第16話 この世界

 エンカー村であわただしく体制を整えて、畜舎に鶏舎、乾燥小屋といった建築ブームに忙殺されているうちに、あっという間に三ヶ月半ほどが過ぎた。


「いえ、もちろんこうなるといいなぁとは思っていたのよ。でも、まさかここまで上手くいくとは、さすがに予想していなかったわね」


 雨季を終え、エンカー地方には本格的な夏が到来していた。よく晴れた空に乾いた風が吹いていて、気持ちのいい夏の昼下がりだ。


「そんなことを仰って、すべてメルフィーナ様の計画通りなのですよね?」


 ――いやあ、それはどうだろう。


 マリーのどこか誇らしげな言葉に胸の内でそんな返事をつぶやきながら、目の前に広がる光景に視線を奪われたまま、中々戻って来ることが出来ない。

 農奴の集落から見渡す限り、荒野の新規開拓地は青々とした畑が広がっていた。


「端から端までだと馬車を使っても二刻ほどかかるので、後から拡張した分は世話に向かうのが大変ということもあり、一時的に集落を二つに分けました。森の西の開拓を受け持っていた農奴の集落も、そちらに合流してもらっています」


 きびきびと報告するマリーの言葉に頷きつつ、畑の傍でしゃがみこめば、ふっくらと膨らんだトウモロコシが髭を伸ばしはじめていた。

 交配による品種改良が施されていない実は、前世の記憶にあるそれより幾分細いけれど、中身はみっしりと詰まっているのが分かる。

 髭はまだうっすらと透明がかった緑色だけれど、最初に作付けを行った圃場は、来週には収穫が始まるだろう。


「収穫後の乾燥小屋の建築は進んでいる?」

「畑の周囲に簡易小屋を作ってあります。乾燥させるときより、干した後の保存場所に困りそうですね」


 困ると言いながらマリーの声は少し弾んでいた。

 私と共に農奴たちと関わっているうちに、マリーも農奴たちの境遇に理不尽さを覚えるようになったらしい。彼女は元々他人に親切な人だ。彼らが働きに見合った報酬を得たり、お腹いっぱい食べられるようになることが嬉しいようだった。


 ――それにしても、すごい光景だわ。


 荒野を焼き、肥料を作ったとはいえ、トウモロコシを作り慣れていない農奴と、実際に農業に携わるのは初めてのメルフィーナの組み合わせで、これほど豊作になるのは普通ではないと思うのは、やはり前世の感覚があるからだろう。

 病害に強い品種改良の作物の苗を使い、潤沢に肥料や水が利用できる環境で小さな家庭菜園をしたとしても、本来作物を育てるのは素人には中々難しいものだ。


 ハートの国のマリアにはライトモードからハードモードまでいくつかの難易度が設定できるようになっている。ライトモードでは聖女が存在するだけで疫病が収まり、聖女の威光が増す仕様になっているけれど、ハードモードになると実際にヒロインが農地に出かけて農業改革を行う必要がある。


 アレクシス攻略ルートでその舞台になったのが、まさにこのエンカー地方だった。


 マリアが無事豊作に導いた後、星の輝きを映し出したモルトル湖のほとりでそっとアレクシスと寄り添い合うスチルは非常に美しかったけれど、今となっては「一方その頃、王都で憎しみに目を血走らせているメルフィーナの回想」を思い出して、腹が立つだけである。


 ともあれ、ゲームの中でマリアは土壌を改良し、肥料を与えさえすればある程度荒地でもよく育つトウモロコシを植えた。トウモロコシは環境さえ合えば三ヶ月足らずで収穫できることもあり、飢えた民の救いになるというものだ。


 雑学系乙女ゲームと言われただけあって、ハードモードのハートの国のマリアはその肥料作製や土壌改良についても多くの知識を必要とし、ひとつひとつの選択肢を選ぶ際に横にスマートフォンを置いて都度検索を必要とするほどだった。


 ――まさかそれが、こんなに役に立つなんて。


 豊作は聖女マリアだからこそではないかという不安もあったけれど、結果としては大成功と言えるだろう。


「トウモロコシは連作障害が起きにくいから、収穫が終わった圃場から追加の肥料を加えてもう一度苗を植えるようにニドに伝えて。それから、豆類をもう少し増やしましょうか。豆は保存も利くし、冬の間はいいたんぱく源になると思うから」

「わかりました。保存用の樽をもう少し作っておいた方が良さそうですね」

「そうね。街に売りに行くのにも必要でしょうし」

「はい。それから……ご報告があります」


 それまで軽く弾むようだったマリーの声が沈んだことに気が付いて振り返る。


「エンカー村のジャガイモ畑が、次々と枯死していると陳情が上がってきました。収穫前に枯れてしまったため、一部で軽い食糧不足が発生しはじめています」

「そう……」

「ラッドが領都との間の町や村に寄ったところ、どこのジャガイモ畑でも同様の被害が出ているようです。あまり広がらないといいのですが……」


 芋はある程度保存が利くので、一気に食糧不足ということにはならないかもしれないけれど、不安感ばかりはどうしようもない。

 いずれ食品を中心として物価が上がり、じわじわと生活に暗い影を落としていくだろう。


「麦畑はどうなっている?」

「そちらは例年通り、特に問題は起きていないそうです」

「しばらく様子を見るしかないわね」


 今の状況でメルフィーナが騒いでも意味はない。国中の、いや、大陸中の芋が枯死すると言ったところで狂人扱いされるか、下手をすればジャガイモの枯死の元凶ではないかと変に疑われるだけだろう。

 青々と茂るトウモロコシ畑を眺めながら、嬉しい光景のはずなのに、胸に去来するのは形のない不安だった。


 ――この世界は、なんだか歪つだわ。


 乙女ゲームのふわふわとしたファンタジーの世界の一面を持ちながら、その舞台下には貧困や飢え、理不尽な身分制度といった生々しい現実が広がっている。

 そのくせシナリオに沿ってさえいれば、素人の知識だけで広大な豊作の畑などという光景を作れてしまう。


 メルフィーナとしての記憶しかなければ、聖女の奇跡を前にしてもそれが聖女というものだろうとしか思わなかったかもしれない。

 けれど前世の記憶を取り戻した今、世界の整合性が取れていない感じが、少し気持ち悪いと思ってしまう。


「メルフィーナ様?」

「ん? なに、マリー」

「いえ、お顔の色が悪いようでしたので。……どうかなさいましたか?」


 マリーはメルフィーナを良く見ている。彼女に心配をかけたくなくて笑顔を作る。


「ううん、何でもない。ジャガイモは大事な作物だから、無事収穫できるといいなと思っただけ」

「今年はジャガイモの作付け面積が少なめで、良かったかもしれませんね。かぼちゃの方は問題ない様子ですし」


 どれだけこの世界を不自然に感じたところで、メルフィーナがやらなければならないことは決まっている。

 確固たる地位と、全てを奪われ追われた後も生きていけるだけの個人資産の形成という目標は変わらない。


 ――けれどできれば、マリーや農奴の集落のみんなも、エンカー村や周囲の開拓村の人々だって、幸せになってほしい。


「収穫したトウモロコシの葉や茎もコンポストにしてしまうけど、トウモロコシは分解しにくいから長くぼかして、冬の前に畑に鋤き込んでしまわないとね」

「はい。そちらもニドに指示しておきます」


 ――いつか、もし私がここを去る日が来たとしても、知識や経験はなくならないわ。


 メルフィーナの頭にある農法は、この世界のそれよりずっと進んだ時代の知識であると同時に、この世界に愛されているとしか思えない「正解」のやり方だ。

 少なくともエンカー地方で土を耕す者が、飢える心配はないだろう。


 ――願わくば、みんながずっと、ひもじい思いをせず幸せに暮らせるように。


 自分の未来もどうなるか分からないのに、そんな風に祈ることをやめられなかった。

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