延宝七年 夏  蓬莱楼喧嘩始末 その2

 吉原の大店である蓬莱楼の奥の部屋に男三人。

 雑賀半兵衛と蓬莱弥九郎、そして石川新右衛門である。

 料理と酒は一流だが、女は呼ばない。

 それで石川新右衛門は察しただろう。

 外を眺めると少し早い風鈴が初夏の夜風に音を立てていた。


「まぁ確かにここで酒の一杯でも奢れとは言ったが……あの冬花大夫の頼みで済んだと思っていたぞ」

「俺もそう思っていたんだが、石川の旦那への報酬先払いって奴で」


 苦笑いする半兵衛に対して弥九郎はしかめっ面のまま。

 今回の依頼主が彼であるという意思表示である。

 蓬莱楼という楼閣の楼主である蓬莱弥九郎はこの吉原の中では大名みたいな権威がある訳で、その演出ぐらいできないと吉原の大店の楼主なんてやってられない。

 自分の利益になる事ならば何でも引き受けるし、その為ならどんな汚い手でも使い、それを表に出さずに平気な顔でやってのける忘八者たちの大名。

 それが蓬莱弥九郎である。


「で、楼主自らやってくる依頼ってのはどんな物騒な話だ?」

「……それは、私から説明を」


 石川新右衛門の言葉に返事をしたのは弥九郎だった。

 彼が今度老中になる堀田正俊の食客で、次期将軍に一番近い松平綱吉の剣術指南御付である事を理解していると目で語る。

 石川新右衛門の方も黙っていたが、蓬莱弥九郎が雑賀半兵衛を使っている大老酒井忠清側の人間である事を理解していると目で返事をしたのは言うまでもない。

 半兵衛以外は酒も料理にも手をつけない。

 そういう話だからこそ、駒を自認している半兵衛は考えるのを止めて、二人の言葉のやり取りすら肴にして目の前の酒と料理を堪能する事にした。


「この蓬莱楼に喧嘩を吹っ掛けようという輩がおりまして。

 どうか石川様の御力をお借りしたいとこうしてお願いする次第で」

「ほう。喧嘩ねぇ……」

「えぇ。何せ相手は越後国高田藩の浪人どもでございまして。

 先ごろ捕まった風魔夜盗と組んでいるとか居ないとか」

「へぇ……風魔夜盗と組んでいたねぇ……」


 さすがは大店の楼主と言うべきか、弥九郎はこういう駆け引きが上手かったが石川新右衛門もただものでなく、興味深げに顎に手を当てて考える素振りを見せた。

 とはいえ、半兵衛と組んだ事もある相手だから知っているのは間違いなく、ニヤリと笑ってこう切り出す。


「で、その喧嘩はどっちが悪いんだ?

 まさか喧嘩を売ってきた方じゃないよな?」

「いえいえ。それはもちろん売ってきた方が悪いに決まっておりますとも。

 ですが、売られた方は買うしかないでしょう」


 石川新右衛門の目つきが鋭くなる。

 傍で聞いていた半兵衛の腰が浮きかかる程度に。

 そんな殺気の中でも弥九郎は座ったままだった。


「つまり、そいつらを皆殺しにして良いと?」

「さすがに吉原と言えども、そこまで行くと角が立ちましょう。

 そのあたりの塩梅も石川様の御知恵を拝借したい次第にて」


 実にわざとらしくへりくだる弥九郎に、石川新右衛門はふむと考え込む。

 目の前の酒と料理に手を付けないあたり、どうやら本気で思案しているようだ。

 そういう所からも、この男が根っからの武人であり、剣豪でもあると半兵衛は料理に口にしつつ察した。


「よし分かった。

 半兵衛とも付き合いもあるし、知恵を貸してやろう」

「本当ですか!ありがとうございます!」

「礼を言う必要はない。

 俺も高田藩には少々思うところがあったからな。

 これで貸し一つだぞ」


 ニタリと笑う石川新右衛門だが、これが冗談でない事は分かる。

 風魔夜盗を捕まえる際に半兵衛に協力してくれた事もあり、元高田藩浪人連中が酒井忠清だけでなく堀田正俊や松平綱吉にも喧嘩を売っているのを知っていたからだ。

 だからこそ、石川新右衛門はこの件に手を貸す事に決めたらしい。

 ここまで聞き役に徹していた半兵衛が口を開く。


「で、石川の旦那。

 何か考えはあるので?」

「まぁな。

 高田藩の浪人連中はお家騒動が終われば、高田藩に帰れる連中だ。

 風魔夜盗なんぞと組むあたり、江戸に討ち入る度胸はないさ」

「石川様。それは分かりますけどね。

 でも、そんな連中がどうやって他所にうちみたいな吉原の大店に喧嘩を売るので?」


 弥九郎の言葉に石川新右衛門は、ふふんと鼻を鳴らす。

 どうやら彼なりの考えがあるみたいで、その考えを口にする。

 それは、半兵衛と弥九郎にとっても興味深い話だった。


「元々江戸の町は侍が多い。

 いるだろう?

 夜盗より腕が立ち、江戸にたむろし、喧嘩を生業にしているのに野放しな連中が」


 石川新右衛門の言葉に二人はハッとする。

 そういえば、吉原の外である江戸の町は浪人たちで溢れているが、その浪人たちだけでなく町人からも粗暴さで嫌われている連中。

 そのくせ、身分が御家人なので町奉行すら手出しがしにくい連中が。

 そんな連中の総称を石川新右衛門はもったいぶって口に出した。


「旗本奴さ」


 半兵衛と弥九郎は思わず顔を見合わせる。

 旗本奴とは、武士でありながら盗賊の真似事を行うならず者たちの事であり、戦国時代の傾奇者の気風を残し刀を佩いて町を闊歩している。

 彼らとて戦があれば活躍できたのだろうが、世は徳川太平の時代であり、その鬱憤を江戸の町人相手に晴らしていたのだから同情の余地もない。


「旗本奴が喧嘩を吹っ掛けると?」


「あぁ。彼らにとっては格好の喧嘩のタネだ。

 しかも相手は吉原の大店。

 忘八者相手に喧嘩できて、花魁相手に良い所が見せられると囁かれれば、断りはしないだろうよ」


 実は幕府とて手をこまねいていた訳ではなく、何度か火付改加役の中山勘解由に命じて取り締まりを行っていた。

 彼ら旗本奴とそれに対抗するために生まれてきた町奴の対立は、浪人問題も絡んで江戸の治安悪化要因となっていたのである。


「実はお上が目をつけている旗本奴が居てな。

 大小神祇組と呼ばれる連中で、元々は水野十郎左衛門が頭目だったが、寛文四年に切腹。

 後を継いだ奴は中々狡猾で尻尾を今まで出していないんだ」


 石川新右衛門は淡々と告げる。

 その旗本奴の頭目の名前を。


「志賀仁右衛門。

 奴はこういう喧嘩なら必ず出て来るだろうよ」

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