第4話 固いパンとホワイトソース
買い物を終えて戻ってきたマリーと昼食を作っている間に、人足のエドとクリフ、ラッドにベッドを庭に運んで日干しを頼む。
「長い間閉めきっていたからカビの心配もあるし、天日に干すことでダニやノミの死骸を払うこともできるから」
なぜそんなことをする必要があるのか不思議そうな彼らに簡単に説明すると、三人は快く了承してくれた。さすが荷運びのプロだけあって、手際よく作業してくれる。
これは前世の衛生観念もあるけれど、カビやダニ、ノミの死骸はアレルギーの原因物質になるので定期的に日干しはするべきだ。
「さて、私たちは昼食の準備をしましょう」
厨房に入り、マリーとエドが買ってきてくれた食料品を確認する。木箱に入った野菜、ミルクは壺に、卵はおがくずを敷き詰めた小さな箱に入っている。肉は驚いたことに大きな葉に包まれていた。
メルフィーナの使える数少ない力である「鑑定」を掛けてみると、月兎と呼ばれる植物の葉と出る。胡椒に似た匂いがして、この葉が水分を適度に吸い、保存性も上がるという情報が頭の中に浮かんできた。
――覚えていない記憶が蘇ってくるみたいになるのね。
高位貴族の娘にとって「鑑定」はそれほど使い道のない魔法だ。身の回りのものにせよ口にするものにせよ、すべて専任の使用人のチェックが入るのが当たり前であるし、特に出入り商人などはメルフィーナの「鑑定」より何倍も精度の高い鑑定を使うので、メルフィーナがそれを行う機会自体が稀だった。
「旅人がこれに肉を包んで移動しているうちに、干し肉になったという逸話があるそうです。実際は、塩を揉みこまないとただ乾いた固い肉になるだけですが」
「そんなに吸湿するのね。何か、いろんなことに使えそうね。これは自然に生えているものなのかしら?」
「森にいけばそこら中に生えているらしいですよ。商店なんかで束になって売られていて、庶民は昼食をこれに包んで持ち歩くのも普通です」
お弁当箱の代わりにもなるらしい。肉は鶏肉で、鮮度が良さそうなきれいなピンク色をしていた。
籠に入ったパンは黒み掛かったチョコレートのような色をしている。皮はカチカチに固く、中もみっしりと密度が高い。この世界の平民のパンはおおむねこんな感じで、中まで固く焼くことで保存性を高くしているのが一般的だった。
「すみません、村では白パンは手に入らなくて」
王侯に近い高位貴族の食卓には比較的柔らかい白いパンも出てくるけれど、それはその貴族に仕える料理人個人の秘伝のレシピだ。町や村で手に入るようなものではない。
晩餐に白い柔らかいパンを出せるかどうかは貴族の格にまで関わってくる。当然そのパンが焼ける料理人は高い待遇で貴族に雇われ、庶民の口にはほとんど入ることはない。
「気にしなくて大丈夫よ。でも、今度柔らかいパンを焼いてみましょうか」
「奥様は、白パンのレシピをご存じなのですか?」
「うん、まあ大体は?」
ここには精密な計量器はないし、ドライイーストなんて便利なものも存在しないけれど、天然酵母のパンの焼き方は記憶にある。実際に何度か焼いたこともあるし、出来ないことはないだろう。
「その、お料理も出来るようですけど、どこで学ばれたのですか」
「ふふ、嗜みとして、少しやったことがあるだけよ」
前世で一人暮らししていたからと説明できるわけもないので、雑に笑ってごまかして、刻んだ野菜と肉を炒め、鍋に移して煮込んでいく。固いパンを浸して食べるために、食卓にスープは必須だ。
細粒のコンソメが欲しいところだけれど、無いものは仕方がないので少し強めに塩を効かせておくことにして、肉と野菜を煮ながら隣のコンロでフライパンにバターを落とす。
「えっ」
「え、どうかした?」
「いえ……バターを料理に使うのかと」
マリーにとってフライパンにバターをたっぷり投入するのは想像しない使い方らしい。
そういえば、この世界でバターは高級品で、貴族がパンに少量塗って食べるためのものだ。白いパンが手に入らなかったので、せめてと思って買ってきてくれたのだろう。
「大丈夫、ちゃんと美味しくするから」
「はい……」
薄くスライスした玉葱をバターで炒めながら、なんとなく思う。
マリーは表情をあまり変えることはないし、無口だけれど、優しい女の子なのだろう。同じ公爵の監視役だとしても、少なくともセドリックよりは当たりが柔らかで、新婚生活の翌日にとっとと城を出た私に付いてきてくれただけでなく、細やかに気を配ってくれてもいた。
――マリーの雇い主はアレクシスだし、友達のようになるのは立場上難しいかもしれないけれど、ここにいる間は仲良く出来ればいいな。
玉葱が透明になったら荒い布に入れた小麦粉を叩いてフライパンに落とし、さらに炒めていく。少しずつミルクを加えながらダマにならないよう練っていけば、ホワイトソースの出来上がりだ。それをくつくつと煮えた鍋に入れると、またマリーがえっ、と声を上げた。
丁寧に混ぜて、味を見る。やはりコンソメや固形ブイヨンがない分淡白な味になってしまうけれど、月兎の葉に包まれていた鶏肉からいい出汁が出ているらしく、まあまあの仕上がりだった。
「味見してみる?」
「……いただきます」
緊張した様子だったけれど、差し出した小皿に口をつけると、マリーはぱっと目を見開いた。
「美味しいです」
「よかった。では、あともう一品作って昼食にしましょう」
薄く切った鶏肉と野菜をまとめて炒めたものをさっと仕上げている間、マリーはシチューをよそって食堂に運んでくれた。
「みんな、今日はお疲れ様でした。エドとクリフとラッドも、予定外の仕事を頼まれてくれてありがとう」
テーブルに着くと、みんな戸惑ったような様子で座ろうとしない。
「どうしたんですか? 温かいうちに食べましょう」
「いえ、あの……同席するなど、恐れ多くて」
人足の中で一番年長のラッドに言われて、ようやく気付く。基本的に貴族は庶民と食卓を共にしたりはしないものだ。ここまでの移動中も食事は宿の部屋で一人で摂るか、馬車の中で済ませる間はマリーすら外に出ていたくらいだった。
「気が付かなくてごめんなさいね。私は寝室で食べるからみんなはここで」
「いえ! それはおかしいですよ!」
「奥様が済ませたあと、いただきますので」
ラッドに続きクリフがそう告げる。何も言わないけれど、マリーもセドリックも困惑している様子だった。
とはいえ、みんなに見られながら一人で食べたり、みんなを食堂から追い出して一人で食べるというのも何か違う気がする。
「ええと、ここは貴族の城ではないし、一応領主邸という名目ではあるけど、ちょっと裕福な商人の家よりこぢんまりとしているくらいじゃない? 私もここで貴族の奥様ぶるつもりはないし、この料理は私が作ったものだし、どうせなら感想も聞きながら一緒に食べたいと思うんだけれど……」
「しかし……」
「ですが……」
「そうだわ。これから私がここで暮らしていくための、練習に付き合ってもらえないかしら?」
「練習、ですか?」
ラッドが戸惑ったように聞き返すのに、ええ、と大きく頷く。
「慣例に反していることはよく分かっているけれど、私はこれからここで暮らしていくつもりだし、ずっと貴族の習慣を捨てずにいるのは逆によくないと思うの。村の食堂で食事をする時に他のお客さんを全員追い出すなんてことも出来ないし、するつもりもないわ。だから、沢山の人と食卓を囲む練習をしておきたいの」
全員がなんとなくお互いの顔を見合っているのに、先に動いたのはマリーだった。十脚の椅子がある中で、ひとつ空けて私の傍に腰を下ろす。
「マリー」
「主人に三度も同じことを言わせるわけにはいきませんので」
咎めるように名前を呼んだセドリックに澄ました様子で応えると、エド、クリフ、ラッドもそれぞれマリーの対面に腰を下ろす。こうなると一人で意地を張っても仕方が無いと思ったのか、セドリックもマリーと椅子を一つ分空けて座ってくれた。
「みなさん、今日は本当にありがとう。ささやかですが、どうぞおあがりください」
そう声を掛けて、皆が委縮しないよう真っ先に自分がシチューに口をつける。
肉も野菜も柔らかく煮えているし、体感で十六年ぶりに料理をしたにしては、中々美味しいのではないだろうか。
「白い、スープ?」
「うわ、うま!」
「えっ、わ、ほんとだ美味い!」
スプーンを握った人足三人組が声をあげるのを聞いて、ついつい笑みを浮かべてしまう。マリーも驚いていたけれど、この世界ではホワイトソースを使ったシチューは珍しいようだ。
バター自体が高級品だから仕方がないのだろう。もう少し、庶民も気軽に使えるようになるといいのだけれど。
「本当に、美味しいです。こんな美味しいものは初めて食べます」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、ちょっと大げさじゃない?」
「いえ、本当にとても美味です」
マリーはパンをちぎり、シチューに浸し、うっとりとしたように咀嚼していた。どうやら本当に気に入ってくれたようだ。
「この炒め物も、美味い」
「領都の有名な食堂のものより全然美味いな」
「俺はやっぱりスープが」
なんにせよ、みんなが美味しいと言ってくれるならそれに越したことは無い。
久しぶりに人と食べる食事、それもにぎやかな食卓に、メルフィーナもいつもより食べ過ぎてしまった。
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