第81話「助けに来た」
























 海水が口の中に流れ込んでくる。

 空気のない水中で息を吸えるわけもなくて、肺に残る空気は口から出て行っては気泡へと姿を変えるだけだった。

 苦しいのに、藻掻くことも出来ない。足に絡み付いていたタコの足はいつの間にか体全体を拘束していて、まるで身動きが取れなかった。

 このままじゃ死ぬ。

 こんな時、私の能力はなんの役にも立たない。

 そうなると、私が求めるのはいつも知華子だ。心のどこかで、必ず彼女が助けてくれると信じている自分がいる。


 ちかこ…!


 心の声が届いたのか、上へと伸ばした私の手を、誰かが掴んだ。

















 手を引かれて砂浜に戻った私は、口内に残る大量の海水を吐き出して咳き込んだ。


「だいじょうぶ?」


 知華子でも新亜でもない、透き通った女性の声が耳に届く。

 驚いて声のした方向へと顔を向けたら、私の背中を撫でてくれていたらしい白い髪の美女が、心配した様子で私の顔を見つめていた。


「え…だ、誰?」


 この美人は一体…よく見たらお胸も半端じゃなく大きい。それなのに、薄っぺらい透けた布と貝殻でしか隠されてないのは…なんだかとてもいやらしく感じた。

 胸の次は意外にも筋肉質な細いお腹とおへそに目が行って、さらに視線を下へ向けた時、私の思考は停止した。


「あっ、ごめんなさい…はじめまして、ダヨネ」


 思い出したように手を胸の辺りで叩いた美女は、ニコニコと人当たりの良さそうな笑顔を浮かべた。


「えっと…ワタシは、人間語でいうと…メイ、よ。メイっていうの」

「あ…は、はい…私は香夜といいます」


 思考は追いついてないまま、たどたどしく自己紹介してくれた美女⸺メイに対して、ついつられて私も自己紹介を返す。

 私の頭が真っ白になった原因は、こんな時なのに呑気に自己紹介をし始めた彼女にじゃない。


「もしかして…人魚?」


 彼女の足が、人間のそれではなかったからだ。

 見る角度で色が変わる不思議なピンクと青の鱗で覆われて、ひらひらとした尾ひれが付いたそれはまさに魚そのもので…初めて見る人魚の姿に息を呑む。驚きだけじゃなくて、ちょっとした感動も覚えた。

 メイは照れながら「うん」と返事をしてくれる。純粋そうな感じなのに、果てしなくおっぱいの大きい美人なのが…ギャップ萌えで可愛らしくて仕方ない。


「ほんとは、もっとオハナシしたい…けどごめんなさい。いま、その時間ないの」


 だけどすぐ、困った顔とたどたどしい口調で説明してくれた。


「海のいちばん下にいるクラーケン…なんでか、あばれちゃってるの」

「クラーケン…?」

「そう。いつもはこんなに上、来ないのに…」

「香夜!」


 メイが最後まで言い切る前に、新亜が息を切らして走ってきた。


「香夜に何かしたのは君か!」


 そして怒鳴りながら、香夜の体を抱き寄せる。急に怒鳴られたメイは、焦った様子で首を横に振っていた。


「わ、ワタシちがう。香夜をたすけた」

「あ…そ、そうだったんだ。ごめんよ」


 あっさりと信じて謝る新亜を見て、知華子ならここできっと「アホなフリして騙してないでしょうね?」なんて言うだろうな…と想像した。


「でも君じゃないなら…誰が香夜を」


 水が弾けたような大きな音が響く。

 噴水みたいに水が盛り上がって、その大きな音と共に姿を現したのは、


「クラーケン…」


 その姿を見たメイが呆然と呟く。

 突然水中から現れたバカデカいタコのような何か⸺クラーケンは、水滴を撒き散らしながらその太く長い足をクネクネと動かしていた。

 夜空に浮かぶ月の明かりが照らすその姿は、奇妙で不気味な感情を、ひしひしと私の胸に与えてきた。





 










 







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る