第80話「一方その頃」
























 更衣室の前で知華子の着替えを待っていた新亜は、最近の自分の行動を反省しながらも、うまくいかない現実に思い悩んでいた。

 正直、香夜が自分に振り向いてくれる可能性はゼロに近い。それを嫌でも実感していて、それでも諦めない気持ちと、知華子への憤りで葛藤していた。もはや、今の新亜にあるのは香夜への想いよりも、単なる子供じみた意地だった。

 心の奥底の本音を漏らせば、香夜と知華子が結ばれる事に対して好意的だ。彼女達は心から通じ合っているし、自分と香夜のような見かけだけの仲の良さとは全然違う。

 悪態をつき合っていたとしても、この中身が深く相手を思いやっているのは見て取れた。心なしか、香夜は知華子に構えてもらえて嬉しそうですらある。…そんな姿を見せつけられて、どうして自分が奪えると思うのか。本当に知華子の思考回路が不思議で仕方ない。

 自分には出来なかったこと…自分がいない間、その身ひとつで香夜を守ってくれた事実にも、新亜は深く感謝していた。

 そもそも、遥か昔に魔界全土を魅了し続けていたサキュバスの女王の魔力量と能力を引き継いでいる香夜が一年以上も処女のまま無事でいられてるのは、まさに奇跡だ。その奇跡が、知華子という少女一人の存在によって生み出されたのは、尊敬を超えてもはや畏怖の念すら抱いている。

 考えれば考えるほど、香夜の相手に適切で相応しいのは知華子だ。

 その劣等感は、計り知れない。

 それなのに当の本人は何を怯えているのか…この僕にやすやす譲ろうなんて愚かすぎて見ていてイライラする。こんなにも他人にイラついたのは初めてだ。

 …それでも、あいつが簡単に諦めるのなら、僕は何がなんでも香夜を惚れさせてやる。

 それはただの、知華子への当てつけや八つ当たりのような感情でしかなかった。

 心の中で愚痴と、改めて覚悟の言葉を吐いて、新亜はまた重たいため息をついた。


「…今度は私のストーカーでもするつもり?」


 更衣室から出てきて早々、新亜の姿を見て嫌味な言葉を吐いた知華子にも、新亜のため息は止まらない。


「ストーカーって呼ぶの…いい加減やめてくれないかな」

「実際そうでしょ?」

「…そのストーカーに大好きな香夜を譲ろうとしている君は、いったい何かな。愚か者か馬鹿…あぁ、ごめん。どっちもだったね」


 笑顔で嫌味を返すと、知華子の口の端が引き攣る。


「最近のストーカーはよく口が回るのね」

「悪態だけは流暢な君には負けるよ」

「あなたと違って、必死に愛の言葉を囁くのは向いてないの。ごめんなさいね」

「人を馬鹿にしてないで、君も少しは必死になったらどう?」

「…必要ないからしないだけよ」

「それは香夜に好かれてる余裕かな?それとも……ただの臆病者かな」

「私に嫌味を言う暇があったら、愛しの香夜を口説きに行ったら?」

「最初から諦めてる君には分からないだろうね。どんなに愛を囁いても、相手が見向きもしてくれない虚しさは」


 香夜がいない二人の会話は、終始こんな調子で嫌味なまま進む。

 寂しげな表情をした新亜に、その時ばかりは流石に嫌味ではなく慰めの言葉をかけようとした知華子だったが、すぐにその表情は険しいものへと変わった。


「どうした…?」

「香夜に何かあったわ」


 知華子の様子を察した新亜も眉間にシワを寄せて聞くと、知華子は焦った様子で呟く。


「なんだって、どういうことだ?なんで分かる?」

「私の血を染み込ませた物を渡してるのよ。ある一定以上の魔力量の感知か、香夜本人の心拍数の増加やなんかで…とにかく危機を知らせてくれる優れものよ。だから間違いない、何か起きてる」

「っまずい、香夜は今ひとりだ!」

「あなたどうして香夜をひとりしたのよ!」

「そ…れは、ごめん」


 痛い所を疲れて、素直に謝った新亜は気を取り直して更衣室が備え付けられている建物から飛び出す。知華子もその後に続いた。


 そこでふと、新亜の頭に悪い考えが過ぎった。


「ちょっと…何してるの?行かなきゃ」

「許してくれ」


 足を止めて振り向いた新亜は、


「っが……う…」


 振り上げた拳を思いきり、知華子の頭に向かって振り下ろした。

 当たりどころが悪かったのか、地面に打ち付けられるように倒れ込んだ知華子は、脳震盪を起こして意識を失う。

 思い詰めた新亜の頭に浮かんだ悪い考え、それは…


「今日からは、僕が香夜の英雄ヒーローだ」


 今までに知華子が自らの力で手にした、香夜を助けるというその立場を、今度は自分が先に助けて奪い取るという…どこまでも自分勝手なものだった。









 


 

 










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