第10話 選択肢が消える音

 女はそこでようやく言葉を発した。喉の奥で何かが詰まっているような、掠れた声である。栄養不足、衰弱と疲労によって声が掠れたのだろうか。もしかすると、喉に傷を負っているかもしれない。

 叫び続ければ、こんな声になる。スクードはそう考えた。


「死にたいって思っててもいいから、一緒に逃げてくれよ」

「・・・・・・お前だけ逃げろ。私はもうどうでもいいんだ」

「ここにいたら盗賊に襲われるだけだって。奴隷として売られるか、弄ばれるか、わからないんだぞ」

「・・・・・・子どもらしくないな。いいから早く逃げろ」


 何を言っても、女は動こうとしない。スクードの中に焦燥感だけが募っていく。盗賊たちがここを離れてから経過した時間は、ちょうど大人の足で林を往復する時間と同じくらいだ。

 スクードを探しながら盗賊が林を進んでいるとなれば、もう少しだけ猶予はある。だが、残された時間はそう多くないことも事実だ。

 それでも何故かスクードは、逃げたくない、と思った。

 女が美しいから、という三十歳の下心が働いたわけではない。とは言い切れないが、ここで逃げれば後悔するだろうと思ってしまったのだ。


「嫌だ。一緒に逃げてくれないなら、僕もここに残る」


 スクードが言い放つと、女は力の入らない顔で呆れた表情を浮かべる。


「だから子供は嫌いなんだ。お前も奴隷として売られるぞ」

「ああ、そうだね。どうやら、変態に売られちゃうらしいよ」

「ボンボンが・・・・・・奴隷の辛さを知らないだろう。馬鹿なことを言ってないで、早く逃げろ」

「嫌だって言っただろ。あなたが逃げてくれないなら、僕も逃げない」


 決死の説得。いや、命をかけた脅迫のようなものだ。

 この女が自分の命に興味がないのなら、スクードの命もその舞台に乗せればいい。そう考えたのである。

 すると女は苛ついた様子で、眉を顰めた。


「ふざけるな・・・・・・お前は関係ない」

「関係あるよ。目の前に救える命があるのに、ここで僕だけ逃げたら見殺しにしたのと同じだ。命の責任を感じ続けることになるよ。まだ四歳だからね。多分、五十年くらいは引きずる」

「・・・・・・そんなもの感じる必要はない。お前の目の前にいるのは死人みたいなものだ。呼吸はしていても生きてはいない。命の責任がどれほど重いかも、お前はまだ知らないし、知る必要もない」


 意地でも引かない女に対して、スクードはだんだん腹が立ってきた。こうなったら意地だ。


「知らないね。あなたと一緒じゃなきゃ、僕は逃げない。もうそう決めたんだ!」

「勝手に決めるな! お前だけでも逃げろ。ここにはもう誰も残っていなかった。それでいい」

「僕、記憶力は良い方なんだよ。五十年引きずるって言ってるだろ」

「いいから早く逃げろ。お前だけでも助かれば」


 女がそう話している途中、スクードは背中に強い衝撃を受け、女の方に吹き飛ぶ。


「ぐあ!」


 スクードの苦痛の声を掻き消すように、下品な声が響いた。


「残念だったな、どっちも助からねぇ! それが答えだ!」

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