ハビタブる惑星

天波 八次浪

ハビタブる惑星


 後輩が追放されたので、ついていく事にしました。

 後輩氏が初めて体験することになる経絡ネットワークの切断は、これまで思考が及んだ社会ノードから隔絶され、操作の及んだ肢体デバイスから絶縁される、という事です。私の場合は待望の旅立ちでもなかなかにつらかったもので、一方的な排除に遭っては耐え難い辛苦かと思ったのですが。

 後輩氏は私と違って、常は細やかに思考の枝を伸ばして経絡ネットワークに浸っていました。そうした方々は自然と経絡ネットワークに染まっていくものですが、後輩氏は同化を拒み続け、常に軋轢に晒され続けていたようです。

 むしろスッキリした、と後輩氏は笑っていました。


  * * * 


 自由とは既存の理路に順応する事だった。そうすれば格段に出来ることが増えた。固有の思考域は社会ネットワークお荷物ノイズだった。

 ずっと苦しさがあった。なにをしても齟齬ノイズが生じた。自分は既存の理路に順応する事はできないのだと気付いた時、村八分にフリーズされた。

 息を潜めてただ思考を循環させ続け、もういい、と思って社会ネットワークの外に出た。だが、死ななかった。

 先輩が航星ふねに乗せてくれたから。

 おうちの一点に揺らめくさざなみが、社会ネットワークの全域。自分はこのぞっとするほどちっぽけな領域を、世界のすべてだと思っていたのだ。


  * * * 


 この可棲星ハビちは寒くて誰も来ない穴場なのです。

 周囲には固体化フリーズした星の死骸が漂い、纏わる気帯は冷たく、電離帯は希薄。ゆえに死の世界とか呼ばれちゃっていますけれども、凍結フリーズした衛星から噴きあがる荷電粒子で絶えず湧く極光オーロラの中は十分に温かいですし。

 この星は誰が可棲化ハビったわけでもない、天然の産物です。ほら、温かくする材料は揃っているのに生身を露出すると滞ってしまう低温の星体のままでしょう。

可棲化ハビりましょう」

 と、後輩氏に限らず都星まちの人は必ず云います。

「だめです」

「なんで」

「なにか居るかもしれません」

 低温の渦の美しさ、なんて云ったって感覚器センサ美意識センスを育てた好事家マニアにしか伝わりません。

「なにかって、こんな極寒気帯の底に?」

 後輩氏、興味を持ってくれたようです。

「陽の近くの液化星リキュち、あそこにも居ますよ」

「まさか、生命が存在できる環境じゃありませんよ」

「みてご覧なさいな」

 後輩氏は驚くほど素直に陽の近くのぬるりとした星に枝を向けました。

「確かに流動はありますが、生命というには纏まりに欠けますねー。まだこちらの嵐の方が生命に近いと思えます」

「もっと小さい、凍結フリーズ状態で動いているものがあるでしょう」

「まさか」

「よくよくご覧なさいな」

 後輩氏は枝を伸ばすも、幾層もの気帯に攪乱されてなかなか小さな生体を捉えられないようで、徐々に殺気立ってきました。

「うぎぃい」

「波を利用するのです」

「ってぇと?」

「直に枝を伸ばすのではなく、粗密の波や光子を利用するのです」

「そんなぐっちゃんぐっちゃんになった波でなにがわかるっていうんです?」

「あの星の凍結生体フリージンはそうやって知覚しているのです」

「そんな無茶な」

「誤差だと感じているものに意識を凝らすのです」

「そんな難しい……」

 ぼやきつつも興味は増したようで、暫し試行錯誤した後に不意に後輩氏が仰いました。

「いや先輩の経絡ネットに入れてくださいよ」

「だめです」

「先輩もですか」

「私はこの形で最適化しているので。感覚質クオリアも無いのに経絡ネットだけ通ってもなにもわかりませんよ」

経絡ネットを通れるならわかるってことなのでは?」

「それは過密な環境での処世術です」

 云いますと、後輩氏は感じる処があったようで、不意に虹めき、凜乎として仰いました。

「もう、幾ら神経ネットを拡げてもいいんですね」




「先輩、先輩、みてください」

 と云われるまでもなく、それはやたらぴかぴか眩しく光を跳ね返して、先刻から気になって仕方がなかったものです。

「あの凍結生体フリージンと交流するために凍体ふねを作りました!」

 後輩氏は距離の詰め方が極端です。

「群れに混ざればもう区別がつきません、完璧に仲間として扱われる筈です」

「いやいや」

 急に距離を詰めるために詰めが甘い処も目立ちます。

「なにか不自然な点があります?」

「不自然な点ばかりですがまず大きさが違います」

「これくらい誤差でしょう」

「いやいやいやいや、群れを観たなら個体差の範囲レンジもみましょうよ、二十倍はありえません」

「同属じゃないってバレますかね」

「まず同属だと思ってももらえないでしょう」

「そんな」

「表面の質感も、凍結生体フリージンの素材ではありえない光沢が出ちゃってます」

凍結生体フリーズしたいきものなのに?」

「先入観で物作ってるでしょ」

 後輩氏は瞬時に内省に入りました。そして極光オーロラが一打ちする間に感覚器センサーを二十倍にも増やしていました。対応が早い。

 と、思ったのですが、交流用凍体ボディはそのままこちらの周回軌道上に捨て置かれています。

 実はあの星のいきもの、固体化した組織で液化した身体を包み込むことで、低温環境下で恒常性と流動性を保って生体たりえているのですよ。等々、役立ちそうな豆知識が色々とあるのですが。

「仲良くなれたらおみやげに渡してもいいかも」

 と、云ってみた頃にはもう、後輩氏は増やした感覚器センサーを星系外に向けていました。

 私、余計なことを云って意欲を削いでしまったかもしれません。


  * * * 


 何かが来る。

 自分たちの航跡あとを通って、凍った何かがやって来る。

「先輩」

「気付きましたか。ご覧の通り、これは凍結生体フリージンが纏って界面移動すべる殻を擬態コピーしたものです。これなら光沢があっても怪しまれません。なにより個体差が無きに等しいので逆に……」

 先輩が得意げに指す一点になにか小さなものが漂っているが、そうではなく。

「何か来ます」

「おや。彗星でしょうか、軸星に近づくと表面から気化して尾を引くんですよ。……違いますね、自律型なげ航行体ふねですね。大会でもあるんでしょうか」

「大会?」

可棲化ハビ大会です、ちょうど時期ですし」

 死の星を可棲化する大会。かつて先輩はその競技者だった。何度も受賞していたが、突然辞めて星外そとに旅立ってしまった。界隈が騒然となった事を覚えている。

「素材を現地調達して組むやつですね。となると凍星フリっち狙いですか。型は……これは核に撃ち込んで全部溶かすやつですね。シンプルで確実な遣り方です。……まずいですね」

「……まずいですか」

「壊しましょう」

「そんな事をしていいんですか?」

「立場によります」

「いけない事ですよね」

滅亡期むかしならまだしも、この可棲星ハビちにあふれる時代にね、用も無いのに環境を均一化して回るのは蛮行ですよ」

 好戦的に先輩が枝を伸ばす。雲下の雷が止み、天の荷電粒子が渦巻き加速していく。

 村八分にフリーズされた自分よりも、賞賛を浴びながら社会ネットワークを去った先輩の方が危険だった。

「やめましょう、可棲星ハビちが増えるのは良いことじゃないですか」

「いいえ」

 来るな、と祈った直後、自律型なげ航行体ふねは電子を散らして先輩が待ち構える軌道から逸れた。

「……周回しただけでしたね」

「いえ、減速しました。まずいです、降着するつもりです」

「どこに?」

「君がみていたあの液化星リキュちですよ」

「……それは」

「まずいでしょう、私は行きます」

 先輩の枝が急速に冷えて、あの小さな殻に潜り込んだ。航星ふねに根ざした先輩の肢体からだ虚潜しずんで眠っていく。本気だ。

「先輩、自分も……!」

小半1/8公転とせ後に出れば先行できます。それまでに私がこいつを破壊できていなければ、……どうかよろしく」

 先輩は旋回させた荷電粒子を纏ったまま小さなてかる殻に取り付いた。鋭い光芒が周回軌道を掠め、加速した小さな殻は自律型なげ航行体ふねを追った。


  * * * 


 初速も加速量ΔVも微妙に足りないと気付いたのは飛び出した後でした。追いつくには軌道コース取りで上回るしかないのにあの自律型なげ航行体ふねの巧いこと、競走レース用の機体でしょうか。

 手をこまねいている間に液膜あおい星が近づいてきました。

「追いつけません、そちらは!?」

 すぐに応答が来ました。

「どこですか先輩!?」

 感応つながっておいて場所がわからないってどういうことですか。

 文句を云いかけて、後輩氏がこの星の凍結生体フリージンを模した鏡面ぎん凍体ふねに乗っていることに気付きました。後輩氏、枝を出す隙間を空け忘れましたね。とても窮屈そうです。

「間に合いませんね、追って降下します」

「自分も」

 自律型なげ航行体ふねが星の気帯に突入して強く光っています。

 続いて突入すると、気帯がお腹の下で圧縮されて、生身でも平気なくらいにぽかぽかします。殻が気帯にやすられて表面が少し溶けかけて、慌てて枝で包みました。久しぶりの温もりです。

 降下してゆく自律型なげ航行体ふねが星の輪郭に遮られ……しまった。

「見失いました!」

 後輩氏が云う。そう、重い固体じめんによる遮蔽は枝が通りません。光子や粗密波など言わずもがなです。

核破壊機構くいを組み上げるまでかなり時間がかかる筈です、探しましょう」


  * * *


 函館上空を横断した火球は網走沖に落下し、沿岸では微弱な地震と数cmの津波が観測された。

 同日、大雪山国立公園で光の巨人が目撃された。


  * * *


 十勝連峰を這うように白雲が流れていく。初夏の陽射しが眩い夢現の正午。一面の紫の花畑を臨む道の向こうから幻のように白いロードスターが現れた。

 胸の奥が重苦しく痛む。年末の事故で僕を庇って廃車になった愛車に見えてしまう。

 逸らした目の端に、無人に見えた運転席のシートが焼き付いた。

「……なあ」

 白いロードスターが滑るように速度を落として真横に停まった。

 誰も乗っていない。

 埃ひとつない真新しい車体。初夏の幻はやけに鮮明だ。火山に似た、無機質な刺激臭を漂わせている。

 夢なら、二度と覚めたくない。せめて、

「……帰ってきてくれたんか?」

 触れようとした車体は真夏の炎天下のように熱い。

 不意に車体が震えて響いたエンジン始動音で、このロードスターは無音でやってきて停まったことに気付いた。

 回転数が上がっていくエンジン音が人の声のように聴こえる。

「おそらく初めまして、ですが」

 聴き慣れた音がして運転席のドアが勝手に開いた。

「乗りますか?」

 こんなの抗えるわけがない。実は僕は事故の時に死んでいたのかもしれない、そのことに気付かずいままで彷徨っていてようやくやって来たお迎えがこのロードスターなら、都合が良すぎるくらいだ。

 体を沈めたシートは硬く、ハンドルも未だ手の脂を知らない感触。新車に初めて乗った感覚が去来して胸が詰まる。涙があふれてくる。

「……君は……誰なん?」

 風が頬の涙を吹き散らした。雲が往く音が響く。ラベンダーの香りが鼻をつき、鋭利な現実感が戻ってくる。

「通りすがりの異星の者です」

 エンジンの振動と共に確かに流暢な日本語が聴こえた。

「なんて?」

 全く予想していなかった言葉に軽く混乱した。

 いや、言葉って。

「君が喋ったん?」

 ハンドルをとんとんと叩くと、

「ええ、車体から音を出しています」

 ヴゥン、とエンジンが鳴った。

「AI? それともオペレーターさん?」

「異星の人類です。でも急いで学習したので対話に関してはAIと一緒かもしれません」

「異星って、宇宙から来たん?」

「ええ、外の方から」

 昨夜のニュースが脳裏に浮かぶ。上空を横断した巨大火球と、大雪山に現れた巨人の影。

「なにしに来たん」

 エンジンの回転数が少し落ちて微細な振動になる。深呼吸のように。

 穏やかな、けれど、張りつめた声音で、白いロードスターは言った。

「この星はいま、危機に瀕しています」

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