第1章『ふたごともども、悪しからず』

第1章『ふたごともども、悪しからず』(1)

 吉田を捕らえた三日後、宮本は志水と共に、吉田の自宅のマンションを訪れていた。

 言うまでもないが、ご招待を受けたわけではない。吉田が麻薬密売グループに関する情報を吐く気配がないため、家宅捜索に踏み切ることにしたのだった。

「これじゃあまるで空き巣みたいですね」宮本は、先に室内に上がった志水の背中に向かって言った。

 二人は他の住人に不審に思われないように電気屋を装い、服装はグレーの作業着、頭にはキャップを被っており、さらに顔はマスクで隠している。靴を脱がずに上からビニール製のカバーをかけているのも何かあったときにすぐに逃げられる工夫に思えるし、玄関を開けるのにだって偽造鍵を使った。なんだか悪いことをしている気分になる。

「空き巣だからな」

 志水の口から思わぬ言葉が返って来て、えっ、と間抜けな声を上げた。「家宅捜索じゃないんですか」

「建前上はな。だが、本来家宅捜索には令状が必要だ。総合調整局には令状の請求権はないから、これはただの不法侵入。実質空き巣と同じだ」

「令状ってなんでしたっけ」

「おまえ、よくそれで法学の試験受かったな」

「山が当たったんですよ。一夜漬けで覚えたところが全部出て」

「嘘だろ。あの膨大な範囲から?」

「運の良さには自信があるんです」

「困った強運だな。その様子だと、法学の研修も受け直した方がいいか」

「あー! 待ってください」それは嫌だ。勉強なんて、二度とやりたくない。「ほら、あれですよね。実質犯罪と同じでも、法の適用外だから犯罪にはならないんですよね?」

「今回はそうだが、一般の刑法が適用されないだけであって、規定はあるからな? おまえやっぱり怪しいな。帰ったら研修組んでおいてやる」

「そんなあ」

「とにかく、これは不法侵入だから、あまり時間はかけられない。無駄口叩いてないで、さっさとやるぞ」

 志水はそう言い残し、奥のリビングに向かって歩いて行った。宮本も事前の打ち合わせの通り、まずは一番手前の洋室に足を踏み入れる。


 最初の部屋は寝室として使われているらしく、窓の下にベッドが置かれている。宮本はとりあえず、詰めれば五人は寝られそうなベッドに半分乗っかりながらカーテンを閉めた。

 入口から見て左手の壁面に取りつけられた引戸を開けると、アパレルショップの倉庫のような空間が現れた。いや、アパレルショップの倉庫なんて見たことはないのだが、随分広いウォークインクローゼットだなと感心する。

 手前の方にはTシャツが大量に吊るされている。スポーツブランドの物やアート調の物、ライブか何かの公式グッズらしき物など様々あり、こんなにあってどうするのだろうと疑問に思うが、押入臭さはなく、むしろほのかに洗剤が香っているから、どれもそれなりの頻度で着てはいるのだろう。

「吉田が隠し持っている情報が入手できれば最善だが、吉田の弱みとなりそうなものが見つかるだけでも充分だ」と志水は言っていたが、Tシャツのコレクションは果たして弱みになるだろうか。いや、さすがにならないか。と首を振り、クローゼットの戸を閉める。

 そもそも弱みになりそうなものってなんだろう。探すべきものが分からない探しものには全く身が入らず、ベッドの下とサイドボードの引き出しをいくつか覗いた後、宮本は早々に寝室を出た。まずは一旦ざっと見てから、後でちゃんと調べに戻って来よう。などと頭の中で言い訳をしながらだ。


 次に入ったのは書斎らしき部屋だ。寝室より随分狭く感じるのは、部屋を囲うように置かれた本棚のせいだろう。

 何万円もするであろう大きな分厚い本やビジネス書、小説に漫画まで、様々なものが置いてあるが、ある一角だけ異彩を放っているのに宮本は気付いた。

 ビデオやブルーレイなどの映像作品、その主題歌やサウンドトラックのCD、原作となる小説や漫画、という順で、タイトルごとにまとめられているのだ。そしてそのタイトルのラインナップは、宮本のブルーレイコレクションと酷似していた。

 お仲間ですね! と心の中で吉田氏と熱い握手を交わしながら、彼を陥れようと画策していることが急に後ろめたくなる。書斎は見なかったことにしよう。と、宮本は廊下に出た。

 さて、困った。今のところ収穫ゼロだ。まだ手をつけていない部屋は他にもあるが、この調子では全く捗らない。仕方ないから、志水さんに教えを乞いに行こう。


 リビングに足を踏み入れると、志水はすぐに宮本に気付いた。「どうした。もう煮詰まったのか」と、彼は察しが良い。

「何を探したらいいのか分かんなくて」

「そうか。説明が足りなかったな」

 志水は作業の手を止め、入口正面にあるダイニングテーブルの方にやって来た。宮本も志水に倣いテーブルに近づいてみると、そこには押収予定の品がずらりと並べられている。この短時間で、もうこんなに集めたのか。

「まずはパソコンなどの電子機器と、ハードディスクなどの記録媒体は全て持ち帰りたい。事業に関するデータが入っているかもしれない」

「それはなんとなく、そうじゃないかと思ってました」テーブルの上にも、USBメモリらしき小さなスティック状の物体が数個並んでいる。

「特に、普通はそういった物を置かないような場所にあれば、それは当たりの可能性が高い。隠すためにあえてそこに置いている、ということだからな」

「へえ。例えばどんな所ですか?」

「べたな所だと、ベッドの下とか」

「ベッドの下にはなかったですね」

「まあ、そうだろうな」志水はあっさりと頷いた。それではあまりに分かりやす過ぎる、と。「隠す側の思考を想像してみるといい。『こんな場所、誰も探さないだろう』と思うような場所を探せば、だいたい見つかる。と言っても、事業のデータは頻繁に参照するものだろうから、取り出すのが面倒な場所ではないだろう」

「なるほど」分かってきた気がする。「弱みになるものっていうのはどんなものですか?」

「金には代えられないもの、かな。人質になり得るものとも言える。まだ吉田については分かっていないことが多いから、吉田の人となりや交友関係が明らかになるだけでも収穫だ」

「ほう」なるほど。できそうな気がしてきた。「やってみます」

 志水に礼を言い、リビングを出ようと踵を返した。その瞬間、ある物が宮本の視界に入る。

「あ」

「なんだ?」

 宮本の視線の先には、何故か額縁に入れられた、黒いTシャツがあった。胸には、宮本がここ数日毎晩繰り返し観ている映画『ヒロイック☆ギャング』のタイトルロゴがプリントされている。

 悪人がより外道な悪人を倒すというこの物語の構図は、宮本たちの仕事に似ているようにも思えたが、やはり現実はずっと地味だ。あっちは倉庫で銃撃戦、こっちは空き巣だもんな、なんてことをぼんやり考える。

「それがどうかしたのか?」志水が尋ねた。

「いえ、なんでもないんです。ただ、たまたま昨日この映画を観たので」

「『ヒロイック☆ギャング』か。内容はよく知らないが、たしか去年の映画だったな」志水は興味なさそうながらも雑談に応じてくれる。

「神谷令って知ってますか? この映画の主演俳優なんですけど、吉田さんは重度の神谷令ファンみたいです」

 宮本は、書斎の異質な一角について志水に説明した。あれは全て神谷令の出演作品だったのだ。

「ああ、神谷か。よく知っている」志水は目を細めた。「神谷は若い女性に人気があるのかと思っていたが、中年男のファンなんてのもいるんだな」

 志水が『神谷』と呼び捨てにしたのが気になったが、芸能人をそういう風に呼ぶ人なのかな、と聞き流した。

「そりゃあ女子人気はすごいですけど、神谷令って一流の国際映画祭で賞を獲ってたりもする実力派なんで、意外と映画愛好家の中年層にも支持されてるんだと思います」

「詳しいな」

「私もファンなので」

「そうか」志水は何故か鼻で笑った。

「私だったら、神谷令の舞台のチケットがもらえるなら、なんだって喋っちゃいますけどね」吉田氏も同じような考えなら、話は早いのだが。

「舞台?」と志水が聞き返す。

「ちょうど明日から、神谷令主演の舞台の公演が始まるんですよ。抽選は当たらないし、一般販売も即完売で、チケットなんて取れたもんじゃなかったんです」

 志水からの相槌が、不意に途絶えた。気になって振り返ってみると、彼は考え込むように顎に手を当てている。

 志水さん? と声をかけようとした瞬間、先に志水が口を開く。「なあ宮本」

 なんだろう。彼はいつも無表情で感情が上手く読み取れないが、今はどこか尖った空気を纏っているような気がする。「どうかしましたか?」

「どうしてTシャツが額縁に入っているんだ?」

「えっ、そんなことですか?」もっと深刻な話かと思った。「知りませんけど。ただデザインが気に入ってるとか、そういうことなんじゃないですか」

「そうか。ファンの間でそういう文化があるわけじゃないんだな」

「グッズのTシャツは着ずに飾る人も多いですけど、吉田さんは違うと思いますよ。クローゼットに着古したTシャツが沢山ありましたから」

 どうやら志水には何か気掛かりなことがあるらしく、その眼差しは真剣だ。

「宮本。先に事務所に戻っていてくれないか」

「いいですけど、どうして」

「そこにある押収品を、情報部に届けてくれ」

「それなら、全部調べ終わってからまとめて持って行った方が」

「いいから」志水の語調が強くなる。「早く行け。頼む」

 志水の目は空中の一点を見つめていて、一向に宮本の方を向かない。彼が何を考えているのか、宮本には分からなかったが、それ以上追及しようとは思えなかった。

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