三角錐

谷沢 力

三角錐

コンビニでカップラーメンと幾らかのスナック、明太子おにぎりを買って帰ると六畳一間の中央に三角錐が鎮座していた。

大体高さが1メートル、底面はおそらく一辺30センチくらいの正三角形だろう。表面は銀色でツルツルしていて、きれかけの蛍光灯の少し黄色がかった白を反射している。

子供の頃に見た特撮ヒーロー番組の怪獣にこんなのがいたな。と思う。確か「異次元超獣」みたいな名前だったっけ。

そんなことを考えていてもとりあえずお腹は空くのでお湯を沸かしてカップラーメンを作り明太子おにぎりと一緒に、食べる。

割り箸がうまく割れずにミシと嫌な音を立てた。

やたらと味の濃いスープを飲み干しながら、この三角錐について考える。宇宙人の作った戦略兵器なのだろうか。今にパカッと開いてタコみたいなのが出てくるかもしれない。

それとも某国のスパイが使う通信機械だろうか。僕の部屋があまりにみすぼらしいので空き家と間違われたのかもしれない。

もしかしてタチの悪いイタズラだろうか。いやいや、それはないだろう。見知らぬ人間の部屋にやたらとツルツルしている三角錐をおいていくいたずらなんてあるものか。そもそも僕にはイタズラを仕掛けてくるような友達は、いない。

夜も老けてきたので布団を敷いて、寝る。

三角錐が部屋の真ん中に鎮座しているのでスペースがなく、どうしても寝苦しい。


          ◯


新しい朝が来た。絶望の朝だ。

僕は朝というものが嫌いである。朝というものは否応なしに人を夢見心地から現実へとせき立てるし、それはつまり辛く苦しい1日の始まりだからだ。

瞼を持ち上げて時計を見ると短い針は10のところを指している。さらに目を凝らすと長い針も見えてくる。

午前10時26分。これが今の時刻のようだ。

布団から這々の体でいでてぐるりと部屋を見渡した時、やはり目につくのは銀色の三角錐である。

太陽の光をいっそ忌々しいと言って良いほどに反射してキラキラと輝いている。

「こんにゃろ」と言って蹴ってみた。

じぃんという痛みが足を駆け巡った。転げそうになって、三角錐に慌てて手をついた。ひんやりしていた。

98円で買った惣菜パンを牛乳で流し込み、もう一度向き直る。

しげしげと眺めてみる。自分の顔が写っている。

しばらく見つめていると、あまりにも悲しい気持ちになってきた。

そうだ。少年の頃の僕はそれなりに優秀で将来有望だったのだ。小学校とテストは基本的に100点満点だったし50mだって7秒で走れた。夢もあった。ダメな少年を助ける猫型ロボットを作りたかった。あの頃、未来や将来といった言葉は僕の掌の中にあって、そして、輝いていた。裏山から見える夕暮れは綺麗だった。

あの日から10年、今、目の前に写るのは夢破れてうらぶれた哀れな負け犬の姿である。

一浪して自分の身の丈に合わない大学に入ったもののディラック方程式に打ち負かされてからというもの講義にも行かず、友達も作れずにコンビニと六畳一間を行き来するだけの人間。退廃と不安に押しつぶされそうな惨めな一存在だ。掌の中で光り輝いていたはずの未来や将来はいつの間にか手の甲をすり抜けて、手の届かないところから僕を嘲笑していた。

僕は立ち上がって自分の顔が映らないよう細心の注意を払いながら部屋の隅へと移動し、三角錐をみた。自分の部屋の中でさえ隅っこに追いやられる自分があまりにも情けなく思われたので、せめてもの抵抗として仁王立ちになり、腕を組んで睨みつけた。

三角錐はやはり、光を反射して白く、白々しいほどに白く輝いていた。


          ◯


こんな夢を見た。

“それ“は、異次元からの闖入者だった。

異次元は、あまりにも寂しいところだった。悲劇も喜劇もない、安らかな世界だった。

寂しい世界の中で、一つの意識が生まれた。それは寂しい世界に一度だけ起きた、奇跡だった。僕らの世界にはありふれていて、掃いて捨てるほどある、奇跡だ。

意識は肉体を得た。僕たち人類には想像することもできない、異次元の肉体である。

肉体を得た意識は、刺激を欲した。奇跡の落とし子である“それ“にとってその安らかなる世界はあまりにも退屈だったからだ。

劇的なるものを欲した意識は、僕らの世界へと舞い降りた。その際、この世界の住人には不可知である“それ“は三角錐を投影した。三次元のコップがカゲとして、円や長方形を二次元の世界に投影するように。

“それ“はこの世界を彷徨い続けた。異次元から来た彼にとって、時間というものは意味をなさない。つまり、“それ“にとって過去と現在と未来は全て同じものであり区別する必要はなかったので、“それ“は僕たちの時間感覚で何十億年もの歳月をを旅した。

“それ“は初め生命に興味を持った。生命は“それ“とは比べものにならないほど小さくて弱々しいけれど、確かに「意識」と呼ぶべきものを持っていたからである。

「自らは単一の意識のみしか持ち得ないため劇的なるものは生まれ得ないが、複数の意識を共有する『生命』というものならば劇しい何かが生まれるのではないか」

“それ“はそのように思考した。そして生命の観察を始めた。

しかし、生命は単調だった。“それ“は観察を始めてすぐに生命には幾らかの差異があることに気がついた。つまり種の存在を知った。それはなるほど、確かに一つの発見であったけれど、あくまで厳然たる事実でしかなくそのことは劇的なるものではなかった。

そして生命は、その歴史の大部分をただただメインの種が入れ替わることに浪費していった。

意識の集合体である生命は、進化することなくただただ自己の中で絶え間ない闘争を続けていた。

“それ“は思考した。

このまま見ているだけではならないと。

劇的なるものを欲するのならば、自分も動かねばなるまいと。

その思考の果てに、自らの手で生命が陥っている自律進化のどん詰まりを解消してやらねばならないと決意した。

“それ“はいくつかの種に自立進化を促すプログラム、すなわち知性をインストールした。

知性は限りない欲求に基づいた限りない探求と研鑽を可能にする、いわば生命進化のエンジンのようなものである。

知性は野蛮とも言えるべき野放図さで爆発的に肥大していった。

そして、宇宙に偏在するいくつかの場所に、文明が築かれた。

“それ“は文明に興味を持った。文明は、知性を持った意識の集合体であったからだ。

知性を持った意識の集合体ならば、生命進化の果てに、劇的なるものを生み出せるのではないかと目論んだからだ。

結論から言えば、その目論見は失敗に終わった。

文明の中で無数の意識が織りなす壮大なタペストリーは、結局のところそれまでに生命がおこなってきた闘争、少しでも自分の種を多くしようという浅ましい闘争の縮小再生産でしかなかったからである。

けれども、文明は決して無意味ではなかった。

文明が“それ“に対してもたらしたものは二つある。

一つは物語だ。

文明はある一定の水準を超えると物語を生み出すようになる。物語とは即ち、浅ましい生命の躍動を知性と想像によって華美に飾り立てたものである。

結局根本のところは種の持つ欲望に依る行動であるために、それはついぞ本物になることはなかったけれど、劇しいものを作り出そうという知性の苦闘の跡が垣間見られた。

もう一つは感情である。

“それ“は感情というものを知らない。“それ“が持つのは劇的なるものを求める剥き出しの欲求と、全てを総て統べる力のみであるからだ。

感情は欲望に裏打ちされた知性と知性に裏打ちされた純なる知性のせめぎ合いである。

感情は個人が所有するちっぽけなものではあったが、そこには本物の、砂金のような輝きがあった。

詰まるところ、この二つには劇的なるものの片鱗が見え隠れしていたのである。

“それ“はまた、思考した。

この片鱗を逃さないためにはどうすれば良いのかを黙考した。

思考した結果、よくわからなかった。

“それ“は物語も感情も持たないので、当然である。

ので、実際に試した。何万回も何億回も、あらゆる文明をめぐって試行した。

而して、結論を得た。

種は、個体は、滅ぶ際に最も大きく感情を揺さぶり、その物語を脳に刻むのだ。

滅びの規模も試した。あるところでは一個体を滅ぼすのに何千年もかけ、あるところでは一瞬にして星ごと、種ごと滅ぼした。

規模によって生まれる劇的なるものの火花は、種、個体によってまちまちのようだった。

“それ“は旅をし続ける。様々なものを滅ぼして、その片鱗を集めながら。劇的なるものを欲して。


          ◯


そして“それ“、三角錐はある男の、六畳一間に降り立った。


          ◯


すんと、甘酸っぱい匂いがして目が覚めた。

瞼を開けると、目の前に真白な百合が鼻の先で咲いていた。

六畳一間の中央には相変わらず三角錐が鎮座している。

ふと窓の方を見ると、窓は真黒く塗りたくられていた。

いつの間にか夜になっていたらしい。

小腹が空いたのでコンビニにカップラーメンを買いに出ることにした。

チンケな玄関先で靴を履き、ペラペラの扉を開ける。

冷たい一陣の風が、僕の頬を撫で切りにする。

ぶるりと身震いしてから、はて?と考える。先ほどの夢はどこからが夢だったのだろうと思う。

最初の方は、僕が将来のただぼんやりとした不安から逃れるために考えていた妄想の類だったと思う。いつの間にか眠ってしまったのだ。

もしかしたらあの夢は真実だったのかもしれない。異次元の存在たる三角錐がこれから僕の想像もしない方法で滅ぼされる僕自身をかわいそうに思ってわけを説明してくれたのかもしれない。

いやいや。

そんなわけがない。あの夢が真実ならば“それ“は感情など持たないはずなのだから。

そんなことを考えながら僕は冬の寒空を、コンビニを目指して歩いていく。

あれ?

昨日は確かにここにあったはずのコンビニがない。何だか用途のよくわからない幾何学的な建物になっていた。

仕方がないのでちょっと辺りをぶらついてコンビニを探す。こうして歩くと、昨日までと待ちの様子が微妙に違うことがわかる。

大きな区画整理でもあったのだろうか?いや、いくら何でも一晩で変わるわけがない。

みたいなことを考えながら雪道を歩いていく。

もしかして三日位寝てたとか?

最悪の予想が脳裏をよぎる。

その時、ようやくコンビニを見つけた。

コンビニに入って、まず壁にかかっている時計を見る。

午後8時43分、これが今の時刻のようだ。

次に、日にちを確かめるために新聞を手に取る。


          ◯


そこには、昨日から数えて100年後の日付が書かれてあった。

どうやら僕は、100年後にきてしまったらしい。

仕方がないので未来カップラーメンを買った。

雪道の中を六畳一間を目指して歩いていく。

その歩みは次第に小走りになり、やがてスキップになる。

案外あの夢も嘘じゃないかもしれないな。

そんなことを思った。

はっきり言って、僕は興奮していた。楽しかった。

退廃と不安に押しつぶされそうな男は、もうこの世にはいなかったからだ。

今ここにいるのは、何か運命的なものに巻き込まれた壮大なドラマの主人公だったからだ。

だから僕はスキップをして、雪の降る道で踊ったのだ。

六畳一間に鎮座する、あの三角錐こそが、僕にとっての義気的なるものそのものだったのだ。

あの夢が本当だったなら、僕はいずれ、ひどい方法で滅ぼされるだろう。けれど、そんなことはどうでもいいのだ。この、劇しい一瞬こそが魂の舞踊こそが、人生のキモなのだ。

僕はあの、三角錐のある六畳一間に帰って、未来カップヌードルを啜った。

目覚めの時僕の目の前に咲いていた花に、一滴の梅雨が落ちて、白い花弁が揺れた。僕はそれに接吻した。

部屋の中央にある三角錐は、莫迦のように大きな月の光を一心に受けて、これまでにないくらい白く輝いていた。

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三角錐 谷沢 力 @chikra001

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