【番外編】蛟と愛乃と海
























 愛乃は激怒した。

 必ず、かの女誑しで気を持たせるような態度ばかり取る蛟を懲らしめてやらねばと決意した。

 自らの能力で蛟の体を拘束した後は、その周りに砂のお城を建てて派手なアートにした。何かのイベントか?と人が集まり、好奇の目に晒された蛟は流石に反省したのか、堪忍して謝った。


「まったくもう…せっかく会えたのに」


 社会人には貴重な夏休み、その一日を使ってまでデートのお誘いに応じたというのに、ふたりきりじゃないわ海に着いて早々他の女の所へ行こうとするわで不満を溜めた愛乃は、ひとり寂しく呟いた。

 人間界でいうところの25歳である愛乃は、社会的には大人だがノームの中ではまだまだ幼い。教師と生徒という関係性ではあるものの、精神的にはほとんど同じだ。

 これまでノームの最大の特徴である小柄な体格から、どこへ行っても幼子扱いされて恋愛の機会にすら恵まれなかった愛乃が、からかってはくるものの大人の女性として扱ってくれる蛟に好意を抱くのは必然的だった。

 蛟の接しやすい気さくな人柄も相まって、その好意は日に日に増して、いつぞやつい絆されて体を許しかけてしまったものの、最後まで手を出される事はなく…モヤモヤとした気持ちの中に愛乃は居た。


「やっぱりわたしの体が小さいから…そういう目で見れないのかなぁ」


 拘束から抜け出した蛟が、お詫びにと飲み物を買ってきてくれている間に、思い悩む。

 自分の体に視線を下ろせば、確かに華奢で幼いものの出ているところはそれなりに出ている。決して子供すぎるわけじゃないと、本人は悩みながらも自信を持っていた。

 水着だって、急遽用意したものではあるけれど、それなりに露出もあって子供っぽくなりすぎないものを選んだつもりだ。…それなのに、まるで見向きもしてくれなかった。それどころか、嬉々として美女達のもとへ駆け寄ろうとまでしていた。


「わたしって…そんなに魅力ないのかな」

「いや全然?かわいいよ」


 落ち込んで出た独り言を、あっけらかんとした声が拾った。


「はい、これ。お茶にしたよ」

「あ…ありがとう」


 渡された冷えたペットボトルを受け取って、小さく頭を下げる。自分の分も買ってきたのか、蛟は愛乃の隣に腰を下ろしてすぐ炭酸をがぶ飲みしていた。


「っぷはぁ!やっぱ炭酸は最高だな」

「……お酒飲んでるみたい」

「正真正銘ノンアルだよ、愛乃ちゃんも飲む?」


 それ間接キスする事になるもん…なんて思うのは、恋愛経験のない愛乃の乙女さ故だ。

 そんな事よりも遥かに恥ずかしい事を何度かされているというのに、間接キスひとつで動揺してしまう。この気持ちを恋と呼ばないなら、いったいなんだろう?とぼんやり考えた。


「…炭酸だめなの」

「飲めないんだ。じゃあビールとか…お酒もだめなの?」

「うん…」

「はははっ、口の中まで子供なんだね」

「ば、ばかにしないで。少しは飲めるんだから」


 蛟から子供だとからかわれるのは、他の人よりも嫌だ。だってそれは…自分の事を大人として見てくれてないような気がするから。


「…冗談だよ」


 珍しく素直にそう告げて、蛟はやけに優しい目で愛乃を見つめた。


「っう、宇崎さんはお酒飲んだ事あるの?」


 気恥ずかしくなって、その視線から逃げるために質問を投げる。


「まさか。そこはちゃんと法律守ってるよ。まだ子供だからね」

「…子供なら、変な女遊びはやめなさい」


 それは大人としての注意ではなくて、ただ単に嫉妬からくる言葉だった。

 蛟が何を思ったのかは分からない。しかし愛乃の感情の欠片くらいは伝わったのか、「そうだね」と素直に認めて頷いた。


「もし女遊びやめたら…愛乃ちゃんが相手してくれる?」

「え?」

「…なんちゃって」


 告白紛いの言葉は、すぐに本人によって茶化される。


「あたし性欲強いから。そんな事したら愛乃ちゃんが壊れちゃうね」


 困ったように目尻を下げて笑った蛟に、ついムキになって愛乃は口を開いた。


「へ、へいきだもん。わたしそんなことで壊れない…こう見えて頑丈なんだから」


 自分の胸の辺りに拳を当てて得意げな顔をする。


「…それ、どういう意味か分かって言ってる?」


 どうしてか低い声を出して、蛟は自覚のない愛乃に手を伸ばした。


「そんなかわいいこと言われたら、本当に壊れるまで抱き潰しちゃうよ」


 腰に回った手はふたりの距離を縮めて、蛟は愛乃の小さな唇に指の腹を当てた。

 しばらくお互いに見つめ合って、先に顔を近づけたのは蛟だった。

 愛乃もつい、雰囲気に呑まれて目を閉じる。ここで拒否する理由も、困った事に持ち合わせてなかった。

 人々の影に隠れて重なった唇は、そんなにすぐには離れない。相手を求めるように離れてはくっつく、それを何度か繰り返した。


「…ね、ぇ」


 落ち着いた頃、愛乃が蛟の肩に手を軽く置きながら口を開く。


「宇崎さんは…わたしのこと、その…どう思ってるの…?」


 おそるおそる、ずっと気になっていた事を聞いたら、


「分かんない」


 あっさりとした声で返された。


「わ、わからないってなによっ!…こ、こんな思わせぶりなことしておいて」

「分かんないもんは分かんないよ」


 てっきり好きと認めてくれるかと思ってたのに…傷付いた心で蛟の肩を弱く叩いたら、その手を掴まれる。


「な…に」

「分かんないけど…」


 僅かに目を細めて愛乃を見た蛟は、そのまま言葉を続けた。


「愛乃ちゃんが他のやつのものになるのは…その相手が男でも女でもやだし、離れててもずっと頭の中にいるし、こんな小さくて可愛いのにお母さんみたいなとこ落ち着くし、触ったら折れちゃいそうで怖いけど触りたいし…」

「え…え?ちょっ…」

「ほんとは今すぐにでも抱きたいのに、大事にしたいからそれができない」


 自覚なく告白同然の言葉をつらつらと並べた蛟は、ため息をつきながら甘える仕草で愛乃の体に抱きついて、胸元に顔をうずめた。


「こんな気持ちになったの、初めてなんだ…だから分かんないよ」


 拗ねたような、戸惑ったような声を出した蛟に嬉しさと呆れ半々で鼻から吐息を漏らした愛乃は、その子供みたいな頭を撫でた。

 それに反応して、金色の髪がウネウネと動きながら愛乃の手を撫でたり、甘えるように腕に絡みつく。蛟本人は無意識でそれをしているようだった。


「もう…それを好きっていうんだよ?」


 髪の一本ですら余すことなく全身で愛乃を求めているというのに、自覚のない蛟に優しい声で伝える。

 愛乃の言葉に驚いて、蛟はその顔を上げた。


「え。あたしって愛乃ちゃんのこと好きなの?」

「な、なんでそれをわたしに聞くのっ」

「まじで…?これ恋なの?」

「だからっ、わたしに聞かれてもわからないよ」


 信じられないといった顔で何かを思案した後、蛟は愛乃の肩を強く掴んだ。


「愛乃ちゃん」

「な…なに?」

「あたしと付き合って」


 自覚した途端、愛乃の全てを欲しくなった。

 そんな純粋な目で伝えられた愛乃は、断る理由も必要もなく。


「うんっ」


 満面の笑顔でその告白を受け入れた。



























「そっか〜…これが恋なのかぁ」


 海の上、水面に浮かんだ浮き輪の上に寝そべるような形で乗った蛟は、快晴の空を眩しく見上げながら呟いた。


「たくさん女の人と遊んでたのに、恋はしたことなかったの?」


 蛟のお腹の上に乗っていた愛乃は、上から顔を覗き込む。


「性欲と恋は別だからねぇ…愛が無くてもセックスは出来るから」

「…これからは、そんなのだめだからねっ。愛が無かったらえっちしちゃだめ」

「もちろん。もう愛乃ちゃん以外は抱かないよ」


 まぁもう興味もないし、と心の中で呟いて、嫉妬心を露わにするその愛しい体を抱き寄せる。

 実は愛乃と出会ってからというもの、どんな美女が現れても楽しくなかった。いくら体を重ねても募るのは虚しい気持ちと脳裏に浮かぶ愛乃の姿への心苦しさだけで…その正体が分かって本当に良かったと、蛟は密かに胸を撫で下ろした。


「宇崎さん」

「ん…?」

「あの、その…」


 急にモジモジし始めた愛乃を、ただひたすら可愛いな…とまじまじ見つめる。


「だいすき」


 照れながら言われた言葉に、蛟の目はご機嫌に揺れた。


「あたしも!大好き」


 体を起こしてキスしようとして、バランスを崩して浮き輪から落ちる。

 ふたりで海面から顔を出して笑いあった後、蛟はふと足に何かが絡みついていることに気が付いた。


「なんだ…?」


 だけどすぐに消えたその感覚に、自分の長い髪が絡んだか…?と適当な理由をつけて納得させる。

 海の奥深くへと音も無く戻っていった何かは、その姿を暗い暗い海底へと消していった。

























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