第3話 新しい家と護衛騎士
街道をのんびりと移動して五日目の昼頃、ようやく目的地であるエンカー村にたどり着いた。
エンカー地方で一番大きい集落がエンカー村だ。移動中に確認した情報だと二百人ほどの規模の農村で、人口の多くは開拓民とその子孫であり、そのほかに周辺には農奴を集めた小規模な集落がいくつか点在している。
村の中心部に領主邸があり、ここが今後メルフィーナの暮らす拠点になる家だ。元々はオルドランド公爵が視察の際に短期間泊まるための建物なので、造りはしっかりしているけれど貴族の屋敷としては非常にこぢんまりとした建物だった。
中心とは言っても周囲に民家はなく、やたらと広い土地にぽつぽつと家が建っているのが見える程度だった。あちこちになだらかに隆起のある土地で、ところどころに急峻な崖があり、遠くに見える山はまだ冠雪している。小川がいくつも流れているけれど、あれがモルトル湖へ流れ込んでいる支流なのだろう。
前世の感覚だとこれまで育った王都も十分映画の中のようだったけれど、建っている建物の質素さに目を瞑れば、まるで絵本の中に迷い込んだような光景だ。
少し大きめの宿屋くらいのサイズだけれど、そう大所帯になる予定もないので、これくらいが管理しやすくていいだろう。メルフィーナはそう思うけれど、侍女のマリーと護衛騎士のセドリックには、公爵夫人が生活の場にするには相応しくないを通り越してあり得ないと感じるものらしかった。
「一番近い大きな街まで引き返しましょう」
ほとんど決定事項のように言うセドリックの言葉に肩を竦め、領主邸に入る。視察の際は数か月前から予定が伝えられるのが普通だけれど、今回の来訪は急だったことと、視察自体この数年行われていないのだろう、屋敷の中は閉め切った建物らしく埃っぽい匂いがした。
「マリー、窓を全部開けていきましょう。セドリックも手伝って」
「私の仕事は騎士です。おそばを離れるわけにはいきません」
「そう。じゃあ私の後ろにぴったりついていてちょうだい」
マリーは侍女であって召使いでもメイドでもないけれど、私の身の回りの世話をするのが仕事なので指示に従うのに抵抗はなさそうだ。けれど騎士であるセドリックにとって屋敷の管理や掃除は職分でないのは確かなので、無理強いすることは出来ない。
「あのう……よければ我々がお手伝いしましょうか?」
ここまで御者をしてくれていた荷運びの人足が、おずおずと声を掛けてくる。自分たちが貴族に直接声を掛けていいのか迷っているという様子だった。
「助かるわ! とりあえず窓を全部開けて風を入れて、ざっと掃除もしたいわね。勿論日当はお支払いするから」
「メルフィーナ様。下働きを数人、入れるべきだと思います」
窓を開けるたびに細かい埃が舞い散ってキラキラと輝いている。いくら小さな屋敷とはいえ、隅々まで掃除するのは中々手間がかかりそうだ。
「それは村で斡旋を頼もうかと思っているんだけど」
「では、私がこれから行ってきます」
「待って。使用人にしても気の合う人を雇いたいから、面接をしようと思っているの。今日のところは彼らの手伝いだけでいいわ。代わりに市場で食料品や調味料を買いに行ってくれる?」
ここまでは途中の街の食堂や宿で食事は済ませていたけれど、エンカー村は住人のほとんどが第一次産業に従事している土地なので、これからはそうもいかないだろう。マリーはその言葉に驚いた様子だったけれど、すぐに頷いてくれた。
「あなた、ええと、お名前は」
「ラッドと申します」
「僕はクリフです」
「オレ……僕は、エドです!」
三人の人足のうち、一番若い者はまだ少年と呼べるような年頃だった。十二歳くらいだろう。この世界だと見習いとして働き始める年頃だ。
緊張に頬を赤らめながらしゃきっと背中を伸ばすのが可愛くて、ふっと微笑む。
「エド、マリーに付いて行って、買い物の荷物を運んでくれない? 馬車を使っていいから、数日分の野菜と卵と調味料。ミルクやお肉は新鮮なものを、今日の分だけでいいわ」
「かしこまりました!」
「では、行ってまいります」
出かけていく二人の背中を見送って、廊下の窓を開けていく。この世界では窓ガラスは高級品だが、滅多に見かけないというほど珍しいものでもない。前世で知っているものより厚く、表面が波立っている。鉛で細かく区切られているのは、大きな一枚ガラスを作る技術が未熟なためだろう。
そのガラス窓の向こうに防犯用の鎧戸が設置されている構造だった。
光が入るとそれだけで建物の中の印象が良くなるし、同時に片付けなければならない問題が浮き彫りになってくる。なにしろ埃がすごい。
「今日は厨房とリビングと、寝床の確保だけで精一杯ね。掃除道具はどこかしら」
「奥様! 掃除なら私たちが!」
「僕達、掃除得意です!」
「じゃあ、お願いするわ。私は厨房を見てくるわね」
人足の青年たちに埃を払うのを任せ、厨房に向かう。ここは布製品がないせいか比較的綺麗で、使う器具や食器類を洗って拭くだけでなんとかなりそうだ。棚の中には高価な陶器の食器はなく、全て木製だった。
王都で育ったメルフィーナにとって食器とは全て陶器かガラスで出来ているのが当たり前だった。樽をそのまま小さくしたようなジョッキは中々重く、新鮮に感じる。
――こういうのって海賊が持ってるイメージだったけれど、普通に使われているのね。
蛇口をひねれば水が出るし、コンロをつまめばちゃんと火が出た。どちらも魔石を使った魔道具で、王都なら少し裕福な庶民の家にも設置されているものだ。
――世界観は中世なのに、このあたりの利便性の良さが実にご都合主義なファンタジーだけれど、さすがに薪のオーブンの使い方なんて知らないし、暮らしていく上で便利であるにこしたことはないわね。
棚を開けていき、当座で使いそうな食器を取り出し洗っていく。仕舞ってあったウェスで乾拭きし、それが済んだら湿ったウェスでテーブルを拭く。
その間、背後霊のように後ろに立っているセドリックのことは気にしないことにした。
「さて、部屋を決めないとね」
貴族の建物は一階が来客用、二階が主人やその家族、客人や家臣が使うために分けられているけれど、この領主邸もおおむねそのルールに従って造られている様子だった。二階の南の端が主寝室で、その隣が団欒室になっている。
ちなみに使用人は屋根裏を共同で使うことが多い。マリーは侍女であり、上級使用人なので個室が必要だろう。
この辺りはメルフィーナの知識にもあるけれど、護衛騎士に関してはあまり詳しくない。メルフィーナは母親のレティーナが南部の領地を田舎だと嫌い、ほとんど領地に居つかなかった関係で生まれた時からそのほとんどを王都のタウンハウスで暮らしていたからだ。
そこでは上級使用人が何人もいて常に人の目があったので、護衛騎士の出番はもっぱら外出する時のガードマンとしてであり、屋敷の中で騎士が歩き回っているのを見る機会はほとんどなかった。
「ねえ、護衛騎士って私と同居なの? それとも、外に家を持って通ってくるのが一般的なのかしら?」
「城内に宿舎があることも多いですし、家庭がある者は城外からの通いも普通ですが、この屋敷に滞在するとなると、部屋住みにしていただくのが通例かと思います」
「じゃあ、私は主寝室を私室兼寝室にして、隣はマリーの部屋にするから、残った中から好きな部屋を選んでちょうだい」
主寝室も締め切られていたので窓を開ける。ベッドは立派だけれど、何年も使っていないだろう寝具で寝るのは抵抗があった。幸い天気もいいし、早めの昼食を済ませた後、日が暮れるまで天日干ししようと決める。
セドリックの返事がないことに気が付いて振り返ると、若い護衛騎士は難しい顔をしていた。
「どうしたの?」
「いただける部屋をどこにするか迷っています。防犯を考えるなら一階にするべきでしょうが、この屋敷には一階に厨房と広間の他は物置しかないので、そこを片付けるべきかと」
「ええと、視察の時はどうしていたの?」
「私はこの屋敷を訪れたのは初めてですが、大抵は寝ずの番の騎士を置く以外は村の宿に泊まっていました」
「二階にはまだ部屋があるし、そこからひとつ選べばいいのではなくて?」
このあたりは有閑な田舎なのでボディガードが必要とは思わないけれど、セドリックはマリーと共にアレクシスの監視の目だ。下手に遠ざければ要らない邪推を招く可能性もあるし、貴族出身のセドリックを物置で暮らさせるのもなんとなく気が咎める。
その程度のつもりだったけれど、セドリックは愕然とした目でこちらを見ていた。
「……申し訳ありません。私は公爵様に忠誠を誓った身なのです」
「うん?」
「臣下として、主君の奥方様とそのような関係になるなど、騎士としての矜持が許しません」
「うん???」
首を傾げて、すぐにあっ、と声が出た。
「違うわよ!? 私の愛人になれって意味じゃありませんからね!?」
「……そうなのですか?」
二階は主人とその家族や近しい親族が使うのが常識だ。生まれ育ったタウンハウスは正妻である母が暮らしていたので父が女性を連れ込むようなことはなかったけれど、おそらくカントリーハウスの二階を利用する者の中に、愛人も含まれる習慣でもあるのだろう。
「ごめんなさい、私が軽率だったわね。三階は屋根裏だから使用人用だし、一階は物置で、騎士であるセドリックに使わせるのはどっちも悪いなって思って言っただけだから」
あからさまにほっとした様子の護衛騎士に、一般的な令嬢と騎士の距離感を完全に忘れていたことを反省する。
セドリックは短い土色の髪に深い茶色の瞳をした、騎士らしくがっしりとした男性だが、攻略キャラの一人だけあって、氷の公爵と呼ばれているアレクシスとは雰囲気が違うけれど、ちょっと驚くくらい整った顔をしている。
まだ二十歳の青年だ。伯爵家の出身の騎士ということもあって女性にはモテるだろうし、そういう目で見られることも多かったのだろう。
――悪役であるメルフィーナとどうこうなるなんてこれっぽっちも想像していなかったので、完全にその視点が抜けていたわ。
「ええと、費用なら私が出すから、村の宿屋に部屋を取る? そのほうがセドリックも気楽じゃない?」
「いえ、よければ一階の物置を下さい。物置とはいっても広さはそこそこありますし、片付ければ十分部屋として機能しますので」
本人がそれでいいというならいいのだろう。できれば公爵邸に帰ってほしいなぁと思うけれど、さすがにそうもいかないはずだ。
「じゃあクリフとラッドに片付けてもらって。ベッドは、上に使用人用のがいくつかあるだろうから当座はそれを使ってもらって、近いうちに新しいのを作るなり買うなりしましょう」
「お心遣い、感謝します」
「うん、また何かあったらすぐに言ってね。変に誤解されたまま話を拗らせたくないし」
悲壮な顔で夜中に寝室に来られたりしなくて、本当に良かった。しみじみとそう思いながら言うと、セドリックは無言のまま、もう一度礼を取った。
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