第15話 鶏とかぼちゃの誘い

「養鶏に関してですが、個人で飼っている分にはこのままで構いませんが、鶏を飼育小屋で飼育した場合、その糞を私が買い取ります。こちらは当面、制限なしで」

「はっ!?」


 目を剥いたルッツが体を震わせたのと同時に、座っていた椅子がガタガタと音を立てる。背後のセドリックがぴくり、と反応し、ルッツは青ざめて縮こまった。


「無作法を、申し訳ありません。その、あまりに驚いてしまい……」

「その椅子、少しだけ立て付けが悪いの。気にしないで」


 軽く手を上げてセドリックを制し、ふう、と思わず息が漏れる。

 どちらも、あまり大げさに動いて欲しくないけれど、ルッツは貴族に対する怯えがあり、セドリックは護衛対象の前で不審な動きをされると自然と体が動くらしい。


「それで、そのう……糞を買い取る、というのは」

「決まった床面積の鶏小屋を作って、その中で決まった数の鶏を飼育し、床に籾殻(もみがら)を敷き、それを一定期間で入れ替える際に古い籾殻ごと糞を買い取ります」


 農村にとって現金収入というのは、都市部のそれとはまったく価値が違う。物々交換と貨幣では、購入の際に選択できる量と質が変わってくるのだ。

 メルフィーナとしても、鶏糞は早急に、出来るだけ大量に欲しい素材だった。

 鶏の糞は、家畜由来の堆肥の中で最もリンの配合が多く、肥効率も高い。今最も、喉から手が出るくらい欲しいものだ。


 ――それだけ肥料焼けの可能性も高いけど、開拓をし始めたばかりだし、何より、もうすぐ雨季がくる。大量の雨が降り始める前に施肥を済ませておきたい。


 荒れ地を焼いた後は栄養に富んだ土を作る。耕作面積に対して人口の少ないエンカー地方では、そもそも肥料に出来る素材が少ないのだ。

 人糞をそこら辺に撒いているのは不衛生であまり気持ちのいいものではないけれど、それ以上に勿体ないと感じるほどだった。


 ――これについても、近いうちに対策しないと。臭いとか汚いのが嫌だという以前に、不衛生はとかく、疫病の元だわ。


 だが今は、一にも二にも家畜についての取り決めをまとめてしまわねば。


「鶏はとても有用な家禽ですので、積極的に増やしていきたいですね。いずれは牛も導入予定ですが、こちらは初期投資が高くつくので、領主直轄で牧場と畜舎を造り、世話をする者を雇おうと思います」

「はぁ、はい……」

「マリー、養豚場に選定した土地に、囲いと豚舎を造るよう、職人と人足の手配をお願い」


「かしこまりました」

「鶏舎は細かい規定を作り次第、ご連絡しますね。それから」


 まだ何かあるのかとルッツが泣きそうな顔になっている。


「大丈夫、これで話は最後だから」

「はっ、はあ、失礼しました」

「私が見て回った範囲では見かけなかったけれど、村に犬はいないのかしら? 狩猟犬とか、番犬とか」


「豚を追って野犬が森から下りてくることはありますが、村に飼い犬はいません」

「狩りに犬は使わないのね。作物を狙って害獣が出たりはしない?」


「大きいものだと、森から稀に熊が下りてくることはあります。それが弱っている個体なら村の男たちで始末しますが、強い個体は近在の村を治めている代官様に願って、討伐隊を出してもらいます」


 その他にも、狐やイタチといった野生生物はやはり出没するらしい。それらの害獣の対策にも、番犬は非常に有用だ。


「犬を導入しないのには、訳があるのかしら」

「猟犬はとても高価なのです。犬は多産なので、雑種の犬は増えすぎて、山で野犬化したり恐水症になる可能性があるということで、開拓村では領主様に飼うことを禁じられていました」


「そうなのね……」


 開拓団というのは、いつ壊滅してもおかしくないギリギリのところで入植しているものだ。歴史の中では数えきれないくらい、悲劇も沢山あっただろう。

 犬を残して人が消えれば、その犬は山で野犬化し、後日改めて入植に現れた人間の害になる可能性がある。


 エンカー地方には豊かな森と湖を中心とする水源、人のいない広大な土地という条件が揃っているので、犬が生き残り野生に戻ることもありえるだろう。


「猟犬を扱ったことがあって、現役で猟師をしている方は村にいるのかしら?」

「一人います。高齢ですが、息子や孫をつれて狩りに出て、まだまだ現役です」

「では、今日狩りに出ていないようなら午後からその人を呼んでくれる? 村に関することだから、ルッツも同席してね」


 ルッツはこれが午後も続くのかと絶望するような顔をした。

 嫌われるのも上に立つ者の仕事とはいうけれど、こんなに怯えられると、少し寂しくなってしまうメルフィーナだった。





* * *


 昼食を終えて、マリーとともに養畜にかかる予算を計算しているところで、馬の世話をしていたクリフがお客様ですと声を掛けに来た。

 訪ねてきたのはルッツと同じように髪が真っ白な老人で、猟師のゴドーと名乗った。背は低く、しわくちゃだけれど、現役の猟師だけあって体つきががっしりとしている。

 半袖から覗いた腕にはいくつも深い傷跡が残っていて、歴戦の狩人なのが伝わってくる。


「いらっしゃいゴドー、来てくれて嬉しいわ」

「お邪魔いたします。村長から、猟犬についてのお話があると伺いました」

「ええ、あなたが以前犬を使っていたとルッツから聞いたので、新しい猟犬をあなたに育ててもらえないかと思って」


「私では、犬の代金を払えません」


 ぶっきらぼうな返事にマリーがメモを取っていたペンを止める。ゴドーの隣でルッツが胃のあたりを押さえていた。


「ゴドー、まずは最後までメルフィーナ様のお話を聞くんだ」

「だがな村長、狩猟用の犬は金貨一枚ほどもするんだぞ。その上犬は、六、七年で現役を退いちまう。猟師の稼ぎでは到底賄いきれんっ」


 まるで犬の話はしたくないと言いたげな様子のゴドーだけれど、その頑なな態度には、裏腹に犬への執着……愛情が滲んでいるようだった。

 犬は、いつの時代でも人間の最良のパートナーだ。

 犬と仕事をしたことがあるなら、その有用性も頼もしさも、そして恋しさも知っているのだろう。

 この世界でも狩猟に特化した犬種は存在する。

 羊を放牧している西部では牧羊犬もいるし、王城には夜間は番犬が放たれているくらいだ。

 それらは専門の繁殖家が管理していて、子犬でも非常に高額で取引されている。


 これからエンカー地方は多くの土地を耕して畑を作ろうとしているところだ、その畑を守るためにも、犬はぜひとも早めに導入したかった。


「ゴドー、私が聞きたいのは、私が子犬を飼ったらあなたに訓練をお願い出来るかということよ。訓練してもらっている間はあなたに預け賃を支払うし、いずれ子犬が産まれたら、その子たちも継続して育ててほしいの。犬が成長してあなたが狩りで連れ歩けるくらい一人前になったら、犬の働きの一割を、私に納めてもらうというのはどう?」


 狩猟に税は掛からないので、それならあまり重い負担にはならないはずだ。

 実質はしばらくの間、猟犬のトレーナーとしてゴドーを雇用することになるだろう。


「……よろしいのですか。その条件では領主様の得になるとは思えませんが」


「ルッツにも話したけれど、これからエンカー地方は家畜の放し飼いを禁じることになるわ。家畜が一か所に集まれば、それを狙って野生生物も来るはずよ。犬は外敵から村を守るために絶対必要なの。人に従うようによく躾を入れて、畑を荒らす害獣からも村を守れるようにしてちょうだい」


 ゴドーは呆然としたような様子だったけれど、やがて膝の上で震える拳を握る。


「……また、犬と暮らせるのですね」


 震える声でそう言うと、深々と頭を下げ、それを隣で見ていたルッツは、村の寄合を開いて今日話したことを周知させると告げた。

 何となく解散ムードだ。他に話し忘れたことは無いかと考えて、思いつく。


「あ、あとですね」

「ま、まだ何か!?」


 声を上げるルッツをきょとんと見返すと、ほとんど同時にセドリックが咳払いをする。まるで絞殺される寸前のような顔色になったルッツに、落ち着いて、と声を掛けた。


「これは命令ではなく、もしよければなんですけど、まだ芋を作付けしていない畑に、かぼちゃを植えませんか?」

「かぼちゃ、ですか」


「はい、私はかぼちゃが大好きなので、エンカー村でも沢山作ってほしいのです」

「領主様が食べきれない程度のかぼちゃでしたら、今ある畑でも十分かと……」


 芋は現在、農民の主食だ。その作付けを減らせという言葉には、村長の立場ではそうそう容易くうなずけるわけがない。メルフィーナもそこまで無理を言うつもりはなかった。

 要は自主的に、ジャガイモ以外を作りたいと思わせればいいのだ。


「芋を植えるのをやめてかぼちゃを植えた畑から収穫されたかぼちゃは、全て私が買い取ることにします」

「それは喜ぶ者も多いでしょう!」


 題して、芋がないならかぼちゃで稼いだお金で麦を食べればいいじゃない作戦である。


「では、万事よろしくお願いいたします」


 どれくらいの人が賛同してくれるか分からないけれど、少しでも芋の作付け面積が減らせればそれでいい。メルフィーナにとって最後の提案は、少しは乗ってくれる人がいればいいな、くらいのものだった。


 なお、新しい領主の変わった政策に自分も乗ってみたいと思う者は、エンカー村にも相当数いた。

 この年の秋、初めて行われたエンカー地方の収穫祭では、鶏肉とかぼちゃ料理が豊富に振る舞われることになる。


 それは、この世界では絶対にひっくり返るはずのない芋とかぼちゃの立場が、にわかに揺らいだ瞬間だった。

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