第9話「知華子のサキュバス講座」


























 知華子に定期的に血を捧げる生活も、早い事に一ヶ月を過ぎた。

 一週間に一度、私の家に来ては軽く触れてきて、前回の気持ち良さを思い出させて血を吸って、いつもはすぐに帰る知華子なんだけど、


「なんでまだいるの?」

「暇だからよ」


 珍しく今日は居座るつもりらしい。

 暇と言うわりに暇潰しに何か話をする訳でもなく、私の部屋でただただ本を読む知華子を、貧血気味な私はただただ眺める。


「そういえばさ」


 今度は私が暇になって、ふと思い付いた疑問を投げかける事にした。


「わざわざ前戯しなくても、私がひとりで気持ちよくなれば良くない?」


 私の疑問に対して、返ってきたのは呆れたような反応だった。


「あなたの自慰を見てろって?なに、そういう趣味なの」

「いやいや、そうじゃなくて。知華子が来る前に気持ちよくなってれば、血を吸って帰るだけで済むじゃん」


 本格的に話をしてくれる気になったのか、知華子はパタリと本を閉じた。


「そもそもあなた、自慰した事ある?」


 そう聞かれて記憶を掘り返してみたけど、海馬の中にそんな記憶はない。つまり、私は自慰なんてした事がない。

 何も言わず首を横に振ると、「でしょ」とだけ返ってきた。


「しようと思った事もないかも」

「当たり前よ。それがサキュバスの特性なんだから」

「なにそれ。私知らない」

「はぁ…まったく。本当に自分のこと何も理解してないのね」


 呆れながらも、説明してくれる気持ちはあるようで、知華子は話を続ける。


「サキュバスは基本的に、他人から受けた刺激にしか反応しないのよ。だから自慰はしない…というか、できないわ」


 サキュバスマスターの知華子が言うには、それはごくごく自然な事なんだとか。


「そもそもどうして人間は自慰をするんだと思う?」

「えぇ…気持ちよくなりたいから?」

「色々あるけど、一番はそれね。結局は快感を得るためにするのよ。で、快感を得たらどうなる?」

「満足する」

「そう。満足したら、次は?」

「え。それで終わり」

「まぁそうなるでしょうね」


 順を追って説明してくれてるんだろうけど、何が言いたいのかいまいちよく分からなくて小首を傾げる。


「基本的には満足してしまったら、それで終わり。ひとりで事足りちゃうってことは、言い換えれば他の人とセックスする機会が失われる危険性があるってわけ」

「うん」

「サキュバスは他人の精力を糧にして生きるから、そうなったら困るでしょ?」

「たしかに」

「だから特性…習性とも言えるわね。とにかく、セックスのためにサキュバスは自慰行為をしないの。極まれにする場合もあるらしいけど…それは本当にレアケースよ」

「へぇー…そうなんだ」

「自分で触っても気持ちよくならない、もしくはなりにくいから私が手伝ってるってこと。理解できた?」


 つまり、私はひとりで致しても気持ち良くならないから知華子が気持ちよくなる手助けをしてる…と。


「ん?でも私、最近は思い出して気持ちよくなってるだけだよ。知華子は何もしてないじゃん」

「……馬鹿ね」


 癪に障ったのか、物凄い不機嫌な目を向けられる。


「思い出すように、誘導してるのよ。あなたひとりで思い出して気持ちよくなった事あるの?」

「………ない」

「でしょ?感謝しなさい」

「はーい」


 言い方は腹立つけど…なんだかんだ、こういう事を丁寧に教えてくれる知華子は優しいのかもしれない。

 ほんの少しだけ、見直した瞬間だった。









 













「ちなみに」

「ん?」

「私の時には感じにくくて、触手の時にはすぐ感じてしまった理由もちゃんとあるのよ」

「え。そんなのも分かるの?」

「ええ、サキュバスについては調べ尽くしたからね。話を戻すわ。いつも私との時は比較的…あなたリラックスしてるでしょ?」

「う、うん…まぁちょっとは緊張するけど」

「触手の時はどうだった?」

「怖かったよ。危なくて…変にドキドキしたし」

「その影響よ」

「え?」

「性的興奮じゃなくても、恐怖を抱いたりして脳が興奮状態になると、サキュバスは濡れやすくなるの。防衛本能の一種ね。これに関しては人間も似たような事が起こるわ」

「そうなんだ…」

「だから意図せず感じてしまっても、そんなに落ち込まなくてもいいのよ」


 それは知華子なりの、遠回しな慰みの言葉だったのかもしれない。

 案外、いいやつかも…?

 そんな説明をされた事なんてすっかり忘れて、私がその事に落ち込む時が来るのは…また少し後の話だ。






















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