第6話「遅れて登場」
「あら…大変なことになってるわね」
やけにのんびりとした、この状況には似つかわしくない静かな声が耳に届く。
「えっ!?お前、どこから」
驚いて立ち上がった先生の手が離れて、顔を持たれていた私は支えがなくなったせいで床に顔を軽く打ち付ける。もう自分で顔を上げられないくらい、体に力が入らない。
革靴の音が響いて、細い足が視界に入ってきた。
「ちか…こ」
「うん、いい感じね」
私の顔を覗き混んだ知華子は、満足げに微笑んだ。
「私の香夜が気を失う前に…さっさと片付けないと」
余裕綽々で呟いて立ち上がり、その後は何をどうしたのか。
うまく回らない頭ではよく分からないまま、先生の断末魔の叫びと、段々と肌への締め付けが緩くなっていった触手の感覚だけを感じていた。
準備室内が静まり返るまで、数分も経ってないと思う。
気が付けば消えていた触手の感覚に気付いた頃には、私はもう知華子の腕の中へと収まっていた。
「具合はどう?」
「……さい…あく」
「まだ気持ちいいの残ってる?」
ついにこの女までイカれたか…と思いつつ、正直に頷いて答える。
「ふふ。じゃあ遠慮なく」
「え…?や、だ」
肌の白い綺麗な顔が近付いてきて、だらんと力の抜けた私の首元へと吸い付くように唇を当てられた。その後すぐ当たった牙の感覚に、体が自然と強張る。昨日のあの強烈な痛みが、鮮明に頭の中を駆け巡った。
もしや…と嫌な予感がしたけど、今の私に抵抗できるほどの力を出せるわけも無く。
「いただきます」
「っん……んんん…!」
予想と反して、痛みじゃない…気を失うほどの刺激が脳天を貫いた。
溜まりに溜まった欲望が一気に解放されて、体が何度か痙攣を繰り返す。私の意識は、そこでプツリと途絶えた。
「なんですぐ助けに来なかったの」
目覚めてしばらくして、私は第一声に苦情の言葉を吐いた。
「血を吸う機会を伺ってたのよ」
私の事を軽々とおんぶしている知華子は、悪びれもなく言う。
一度感じれば血を吸っても快感に変わる事を踏まえて、私が感じる展開になるまで待って、あえて遅れて来たらしい。本当は準備室に入る前、なんなら私が教室を出た頃には異変に気が付いてたとか。
もし私が何も感じなくて、ずっと不快なだけだったらどうしてたの?とか疑問に思ったけど…そこはサキュバスである私の体質を信じたんだろうと容易に想像がついた。この女は私よりもサキュバスの事に詳しいから、きっと確信あっての行動だって分かる。
細いようで広い背中に体を預けながら、さらに文句を言ってやろうと思ってたけど、出てきたのは安堵のため息だけだった。
「まじで犯されるかと思った」
「もう犯されてたじゃない、触手に」
「まだ処女だからセーフ」
「サキュバスの基準はゆるゆるなのね。股もそのくらい緩ければ、わざわざ私がこんな事しなくて済むっていうのに」
「…あんた、最低なこと言ってる自覚ある?」
「冗談よ。無事で何よりだわ」
その言葉が本心なのか、はたまたある種の嫌味なのか。
どうでもいいけど、私に対して一ミリも悪いだなんて思ってなさそうなのは確かだ。
相変わらず嫌なやつ。
出会ってまだ2日目で、ついさっき仮にも助けられたばかりだというのに…私は早くもこの知華子という女を、好きになれそうもなかった。
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