婚約

「私ね、もう勝也君のこと諦める」

「……は?」


 結末は、唐突にやってきた。


 いつも作戦会議をしていた喫茶店で友里香ちゃんが放った一言に、私はガラにもなくうろたえた。


「ま、まって。なんで急に……」

「私、もう三十歳手前でしょ。いつまでも勝也君勝也君言ってられないなって」

「いや、それはそうなんだけど……」

「いい歳して運命、運命って。ちょっと痛いよね」

「まあ、確かにそうなんだけど」

「どうしてあんな無駄なことしてたんだろう。バカみたいだよね、私」

「うん。その点については何の反論もないんだけど……」


 これはいったいどういうことだ。


 今まで私が何度言っても聞く耳を持たなかった正論が、友里香ちゃんの口から滾々と流れ出してくる。


 友里香ちゃんの言葉は何一つ間違っていないのに、全く耳に入ってこない。バリバリの外国人が流暢な関西弁を話してるみたいで違和感が凄い。脳の処理が全然追い付かない。


 混乱する私の前に、すっとスマホが差し出された。

 スマホの画面には、男の人が映っている。少しふくよかで、優しそうな顔をしている。多分、私達より少し年上だ。


「私、結婚するの。この人と」

「へ?」


 自分の口から、情けない空気が漏れたのを感じる。


「け、結婚?」

「そう。会社の先輩。少し前にプロポーズされて……OKした」


 口角は上がっているが、友里香ちゃんはの口調は淡々としている。表情がコロコロ変わるいつもの顔じゃない。


「でも、勝也君は? もう好きじゃなくなったってこと?」

「ううん。今でも好きだよ」

「だったら!」

「でも、もういいの」


 友里香ちゃんはまっすぐ私の目を見つめた。

 長い付き合いだ。それだけ見れば十分理解できる。


「自分が好きな人よりも、自分を好いてくれる人を大切にするべきだって。その方が、幸せになれるって。そう思うようになったんだ」


 生半可じゃない。これは彼女が悩んで悩んで、悩みぬいて出した結論だ。


「そう……なんだ」


 だとしたら、私にできることは。


「じゃあ、おめでとう、だね」

「うん。ありがとう」


 彼女の選択を、祝福してあげることだけだ。


「なんだよー。全然そんな気配みせなかったのに!」

「ごめんごめん! 色々手伝ってもらってたから言いづらくって」

「親友でしょー。なんか傷つくなぁ」

「ごめんってば!」


 私達は、少しわざとらしいくらい明るい声で話した。

 まるで、覆いかぶさってくる何かを振り払うみたいに。


「そっかー。友里香ちゃん結婚かー。結婚式は呼んでよね」

「もちろん。友人代表の挨拶してよ」

「え! ホントに? どうしよう、緊張するなぁ」


 ヘタクソなお芝居みたいな会話だった。

 それでも私は無理矢理言葉に感情を込めた。


「相手、どういう人なの?」

「えっとね。三つ上の先輩で、優しくて、落ち着きがあってね」

「うん」

「本が好きで、車に詳しくて、美味しいレストラン沢山知っててね」

「うんうん」

「でも、結構舌が子供だからオムライスとかが好きで、私が作ると喜んでくれて……」

「うん、うん」

「……ねえ、よしこちゃん」

「どうしたの? もっと聞かせてよ」



「どうして泣いてるの?」

「……え?」



 そう言われた瞬間、頬を伝った涙が手のひらに落ちてくるのを感じた。


 あれ、なんで私泣いてるんだろう。


「あれ、なんでだろ、なんか、悔しくって」

「悔しい?」

「だって、私、知ってるんだもん」


 あなたがどれぐらい勝也君のことが好きだったかを。


 確かに友里香ちゃんがしてきたことは、正しさとは程遠い。


 遠回りだった。

 間違っていた。

 バカみたいだった。


 だけど、ずっと本気だった。


 本気で勝也君を、運命を引き寄せようとしていた。

 その想いを知っているから。一番近くで見てきたから。


「だから、悔しいんだ。なんか負けたみたいじゃんか」

「……そっか」

「ごめんね。ほんとにつらいのは、友里香ちゃんなのに」

「ううん。そんな……」

「今日はもう帰るね。次はちゃんとお祝いするから」


 今日はもうだめだ。頭の中がぐちゃぐちゃだ。このままじゃ、彼女の決断を祝福できない。

 財布から一万円札を引っ張り出して、テーブルに置いて席を立つ。


「お釣りはいいから、早めの御祝儀ってことで」

「ま、まって!」


 立ち去ろうとする私を引き留めるため、友里香ちゃんも立ち上がった。

 その瞬間。


「あ、れ?」

「友里香ちゃん?!」


 一瞬目が虚ろになり、友里香ちゃんは不自然な体勢で地面に倒れた。

 ドサッとひどく不吉な音が店内に響いた。


「友里香ちゃん? ねえ、友里香ちゃんどうしたの?」


 呼びかけに反応しない。顔からは血の気が引いており、ぐったりしている。

 異変に気付いた店員が、すぐに携帯で救急車を手配し始めた。


「友里香ちゃん、友里香ちゃん!」


 救急車が来るまで、私は手を握り、名前を呼び続けた。

 そうしないと、彼女がどこかに行ってしまいそうだった。

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