Play#32 円満就職


エンドローズは茫然と、『それ』を見ていた。

先程まで自分を殺す為に、斧を振り上げていた少年。

それが、胸を押さえて目を見開き、閉じる事のできない口から唾液を垂らして、地面をのたうち回っていた。


「アッ……ガ……ッ!」


彼は――公爵の持つ武器に、撃ち抜かれた。

少年の傍らに落ちた紙の包みは、中の白い粉を零して落ちている。

少年は苦しそうにそれを探すが、痛む胸から手を離せないようだった。


「お父様、彼は……」


「大丈夫、死ぬほどの威力にはしてないよ。多少苦しいだろうけど」


多少、のレベルを超えた苦しみように見える。

その間に、使用人が彼の手足を縛って、手近な布で猿轡をしてしまった。

あまり清潔そうには見えない布を嚙まされた幼い少年は、ついぞ色の無い目を閉じる事なく脱力した。

公爵の無骨な拳銃から発せられたのは、紫の閃光。

それは迸る稲妻を纏いながら、少年の胸の中央を穿ったのだ。


「……ハッ、ヒスイ!?もう大丈夫だよ……ヒスイ?ヒスイ……っ!?」


脅威が去った事を告げるべく、エンドローズはヒスイをゆする。

すると右上腕をきつく抑えていたはずの左手はだらりと垂れ、先程捉えられた少年のような色の無い目をするヒスイがいた。

エンドローズはパニックになって泣き出す。


「どうしよう……!お父さん、ヒスイが……!ヒスイがぁ……っ!!」


「見せてみなさい……これはいけないな。ちょっと失礼……ッ」


公爵は脱力したヒスイの目を覗き込むやいなや、流れるような動作でヒスイを横抱きにする。

最早意識があるのかないのか分からないヒスイの濁った目が、ゆるりとエンドローズの方を見た気がした。

エンドローズは泣きはらした目でその翡翠色に祈った。


***


それから、数日後。

結果的に、ヒスイは一命をとりとめた。

エンドローズも度々世話になっている、あのパレスフィア家専属魔法医術師の老人は、前パレスフィア公爵の時から働いてくれているベテランで、なんと国の専門機関で教鞭をとる話を蹴ってまでパレスフィア家に仕えてくれていたらしい。

結果専門機関の客員教授として時折魔法医術師を目指す者を指導しているらしいが、基本的にはパレスフィア邸の薬草園を拠点に研究と診察をしている。

そんな大ベテランだからか、それとも単なる奇跡か、ヒスイは峠を越え、まだ毒の抜けきっていない為に自由の利かない体でベッドに横たえていた。


「……なるほど、粗方理解したよ。つまり君は――ローズを殺す為だけに接触し、それを今の今まで黙っていた。そうだね」


「……はい」


ヒスイのベッドの傍らでは、いつもの笑みの一切失せた顔でライラックが尋問していた。

尋問とは言っても、自業自得、因果応報で毒を食らった少年に対し、上等なベッドで安静にさせた状態で問うだけの、かなりぬるいものであるが。

それを可能にしたのは、ヒスイの素直過ぎる態度であった。

今までそれほどの謀を秘匿していたのに、ベッドの上のヒスイは落ち着いた声色で全てを語った。

ここ数日、ずっと追い詰められた顔をしていたのに、今は脱力した穏やかな顔で――まるで棺桶に入るのを待っている死人のようだった。

エンドローズには、それが不安でならなかった。


「ヒスイ、まだ辛いの……?私にできる事はある?」


「……アンタ、本当にバカなんだな」


ヒスイはゆったりとした動作でエンドローズを一瞥し、そしてまた目を逸らした。

ここにレイがいたなら睨みつけていただろうが、生憎とレイは右手にひどい火傷を負い、別室で安静にしている為にこの場にはいない。

彼女は身を挺して主人を守った、この一件の功労者の一人である。

あの命がけの狼煙が無ければ、目算より早く帰宅したライラックが異変を察知するまで時間を要した事だろう。


「俺はアンタを殺しに来た。全部あらいざらい言ったし、さすがに理解してんだろ。なんで俺に気をかけるんだ……それとも頭がおかしいのか?」


「お、おかしくないよ!大切な友達なんだから、心配するのは当たり前だよ」


「……ふはっ。やっぱアンタ、頭おかしいな」


「……!え、えへへ……おかしいのはお互い様かもよっ?」


ヒスイは笑った、本当に久々に、記憶にはとうに存在していない笑みを零して、公爵令嬢を笑った。

そんなヒスイを見て、令嬢も殊勝に笑った。

まるで彼が笑った事を喜んでいるかのようだった。


ヒスイにはもう、怖いものはなかった。

これから投獄され、極刑までとはいかなくとも重たい刑罰が待っている。

何より刑が執行される前に、組織がヒスイを始末するだろう。

明るい未来などない、逃げ道もない。

しかしヒスイの心は穏やかだった。

このろくでもない人生からやっと解放されるのだ。

人をひとり助けて死ぬのだから、思ったよりもいい最後だとすら思えた。

その小さな体を埋め尽くしていた絶望は、ヒスイが自由な生を渇望した唯一の原動力だった。

しかし虚ろな記憶の中にある、標的の張り裂けるような慟哭で、無垢なる怒りで、清らかな涙で。

全てを手放してもいいと思えるくらいには、報われたと思ってしまった。

自由になる事に執着してきたが、どうせその先のビジョンなど持っていなかった。

自由を手にしたところで、きっとヒスイの手には余るものだったろう。

だから、これで良かった。

ヒスイはせめて、ここを死に場所にしたいと願った。


***


「――と、言う訳で!……ヒスイ、うちで働いて欲しいの」


「だーかーら!なんっでそういう話になるんだ!頭おかしいだろアンタ!」


ヒスイは元通り、とはいかずともおおかた回復した状態で、なぜか拘束もされずに、未だパレスフィア家にいた。

特に仕事を与える訳でもないのに屋敷に置かれ、暇を持て余して読めもしない本を読む始末。

学者になって遺跡の文字を解読している気分だった。


そしてさらに理解できないのは、マナーのレッスンと家庭教師との勉強の合間のお茶の時間とやらに、毎度エンドローズに呼び出されては茶を出される。

そして延々と『パレスフィア家がいかに良いシュウショク先か』といった内容の説明をされるのだ。

ちなみに茶を出しているのは右手の火傷が回復したらしいあの侍女で、茶は粛々と出すのに、エンドローズがヒスイに一生懸命プレゼンしている最中は至極気に入らなそうな視線を感じる。

ただでさえ目つきの悪い侍女がヒスイを睨んでいるとも知らず、エンドローズは今日も今日とて企業プレゼンをするのである。


「でも、お給料は市井の平均月収より高いし、ヒスイの持つスキルを活かせる業務内容だと思うの。詳しくはお手元の資料をご覧ください」


そういって示されたヒスイの手元には、手書きで書かれたらしい手作り感満載の資料らしきものが置かれている。

毎度ご丁寧に違う内容のものが渡されるが、今回は謎の棒のような者が二本描かれた『ボウグラフ』なるものらしい。


「そーゆーっこったねぇだろうが!アンタ俺が何したのか忘れたのか!?それとも頭わいてんのか!?自分をころしに来たヤツをやとう貴族がどこにいんだよ!」


「はい!わたしです!私は殺し屋さんを雇う貴族なのでぜひ我が社にエントリーを!」


「だーもー!ホンット話通じねえなアンタ!」


ここ数日、ほとんど同じ問答が繰り返されてきた。

いくらヒスイが異議を唱えても、エンドローズは働いてくれときかないのだ。

おまけに朝昼晩と、同じ卓で飯を食わされているし、朝と夜は大抵公爵もいて、にこやかに食事をするのだ。

パレスフィア公爵家の奴は変人奇人しかいないのかとも思ったが、あの侍女以外の使用人は普通に距離を置いてくるし、公爵の側の偉そうな眼鏡野郎はヒスイを見る度に物凄く渋い顔をする。

つまりはこの親子とついでにレイとかいう侍女が、特別変わっているのだと思う。


「働いて頂けますでしょうか!」


「んな事できる訳ねーんだよ!!」


ぜえはあ、とエンドローズとヒスイが肩で息をする。

両者は睨みあって一歩も引かない。


「やあやあ!今日は随分と白熱しているね、二人とも」


「お父様。お早いお帰りですね」


「……ッ!」


気配もなくやってきたライラックに、ヒスイはぎくりと体を強張らせた。

いつもは夕刻近くまで帰ってこないのに、今日は珍しくはやい。

ヒスイの背を汗が伝った。


「実は、二人にニュースがあるんだ。とっておきのね」


ついに来た、とヒスイは覚悟を決める。

長らく自由が許されていたが、それも今日まで。

きっとヒスイの処遇が決まったのだ。

対してエンドローズはのほほんとした顔で公爵を見ているのだから、温度差で熱帯魚が風邪をひきかねない。


「よく聞きなさい。この度……」


ヒスイはごくり、と息を呑んだ。


「君の……元いた組織が一斉検挙されたよ。よかったね」


「…………え」


ヒスイの纏っていたシリアスと悲観が、一気に霧散した。


「本当ですか!?……あ、つかまっていた奴隷の子たちは……?」


「もちろん保護して、それぞれその処遇は会議中さ。複数のアジトに一斉に押し入って、その場にいた奴隷たちは少なくとも全員保護しているはずだよ。怪我や病気の子は治療中だが……中には酷い状態の子もいてね。全員助かるかと問われれば、少し厳しいと言わざるを得ない」


ライラックは悲哀に満ちた目で微笑み、優しくエンドローズに諭す。

エンドローズは悲しそうに眉を下げたが、場の空気を少しでも明るくする為に話題を反らす。


「で、でも!助けられてよかったですね!うちに忍び込んだあの子も目を覚ましたんでしょう?」


口を開けて呆けていたヒスイは、その言葉にハッと思考を引き戻す。

同じ風魔法適正者で、自分よりは恐らく若くて、自分とは違う武器を磨いていた、元同僚。

彼の事はずっと気になっていたが、どうしても聞けなかった。

もう死んだかとまで思っていた為に、ヒスイはどこか安堵した。

幼いはずの少年があそこまで組織に『教育』されている事に、自分を棚に上げて同情していたのかもしれない。


「ああ。彼の処遇はもうすぐ決まりそうだけれど……ローズはまだヒスイ君を口説き落とせていないんだね?」


「うぅ、はい……」


「……ん?え?それって、どういう……?」


公爵の口ぶりに、ヒスイは無視できない違和感を覚えた。

まるでこのトンチキ令嬢の我儘を、知っていて容認していたかのようじゃないか。

そんなバカな、とヒスイは目を丸くする。


「ヒスイ君、どうしてもダメかい?君の身体能力や魔法技術は目を見張るものだし、護衛という職にぴったりだと思うのだけれど」


「や……いやだって、ダメもなにも、俺は……」


「君の言いたい事は分かる。僕もローズに言われた時はびっくりしたけれど、ローズの言い分も最もだと僕は思うよ」


狼狽えるヒスイの前で、公爵は膝をついて目を合わせる。


「君は確かに娘を殺す為にきた、けれど君がローズにした事で彼女が傷つけられた事はない。むしろ遊び相手になって、最終的には新たな刺客から身を挺して守った。殺しだって、君の『元保護者』の指示であって君の意思は微塵もない」


それは全て、エンドローズがライラックに向かって必死に述べた根拠だった。

だからヒスイを雇ってほしい、と主張する愛娘に、流石のライラックも二つ返事をする訳にはいかなかった。

しかしヒスイは驚くほど素直に、雇い主の情報を洗いざらい話し、その証言に嘘が無かったからこそ新たな犯罪を国が認識する事ができた。

ライラックの中では、『まずは本人の意思を確認するのはどうかな』とは言いつつ、今日まで保留にしていた案件だった。

しかし本日、彼の提供した情報により、大規模犯罪組織の一斉検挙が成功し、奴隷としてつかまっていた者たちはもちろん、将来的に失われる可能性のあった人命も救えた事になる。

これは大きな功績であるし、同時にヒスイの観察眼や索敵能力、記憶力の優秀さを裏付けた。

なのでライラックは、娘の我儘を許す事にした。

そろそろ同い年の友だちも必要な頃合いであるし、一石二鳥だろう。

ライラックはお人よしそうな顔をしているだけで、狂おしいほどの親バカである為、結果論だが実害もなく、むしろ手元に置いて手綱を握ったほうが何かと便利そうなヒスイを雇う事にした。

娘が喜ぶし、娘が安全になる。

元殺し屋とはいえ生命線を握れる。

そんな思考を人好きのする人畜無害な微笑みの下に忍ばせて、ライラックはヒスイに歩み寄るように諭した。

ちなみにサリエは粗方お見通しであるため、呆れて物も言えないという顔をしている。

サリエとて止めたが、契約によりライラックは生涯の上司である為、最終的な意思決定を変える術は持たないのである。


「どうかな。君さえよければ、娘を守ってやってはくれないか」


「……でも、俺は……ッ」


「ヒスイにしか頼めないの!どうしても、イヤかな……?」


金髪の美しい美丈夫と、薔薇のような赤い髪の少女。

大型犬と小型犬に見つめられている錯覚すら起こしそうになる。

顔立ちも髪色も全く似てないと思っていたが、こういう時の眉の下がり方はそっくりだった。

ヒスイは降参した、もうダメだ、そうあきらめざるを得ない。

ヤケを起こしたように頭をぐしゃぐしゃと掻きむしってから、吠えるように言った。


「後悔してもしらないからな!」

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