつも、寝る前に来てるよ」
「いつも!?」
クロは思わず大声を上げた。フランは修行で人一倍疲れている様子だったため、毎日ここに通い詰めることができるとは彼は考えていなかったのだ。
「本当、無理するなよ」
「大丈夫だよ。ちゃんと寝てるし、修行だって毎日あるわけじゃないでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
「そろそろ話も終わるんじゃない? 部屋戻ってみたら?」
「ああ、そうだな。フランはどうする?」
「私はまだここにいるよ。きりのいいところまで読んでから戻る」
「そっか。それじゃあ、また」
「うん。また明日」
クロは書物の間を後にし、自室へと向かう。特に誰とすれ違うこともなく、その扉の前まで辿り着いた。
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