第1章『ふたごともども、悪しからず』(2)

「こうして二人で外食するのもひさしぶりだね」向かい側に座る双子の片割れが肉にがっつく様子を眺めながら、あきは言った。

「でも、せっかくまとまった金が入ったんだから、もっと贅沢してもよかったんじゃないか? ファミレスなんかじゃなくてさ」はるは行儀悪くハンバーグを口に含んだまま喋る。

「まとまった金ったってたかが知れてるだろ。長い目で見れば生活費の足しにしかならないよ。そもそもコンビニバイトで二人分稼いでいくのは無理があるんだから」

「足りなくなったらまた稼げばいいんだよ。僕たちの犯行は完璧なんだし」

「無茶言うなよ。同じ店舗でまた強盗が起きたら、さすがに怪しまれるに決まってる」

「だったら他の店にヘルプに行ったときにやるのはどうだ」

「それだって同じことだよ。違う店でも、レジ打ちが同じ人なら一層怪しい」

「じゃあ何か他のことをしよう」

「アイデアがあるなら聞いてやるよ。今回ほど完璧な犯行はあり得ないと思うけどね」

 そう言うと、春は黙り込んでしまった。どこか遠くを見つめている。店の入口の方から「いらっしゃいませ。何名様ですか?」という声が聞こえた。

 ほら、思いつかないんだろ? と言いかけたとき、春が「静かに!」と鋭い声を上げた。ハンバーグの鉄板で顔を焼きそうなほど姿勢を低くしている。

「なんだよ」春の様子に異常を感じ、秋もやや頭を下げながら抑えた声で尋ねた。

「今、刑事の二人組が店に入ってきた」

「二人組って、あの?」

「そう。あの二人」

 春と秋が働くコンビニで起きた強盗事件、正確に言えば、春と秋が起こしたコンビニ強盗事件を担当している刑事ペアのことだ。

「そんな! この地域は管轄が違うだろ」

 二人でいるところを見られたら、完全犯罪に大穴が空いてしまう。だから人目を避けて、わざわざ隣町で外食してるってのに。

「とにかく、ここを離れよう」

「二人は今どの辺りにいるの?」

 春の顔が酷く険しくなった。「隣の列の、二つ向こうの席に、座った」

「なるほど、よく見えそうな位置だ」秋も春と同じ顔になる。

「気付かれる前に逃げよう」

「今立ち上がったらそれこそ気付かれる。大人しく隙を待つしかないよ」

 息を潜めて耳を澄ますと、刑事ペアの会話が微かに聴こえた。

「今日は大変でしたね。隣町まで応援に駆り出されて」

「どこも人手不足だからな。少し大きな事件が起こるとすぐにこうだ」

「うちもしょっちゅう応援に来てもらってますから、文句は言えませんけど」

「それより山崎やまざき、コンビニ強盗の方の進捗はどうだ」

 春と秋は飛び上がりそうになる。言うまでもなく、僕らのことだ。

「全然駄目です。コンビニ店員のたちばな氏によく似た別人を知らないかって近所に聞き込みをして回ってるんですが、怪しまれて取り合ってもらえません」

「そりゃあ警察が大真面目にそんなオカルトじみた話をしてきたら、怪しんで当然だよな」

「通報されてもおかしくないですね。『たちばな春秋はるあき、二人いる説』の証明なんて無理があるんですよ」

「そうは言っても、町内の防犯カメラに映ってた犯人の顔は紛れもなく橘だったろ」

「橘氏は事件当時にレジ打ちを担当してたんですから、あり得ませんって」

「だから『二人いる説』なんだろ」

「でも戸籍上は双子どころか同姓の親戚もいなかったんですよ」

「とはいえ他人の空似ってレベルではなかったもんな」

「同じ顔、でしたね」

「二人いる、と言えば。何度かあのコンビニに聴取に行ったが、会う度に性格が変わるのはなんなんだろうな、あの男は」

「性格ですか?」

「事件当日は落ち着きのある人だと思ったが、次の日は騒々しかった。かと思えば、その次の日はまた大人しくなっていた」

「二重人格ってことですか?」

「だが、二重人格だとしてもレジ打ちと犯人を同時にやれることにはならない」

 二人は考え込むように押し黙った。

「あ、そういえばこの店、お水はセルフサービスでしたね。私、取って来ますね」

 山崎刑事が立ち上がる気配がした。これはまずい。

「秋、隠れろ!」

 春に言われるまでもなく、慌ててテーブルの下に潜り込んだ。後ろから足音が近づいて来る。

「あれ、橘さん?」頭上で山崎の声がした。最悪だ、見つかった。「奇遇ですね、こんな所で。ご自宅はこの近くじゃないですよね?」

「ああ、友人がこの辺りなので」

「お友達、どうかされたんですか?」

 頭隠して尻隠さず。秋の尻は山崎から丸見えのようだ。だが、頭さえ隠れていればとりあえずは凌げるだろうか。

「ちょっと、小銭落としちゃったみたいで」

「あら、大丈夫ですか?」

「ええ、お気遣いなく」

「そうですか。お友達とご一緒のところ、お邪魔しちゃってすみませんでした。またお店に伺いますね」

 足音が遠のいて行った。

「ふー、なんとかなったな。もういいぞ」

 秋はテーブルの下から這い出て、ソファに座り直した。

「よくないよ。水を取りに行っただけだろ。すぐに帰って」そこまで言いかけて、じっと隠れていなかったことを後悔した。「ごめん、もう手遅れ。春、隠れて」

「は? こっちが隠れたらおかしいだろ」

「もう目が合っちゃったんだって。早く隠れて!」

 春が渋々テーブルの下に消えて行くのを見送る間に、不思議そうな顔をした山崎がすぐ近くまで来ていた。

「席替え、したんですか?」

「あの、はい。小銭が見つからないみたいで、一時的に」

 二人で全く同じ服を着ていたのが幸いした。一応疑念は晴れたらしく、山崎の顔色は元に戻っている。

「手伝いましょうか?」

「いえ、とんでもない。もし見つからなくても、大した額じゃないみたいですから」

「そうですか? 頑張ってくださいね」

 山崎は上司が待つ席に戻って行った。

「もういいよ、春」

「本当か?」

「ずっとそうしてるのもおかしいし、春が向こうを見張っていてくれないと」

「でも次に奴らが来たら誤魔化し切れないぞ」

「変なときだけ慎重になるのやめてくれよ。早く出て来いって」

 その時の刑事ペアの会話は、双子には聴こえていなかった。

喜多見きたみさん、そこに橘さんがいましたよ。噂をすれば、です」

「橘が? どこだ」

「ほら、あそこ。隣の列の、二つ向こうです」

「どうしてこんな所に?」

「一緒に来ているご友人がこの辺りにお住まいだとか」

「ほお。ちょっと挨拶してくる」

「え、迷惑かけないでくださいよ? プライベートなんですから」

「分かってるって。挨拶だけだ」

 喜多見が立ち上がり、双子に近づく。

「分かったよ」と春が頭を上げたのと、「橘さん、どうも」と喜多見が声をかけたのは、ほとんど同時だった。

 春と秋は凍りついた。喜多見刑事も固まって、双子の顔を交互に見ている。

「山崎!」状況を理解すると、喜多見は声を張り上げた。「橘が二人いたぞ!」

 こうなっては逃げる他ない。どちらが合図するでもなく、春と秋は同時に飛び出した。

「そっちに行った! 捕まえろ!」と喜多見が叫んだが間に合わない。双子は山崎の手を逃れ、店の外に駆け出していた。

 道路に出て二手に別れると、春には山崎が、秋には喜多見がついて来た。

 鍛えているとはいえ、相手は女と中年男。逃げ足の速い双子が追いつかれることはなかった。しかし刑事も案外しぶとく、なかなか撒けはしない。なんとかして逃げ切らねばと、右へ左へ曲がりながら走る。

 しばらくそうしていると、細長い路地に出た。何故か正面に鏡がある。

 いや、鏡なわけがない。あれは僕と同じ姿をした、双子の片割れだ。

 気付いた時にはもう遅い。双子は鉢合わせ、刑事に挟み撃ちにされていた。

「橘! おまえが、おまえらがコンビニ強盗の犯人なんだな?」喜多見が息を切らしながら言った。「もう逃がさないぞ。観念しろ!」

 双子はお互いの顔を見つめ、同時に溜め息をついた。

「こうなっちゃったらしょうがない。白状するよ」

「お察しの通り、あの強盗事件は僕らが起こした」

「僕らがレジ担当の時に事件が起これば、絶対に容疑はかからないと思ったんだけど。上手く行かないもんだね」

「ちょっと待って。そもそもあなたたちは何者なの? 全く見分けがつかないけど、片方は店員の橘春秋よね? もう片方は?」山崎は双子の顔を見比べるように首を左右に振っている。

「僕らは二人で橘春秋なんだ」

「僕が春で」

「僕が秋」

「二人で一人の双子だよ」

 同じ顔をした二人は、息ぴったりに交互に喋る。

「でも、双子なんて戸籍には」

「だから、二人で一人なんだってば。絆の強さの比喩表現なんかじゃないよ。二人で一人分しか戸籍がないんだ」

「母親が面倒がって、出生届を一枚にまとめて書いたらそうなっちゃったらしい。春と秋がくっついて、春秋ってね」

「だから学校もバイトも、一日おきにかわりばんこで通ってるんだ」

「だから一人じゃ半人前。身につく知識は半分、給料も実質半分」

「じゃあ、会う度に性格が変わると思っていたのは」喜多見は呆気に取られている。

「DNAが同じでも、性格は案外違うもんだ」

「春はどちらかというとそそっかしくて」

「秋はどちらかというとおっとりしてる」

 喜多見も後輩刑事と同じように、頭を左右に振り始めた。やはり見分けはつかないらしい。顔に困惑が浮かんでいる。

「それで、強盗犯はどっちなんだ?」

「どっちだって同じことだよ。僕らは二人で一人なんだから」

「そういうわけにも行かないんだよ。実行犯と共犯じゃ、罪の重さが全然違う」

 双子は顔を見合わせた。

「そこは同じにしてもらえないかな?」

「罪状も半分こってことで」


 愉快な音楽と共に幕が下りていく。

 神谷は深く息を吐き、そして吸い込み、また吐いた。肺の空気を全部入れ換えるように。

『スター俳優の神谷令』に頭を切り替える。


  ***


 割れんばかりの拍手に出迎えられ、主演の神谷令が壇上に現れた。英雄さながらに両手で歓声に応えながら悠々と歩くその姿は、先程まで彼が演じていた人物とは全くの別人に思えた。

 物語の内容は、神谷演じる双子の青年、『春』と『秋』が、双子であることを悪用しながら行く先々でトラブルを起こす、痛快なドタバタコメディだった。

 舞台で双子を一人で演じ分けるという一見無謀に思える挑戦を、神谷は持ち前の神がかり的な演技力で難なくこなしてみせた。『天才憑依型カメレオン俳優』と名高い彼がいなければ、この作品はここまで高いクオリティでは実現できなかっただろうし、大した話題にもならなかっただろう。

 だがこの作品が神谷だけの力で成立しているのかと言われればそうではない。脇を固める俳優陣は知名度こそ疎だが、皆レベルの高いコメディ巧者であるし、脚本の独特な言葉選びのセンスも秀逸だった。随所に散りばめられていた歌うように小気味の良い掛け合いは、思い出しては口ずさんでしまいそうだ。

 何より、舞台装置には恐れ入った。春と秋が同時に舞台に上がるシーンがいくつかあったが、あれは一体どうなっていたのか。前評判では最先端の映像技術を駆使した演出だと解説されていたが、この距離からでは映像と実物の境界がほとんど分からないくらいで、あの瞬間、確実に神谷令が壇上に二人いた。

 はあ、素晴らしいものを観た。円盤化の予定はあるのだろうか。今すぐ最初からもう一回観たい。


「おい、ぼさっとするな。早く行くぞ」

 宮本は、その聞き慣れた冷淡な声ではっと我に返った。いつの間にかカーテンコールも終わってしまったようだ。舞台に夢中になるあまり、この堅物上司、志水しみずさとるに連れて来られたということもすっかり忘れていた。必死で鳴らした手のひらには、ヒリヒリとした痛みが残っている。

「はい、すぐ行きます」

 宮本は慌てて膝掛けにしていたトレンチコートを羽織り、志水を追いかけて階段を駆け上がった。

 ホールのドアを潜り抜けると、ロビーはまだ退場する人で溢れ返っている。一瞬、志水を見失ったかと焦ったが、人混みから一つ飛び出た頭はすぐに見つかった。


「あの、どうして急に舞台なんかに連れて来てくださったんですか。それも『ふたごともども、悪しからず』なんて。昨日も話しましたけど、この作品、なかなかチケット取れないんですよ」

 劇場前の信号待ちでやっと追いついた背中に興奮冷めやらぬ口調で話しかけると、愛想の欠片もない顔が振り返った。

「おまえ、よく目的も分からずにノコノコついて来たな」

 志水はいつも感情の読みにくい仏頂面をしているが、この表情はよく知っている。心底呆れた、という顔だ。

「俺だったら休日に上司と舞台鑑賞なんて絶対に嫌なんだが、おまえ正気か?」

 信号が変わり、歩きながら話を続ける。

「それは私だって嫌ですけど、神谷令の舞台となれば話は別です。しかも今回はその中でも、二度目の再演を果たした超人気作じゃないですか。八方を上司に囲まれたってお釣りが来ますよ」

 そんなものか、と相槌を打ち、志水は先程の質問に答える。「安心しろ、これは任務だよ。代休も付けてある」

「そうなんですか? なんか得した気分です。全部こんな任務だったらいいのに」

 そう言いながら横断歩道を渡り終えた時だ。左側の視界の端から、何かが近づいて来るのに気が付いた。

「みこちゃん、みこちゃんだ!」という甲高い子供の声で、その正体を理解する。

早妃さきちゃん」

 彼女はマンションの同じ階に住む小学一年生、茅原早妃だ。外で顔を合わせると、いつもこうして話しかけてくれるのだ。

「どうしたの、こんな所で」

 宮本は中腰になり、早妃と目線を合わせた。自分より小さい人間はやはり可愛い。

「おばあちゃんとお出掛けしてたの」

 早妃が指差した方向からは、彼女の祖母と思われる女性が、歩くのとそう変わらない速度の小走りでこちらに向かって来ていた。きっと、早妃に置いてけぼりにされてしまったのだろう。小学生は案外すばしっこいから、油断するとすぐに行方不明になる。

「みこちゃんはデート?」と早妃がませたことを言った。彼女が見上げているのは、言うまでもなくうちの上司だ。

「違うよ。このお兄さんは会社の偉い人。私は他に好きな人がいるんだから、この人とはデートしないよ」

「知ってる! かみやれいでしょ」早妃はほとんど叫ぶようなはしゃぎ声を上げた。

「そうだよ」

 そう笑いかけたところで、ようやく早妃の祖母がこちらに到着した。

「早妃ちゃん、勝手に行かないの!」

 ぜーぜー言いながら孫を叱った後、彼女は「すみません」と会釈をして早妃の手を引いて去って行った。早妃は、かみやれいとデートできるといいね! と叫びながら、空いている方の手をぶんぶんと振っている。

「待ってくれてありがとうございます」早妃に手を振り終えると、宮本は立ち上がり、会社の偉いお兄さんに声をかけた。

 小言を言われるかなと思ったが、彼は存外穏やかな顔で宮本のことを眺めている。

「あの、どうかしました?」

「いや」志水が歩き出したので、宮本もそれについて行く。こちらを見下ろしながら志水は続けた。「おまえの目上の人に対する態度はどうかと思うところもあるんだが、誰にでも分け隔てなく接することができるのは、おまえの良いところだな」

「私結構、分けも隔てもありますよ」

「そうか? あまりそうは見えない」

「『分け』は人間と人間以外、『隔て』は私と私以外です」

「そういうのを『分け隔てない』って言うんだ」堅物上司はまた呆れ顔をする。

 志水は劇場のちょうど向かい辺りまで歩くと、そこにある大手チェーンのカフェに足を踏み入れた。

「ここで時間を潰すぞ。席を取っていてくれ」そう言って志水は宮本に鞄を押しつけ、注文カウンターに並んだ。

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