Play#31 生きるか死ぬか


『ずぅっと、アンタをころすことだけ考えて、アンタをだましてた』

『ソレはやくたたずのまけ犬!』

『そんなヤツ見すててにげな?そしたら見のがしてあげるよ』


エンドローズは衝動に駆られた。

今までも、前世でさえも感じた事のない、あまりにも苛烈な激情。

それは正しく――怒りだった。


「ふざけないでくださいッ!!」


「……は?」


殺し屋を名乗る幼い少年、一介の使用人故に動けずにいるレイ、そして意識を手放しかけていたヒスイですら、エンドローズの叫びに驚き、呆気にとられた。

中でも殺し屋の少年は、先程までとは一転して不機嫌を隠しもしない。

斧と吹き矢を持った少年に睨まれながらも、エンドローズにはいつものような怯えが湧かなかった。


「あなたが、ヒスイの何をしっているというんですか」


「……ヒスイって、なに?ああ、まさかソレのなまえ?ペットはだいじにするタイプなんだ」


「黙って。……私の質問に答えてください」


「なにオマエ、なんでそんなえらそうなの?ころされかけてんのわかんないの?」


エンドローズが、燃えるように赤い目で、無言で少年を睨む。

少年は舌打ちをして、気だるそうな動作で斧を担いだ。


「しらないよ、そんなヤツどーでもいーもん。でもそれってオマエもいっしょでしょ?ちょっといっしょにいただけで知ったかぶってんの?あーあーすきになっちゃったんだ?」


少年の止まらない煽りに、エンドローズは小さく息を吐く。

湧き上がる激情を、この怒りを、衝動的に振り回さないように。


「私は、『ヒスイ』を知っているのか、と聞いているんです」


「は?オマエ、さっきからなにいってるかわかんないんだけど」


「……ヒスイは、凧をあげてくれました」


少年は不快感に顔を歪める。

エンドローズはその表情を目に焼き付けながら続ける。


「夢を叶えてくれました。一緒に散歩してくれました。ごはんを全部食べてくれました。私と仲良くしてくれました」


「話つうじねーじゃん、それがオマエをだましてころそうとしてたって言ってんだけど」


「そんなの知りませんッ!!」


エンドローズの理性はついぞ、その激情の、衝動の主導権を手放した。

エンドローズの叫びに、少年はぴくりと僅かに肩を揺らす。


「あなたの言うような人、『私』は知らない!私が今まで見て来た優しいヒスイが、『私』にとってのヒスイの全てで、『私』の見てる世界のヒスイなの!たとえ……たとえ本当に全てが演技で、嘘で、本物の気持ちなんて無かったとしても……ッ!」


エンドローズは、嗚咽を飲み込んだ。


「それは!『ヒスイ』を見て、『ヒスイ』から聞く事だ!!あなたからなんかじゃない!!」


獣の咆哮のようだった。

喉が痛くて、目が熱かった。

悲しくて、怖くて、悔しくて悔しくて仕方が無かった。

ヒスイを悪意を持って陥れるような人に、ヒスイから聞くべきだった事を不随意に露呈されたのだ。

『ヒスイ』になった彼を知らない人に、どうして彼の秘密を暴かれなければいけないのだろう。

どうして明確な悪意と偏見に塗れた主張を、本人でもない彼が真実のように話すのだろう。

悔しい――これは怒りなのだ。

ヒスイが葛藤しながら、怯えながらも今日まで共に過ごしてくれた全てを、踏みにじられた気がした。


「ヒスイは、もう私にとって大切な人なの……いつか殺されていたとしても、ヒスイの判断なら私はきっと恨まない。ヒスイが安心できる未来が約束されているなら、私は死んだってかまわない」


死ぬのは怖い……でも一度経験してるもの。

一度も死んだことの無いヒスイが、あんな風に怯えて警戒して、死と隣り合わせの過酷な幼少期だけで死んでしまうなんて、そんなの不公平だと思う。

もしかしたら、主人公と幸せになる未来が来るかもしれないのに、彼にはその可能性があるのに!

ヒスイが幸せな未来を手に出来るなら、奇跡で手に入れた二度目の人生はその為に消耗したっていい。


エンドローズは心からそう願っているのだ。


「私が、ヒスイを見捨てる理由なんて、ないッ!!!」


エンドローズは全ての怒りを少年にぶつけた。

そして少年は、正しくそれを受け取った。


「あっそ、じゃーふたりでしね!!!」


少年が年季の入った斧を振り上げる。

エンドローズは、咄嗟に膝の上のヒスイに覆い被さった。

ヒスイは、己のぼやけた視界を、薔薇のような赤いカーテンが覆ったのが分かった。


「ぐぁっ!?」


どす、と何か重たいものの落下音が聞こえた。

エンドローズが顔をあげると、少年の手から落ちたらしい斧の柄が――燃えていた。


「お嬢様!ご無事ですか!?」


レイは必死だった。

魔法の適正も低い、おまけに炎魔法であり、特殊な戦闘術も俊足も持ち合わせていないレイでは、主人を助ける事ができない。

そうして足踏みしてる間にも、主人には凶器が迫っていて。

もう何も考えられなくて、気付けば己よりもずっと背の低い少年に、掌ほどの炎を纏わせた両手で体当たりをしていたのだ。

その拍子に斧の柄に炎が燃え移り、少年は見事斧を落とした。

そして転んだ少年を他所に、主人に駆け寄ってしまった。


「お怪我は……ぁぐッ、!?」


「レイっ!!」


「いったいなあ……なんだよこのシヨーニン、すごいあぶないじゃん」


殺し屋として教育を受けた少年は、右手に持っていた吹き矢用の筒で、レイの鳩尾付近を思い切り殴った。

すっかり油断していたレイは、あっさりと崩れ落ちて芝生の上に転がった。


「この女もしっかりころしておかなきゃな……むかつくし、かおがぶどうみたいにふくらむどく使おうかなあ……ああでも、それじゃあまけ犬を犯人にできないか……ちぇっ、仕方ないなあ……」


幼い少年は、緩慢な動きで立ち上がる。

感情の読めない胡乱な目で頭を掻くと、踏んで消火した斧の柄を持ち上げてゆっくりエンドローズに歩みよる。

途中、倒れて動かないレイを力いっぱい蹴り飛ばし、意識の無いレイが呻いたのを満足そうに見下ろした。


「なに、そのかお。そんなにあのおばさんがだいじ?もっとじぶんのいのちのことかんがえなよ」


レイを足蹴にされたエンドローズの目を見て、少年はかくも楽しそうに笑った。

これから行く暗殺組織では、きっともっといいもんが食えるだろう。

ベットも雑魚寝じゃないかもしれないし、一人の部屋かもしれない。

寒くも熱くもない場所で寝て起きて、もう気絶するまで訓練しなくてよくて、怒鳴られて殴られたり、地面に擦りつけられて踏まれたり、意味もないのに一生懸命に謝って暴力が止むのを祈らなくていいかもしれない。

少年の描く未来は、そんな普通の幸福にも満たない希望だった。


「じゃあね、しらない女」


今度こそ、と少年は斧を振りかぶった。


「待てッ!!!!」


「ッ!?」


突然聞こえたのは、この場にいないはずの男の声。

それは、パレスフィア公爵だった。


「おとうさん……!」


「……君、いますぐその斧を下ろしなさい。少しでも娘に近づいたら、容赦なく撃つ」


公爵は、機構がところどころ剥き出しになった、拳銃に似た物を手にしていた。

そしてそれは、真っ直ぐ幼い少年に向けられている。

その見慣れぬからくりが人の命を奪う為の道具であることを、少年は瞬時に察した。

そして動揺から零れたのは、一言。


「……なんで……」


ここが分かったのか、そこまで音に成る事なく、少年は真相を目の当たりにする。

庭の奥まった、薄暗い木陰。

その場にいた者は誰一人逃がしていないし、言い合いに発展したとはいえ、警報に近いような危険を知らせる悲鳴は上がっていない。

せいぜい子ども同士の言い争いにしか聞こえないはずであったし、おあつらえ向きにこの屋敷には子どもがひとり増えていたのだから、違和感は無い。

風の妖精だって忌み子を嫌って、わざわざ他の人間に告げ口にはいっていないだろう。

ではなぜ、ピンポイントでパレスフィア公爵がここまでやってこれたのか。


少年はパレスフィア公爵を追ってやってきた複数の使用人が、とある一点を見ている事に気付く。

それは少年――ではなく、その後ろだ。

少年の背後、少年から少し逸れた地面を見ていた。


そこにいたのは。


「こんの、ババア……ッ!!」


地に伏したのは、先程足蹴にしたあの侍女。

少年が力いっぱい蹴った時、防御姿勢もとらずにただ呻いていた事から、気を失っているものだと油断していた。

否、レイは確かに気絶しているのだ――燃えた低木の一本に片手を突っ込んだ状態で。


レイは蹴られた跡、朦朧とする意識の中最も近くにあった低木に音もたてずに手を差し込んだ。

そして――マッチのないこの状況において、己の魔法を触媒にした。

そして居場所を知らせる狼煙が上がり始めたのを確認して、その意識を手放した。

殺し屋の少年が気付けなかったのは、あまりにもエンドローズに意識を向けすぎていたのか、それとも大人を一人倒した事による油断か、はては風の妖精の気まぐれによる風向きかもしれない。

しかし原因そんなことはどうでもよかった。

今そこにある事実として、侍女は右手を燃える低木に突っ込んだまま気絶し、その右手を代償に周囲に異常を知らせる事に成功した。


完全に、してやられたのだ。


「くっ……はあ、わかりました、こうさんします」


少年はあまりにもあっさりと降伏し、斧と吹き矢を遠くへ捨てた。

この隙に油断しないかとも思ったが、公爵が己を大きくそれて背面へ飛んでいく武器など目もくれなかった。

ただ真っ直ぐに、少年を睨みつける。


少年は無表情で両手をあげ、地面に跪く。

そして後頭部で結ばれた髪を覆うように腕を組んだ。


「……とりおさえろ」


「はっ」


公爵の、引き金にかかっていた人差し指からほんの僅かに力が抜ける。

その瞬間を見計らっていた少年は、使用人から一瞬で距離を取ると、髪紐についていた小さくて丸い玉を割る。

中に入っていた薄い紙の包みを睨んで一瞬躊躇うと、意を決したように大きく口を開いた。

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