濃ゆメンに囲まれた職場での「きゅん」は、私の心の中にあるやさぐれを浄化してくれました。
小花衣いろは
濃ゆメンに囲まれた職場での「きゅん」は、私の心の中にあるやさぐれを浄化してくれました。
これは、しがない事務員として勤めていた時、日々の残業激務でやさぐれていた私が、不意打ちで「きゅん」とさせられたエピソードである。
私はその職場で、あらゆる雑務をこなしていた。
コピー取りから電話対応、マニュアル作りに顧客管理、来客対応にデータの入力などなど……挙げだしたらキリがない。
繁忙期ということもあり仕事は多忙を極め、ほぼ毎日残業の日々。
しかし、元々のお給料が良いことに加え、残業代がとんでもなく良かったので、激務でも腐ることなく頑張ることができた。
そんな職場には、変わった人が大勢いた。
例えば、その①。
掃除のおば様。
彼女との初対面で掛けられた言葉は、これだ。
「あら、これからランウェイかしら?」
…………????
私の頭の中に、大量のハテナが浮かび上がった。
「えーっと、ランウェイというのは……?」
「あら、だってそのマーメイドスカート、とってもステキでしょう? ランウェイ会場は、この二階よ。ふふ、ランウェイランウェイ~」
――うん。やっぱり意味がわからなかった。
それから私は、掃除のおば様に会うたびに「マーメイドちゃん」と呼ばれるようになった。
対する私は、心の中で掃除のおば様を「ランウェイさん」と呼んでいた。
例えば、その②。
私の左隣に座る、私より少し先輩に当たるおじいちゃん。黒井さんだ。
彼は毎日のように職場に対する不満をこぼしていたので、それにウンウン相槌をうちながら業務をこなしていた。
そんな黒井さんは、同部署の先輩方に対して、突然、怒りだすことがあった。
「俺たちはなぁ、アンタたちの言うこと何でも聞く手駒じゃないんだよ! なぁ、分かるか? 言えば何でもやると思って、俺たちがどうなってもいいと思ってんだろ!? 小花衣さんだってなぁ、毎日頑張って働いてるのに……なぁ、小花衣さん!?」
……お願いですから、私に話を振らないでください……。
心の中で呟きながら、私は曖昧に笑って返す。
そんなこともあり、扱いに困ると陰で噂されていた黒井さんだったが、そんな黒井さんが、私は嫌いではなかった。
仕事に対する不満がたまっていたのは私も同じだったし、言い方に問題はあったものの、上の人たちの顔色をうかがうことなくそれを口に出せるその姿に、多少なりとも尊敬や憧れの念を抱いていたからだ。
それにいつも「小花衣さんは優秀だ」って、褒めてくれたしね。
ただ、私が一生懸命に描いたネコちゃんを「ブタ」呼ばわりしたあの件に関しては、いまだに根に持ってますからね。
例えば、その③。
別部署の課長代理。島田さん。
部署はちがうけど、職場内で会うたびにいつも気にかけてくれた、優しい上司だ。
「小花衣さん、明日は休日出勤することになったんだって?」
「はい、仕事の終わりも見えないので……」
「まぁ、今はどこも忙しいからねぇ。小花衣さんが出勤するなら、俺も明日出勤しようかな?」
言葉だけ見たら軽いチャラ男にも思えるが、全くそんなことはない。
代理は癒しオーラを放っている(?)のほほん系おじ様である。
そして、翌日。
休日出勤したけれど、そこに代理の姿はない。まぁ元々休みなのだし、あれは冗談だったのだと、特に気に留めることもなかった。
私は思いのほか早く仕事が片付いたので、その日はお昼で退勤したのだが……。
休みが明けて、翌日。
すれ違った代理に、呼びとめられた。
「そういえば小花衣さん、あの日はお昼で帰ってたんだね」
「はい、そうですけど……何で知ってるんですか? ……まさか、」
――そのまさかだった。
何と代理は、休日だというのに、本当に職場に顔を出していたらしい。
皆の分のお菓子を持って。
午前中は子どもたちの送迎をしていたというのだから、本当に、良いパパ良い上司すぎる。
こうして代理の株は、私の中で日々グングン上がっていった。
ただ、ひと気のない廊下で、代理が一人デスヴォイスを出す練習をしていたあの光景が――私は今でも忘れられない。
「あ、あっ、あっ……オ゛ォ゛ォ゛―――」
あれは何の練習だったのだろうか……趣味……カラオケとか……?
でもそれを職場でするものだろうか……?
未だに理由が気になっているので、あの時見て見ぬふりをしないで、聞いてみてもよかったなと思っている。
そんな濃ゆい人たちに囲まれながら仕事をこなすこと、数か月。
新しいメンバーとして、私の部署に新人二人がやってきた。
名前は、山田さんと佐川さん。
仕事がバリバリできる凄い先輩が大勢いる中、なぜか入社数か月の私も、二人の指導を担う役目をすることになった。
黒スーツが似合う、落ち着いた雰囲気を持った佐川さんに比べて、小学生のお子さんを持つ母の山田さんは、中々にパワフルな方だった。
「小花衣さん! これとこれ、私やっちゃいますね!」
「あ、待ってください、先にこの説明を…「あ、テンキーってありますか? 私あれがあった方が早く入力できるんですよね~! というかお腹すきません? お菓子食べてもいいですか?」
――ぱ、パワフル! そしてフリーダム!
空気にのまれて毎度説明に苦戦する私だったけれど、もう一人の佐川さんはいつも、うんうん頷きながら私の説明を聞いて、優しい笑みを向けてくれていた。――この時から、私は佐川さんに、絆されていたのだと思う。
そんな新人さん二人が加わり、一週間と少しが経った、ある日のこと。
黒井さんや山田さんが定時で上がり、その他のメンバーは残業という、いつもの光景ができあがっていた。
私もこの仕事が終わったら、今日は早めに上がろう。
そう考えながらPC画面とにらめっこをしていた、その時。
姿が見えないと思っていた佐川さんが、戻ってきた。
「小花衣さん、お疲れ様。今日も残業ですか?」
「はい。この仕事、キリの良いところまで終わらせちゃいたいので……」
「それじゃあ、これ」
そう言って私のデスクに置かれたのは、午後の紅茶の期間限定のフレーバーのもの。
午後の紅茶は、私がよく好んで飲んでいるものだ。
「え、これ……頂いていいんですか?」
「はい。頑張ってる小花衣さんに」
え、笑顔がまぶしい……。
お礼を言って、紅茶で喉をうるおす。
「小花衣さん、いつもこれ飲んでましたよね? 店で見かけて、小花衣さんの顔が思い浮かんだので」
そう言って、はにかみ笑顔を向けてくれる佐川さんに……ときめかない人がいるであろうか? いや、いないだろう。修辞法の一つ反語である。
「あれ、あんまり好きじゃなかったですか?」
「……っ、だいすきです!」
「それなら良かったです」
そう言って佐川さんは、もう一本、同じ味の午後ティーを取り出して見せる。
「普段はあまり飲まないんですけど……気になって、自分の分も買っちゃいました」
え、えぇ……。同じの買っちゃったの? 気になったから?
というか、何て爽やかな笑顔なんだ……。
心の中が、「きゅん」で埋め尽くされていく。
そして、こっそり仕事の愚痴なんかをこぼし合いながら、二人で並んで業務をこなしたのだった。
佐川さんとは、あれ以来会えていないけれど……あの時の私の、心のオアシスでした。
退職時に頂いたお菓子も、美味しかったです。
佐川さん、元気にしてるかな?
あの時は言えなかったけど、私にとって、佐川さんは、
――――優しいお母さんみたいな、存在でした。
またどこかで会えたら、挨拶がしたいなぁ。
濃ゆメンに囲まれた職場での「きゅん」は、私の心の中にあるやさぐれを浄化してくれました。 小花衣いろは @irohao87
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