Play#30 真実の語り手
ヒスイがパレスフィア家に訪れて、三日目の朝。
今日が療養期間の最終日であり、ヒスイの就職猶予の最終日でもある。
「……今日こそ、引き留めなきゃ」
エンドーズは自室の寝室で。
「……今日こそ、仕留める」
ヒスイは貸し与えられた使用人用の部屋で。
それぞれの覚悟を決めていた。
パレスフィア公爵は、いつも通りエンドローズと共に朝食を摂ると、宮廷内での公務の為に出かけて行った。
その時ヒスイに向かって、『夕刻までには確実に戻れるだろうから、その時までに考えをまとめてみてくれるかい?』と言った。
ヒスイは鋭い目つきはそのままに、無言で頷いた。
エンドローズは午前にマナーのレッスンで、昼とお茶の時間を挟んで、夕刻前に家庭教師と勉強である。
いつものルーティンだが、今日に限っては非常にまずい事態である。
公爵の帰りが遅くても夕刻ならば、エンドローズが別室で家庭教師といる間に、ヒスイが去ってしまうかもしれない。
そうなれば今後来る主人公の女の子が、ヒスイと出会えなくなる。
もし主人公がヒスイを選ぶとしたら、ここで引き留めないとヒスイの恋やその後の結婚生活まで奪ってしまう事になる。
なんとしてでも避けなければ、とエンドローズは決意した。
そしてそれは、結果的には概ねヒスイの考えと一致していた。
遅くとも夕刻までには戻るらしい公爵と、昼前と夕刻前は別室で他人と過ごす
ヒスイが比較的低いリスクで事に及べるタイミングは限られていた。
即ち、昼。
昼食後からお茶の時間より前の、エンドローズの自由時間。
このタイミングに片を付けるしかない。
少女と少年は、お互いに同じ機会を見据えていた。
***
マナーのレッスンが終わり、エンドローズとヒスイは昼食をとった。
公爵はまだ戻っておらず、控えの使用人を除けば二人のみの空間。
互いに機を窺う両者の間には、不自然なまでの沈黙があった。
「……あ、あの!私……夕方まで予定が無くて。も、もしよかったら……何かしない?」
先に沈黙を破ったのはエンドローズだった。
しかしその誘い文句はお粗末と言わざるを得ない。
何せなんの具体性もない提案なのだから。
自ら他者を誘う事など今世が初めてだった為、どうすれば相手が快く頷くかなど知る由もない。
「何かって、なんだ」
ヒスイは短く答えた。
当然の疑問である。
しかしヒスイの意図としては、この少女はどうせ何も手札を用意せずに提案したのだろう、と見抜いた上で、次の台詞を誘導する事にあった。
エンドローズの自発性がかなり薄い事は、この二日で理解していた。
「えーっと……ひ、ヒスイは何かやりたい事はある?私は何でもいいから、ヒスイに合わせるよ」
ほら、きた。
ヒスイは心の中で勝利に向けて駒を進めた。
エンドローズがそう問いかけてくる事を半ば確信していたヒスイは、奴隷として当然の腰の低い言い分を枕詞に置いて、されど明確な要求をした。
「本当にここで良かったの?ヒスイ」
「……ああ。最後にみておきたかった」
エンドローズとヒスイ、そして影のように付き従うレイの三人で訪れたのは、初日も二日目も案内した庭である。
初日は庭の半分程度、二日目は馬が好きだと言ったヒスイの為に、厩舎にほど近い低木の多い庭を案内した。
その時点である程度庭の全容は見せ終わっていたし、この低木エリアは咲く季節の様々な種を植えてあるが、今三人がいる庭の端は大きな気が数本生えているせいか葉で鬱蒼としている。
木陰として涼むのには良いエリアであるが、周辺の低木は紫陽花がほとんどで、まだ春である今の季節はただの小さな木でしかない。
おまけに庭の隅で旬でもない低木エリアには、周辺に庭師の姿が一切ない。
恐らくもっと今世話するべき植物のエリアで、職務を全うしているのだろう。
つまりは、鉄格子の塀に近くはあるが、木と蔦と低木で見晴らしはかなり悪かった。
梅雨――この世界の暦でいうところの夏の
そんな、今は見通しが悪いだけの葉と草しかないエリアを、ヒスイは見ておきたかったという。
エンドローズは、そういう事もあるのだろうと特段気にはならなかったが、話題探しが下手であるためそれを聞いて会話を繋げる作戦に出た。
「そうなんだ、でも……この辺りは紫陽花だから、まだ季節じゃないかも」
「…………」
ヒスイは応えない。
無言で、エンドローズに背を向ける。
「ヒスイ……?」
突然うんともすんとも言わなくなったヒスイに、エンドローズは心配になっておそるおそる歩み寄る。
エンドローズがヒスイの背後三歩手前で歩みを止め、その肩に手を伸ばした瞬間。
ヒスイは突如として振り返り、渾身の力でエンドローズに掴みかかった。
「うわっ!?」
「お嬢様ッ!!」
少し後ろで控えていたレイが、悲鳴のような声をあげてエンドローズと彼女を組み敷いたヒスイに駆け寄る。
ヒスイは見た事の無い鬼気迫る形相でエンドローズを睨みつけ――ぐらりとその体を芝生に投げた。
「ひ、すい……?」
「あーあー。なに邪魔してんだよ、オマエ」
上半身を起こして芝生に座り込んだエンドローズは、膝の上で体を痙攣させるヒスイを見て、それから聞きなれない声に顔をあげた。
それは少年だった、エンドローズとさして変わらぬ背丈の。
「ったく……ホントやっかいなひょうてきだよな。オマエのせいでまほうも使いにくいしさ」
見慣れぬ少年は、杖ほどもある細い筒のようなものを右手に持ち、左手に持った錆びついた斧を肩に担ぐように歩いた。
「お、まえ……っ、なん、で、」
「イヤ、なんではこっちのセリフだし。なにひょうてきかばってんの?しっぱいしてあたまイカれたの?なんでまだ生きてんの?しっぱいした役立たずのくせにしぬのもこわくなっちゃったの?」
ヒスイより若干幼く見える少年は、エンドローズの膝に抱えられたまま死にかけのような呼吸をするヒスイを見下ろして捲し立てる。
ヒスイは右の上腕をきつく抑えていて、そこには小さな羽のついた金属の棒が突き刺さっていた。
「ま、まさか、これ、」
「そ、どく矢。おれのまほうじゃあせいぜいしのび込めてもすみっこがげんかいだなって思って。まさかこんな近くまでくるとはおもってなくてさ……やくそうえんからかりたやくそうでつくったんだ。おれこういうのとくい」
舌っ足らずに言う少年は、この場に似つかわしくない笑顔だった。
「あ、メイドのおねーさん。今すきをみてにげようとしてるでしょ?だめだよー、おれのがアンタの主人にちかいんだから。このおんながどーでもいーならにげてもいーけどね?」
斧をこれみよがしに振り回す少年に言われて、図星だったレイはその場に縫い付けられたように硬直した。
ああ、こんな時普通の女らしく甲高い悲鳴をあげられる女であれば、とレイは生産性の無い後悔をした。
咄嗟に悲鳴をあげるより息を呑んでしまう質であったレイは、そのおかげで今エンドローズが猶予を与えられている事を知らない。
レイが間髪入れずに悲鳴をあげていれば、その悲鳴の一音目と同時に、エンドローズ諸共三人は殺されていただろう。
幼い少年はこのただでさえ人目につかない場所で誰も悲鳴をあげなかった事で、少し興が乗ってしまったのだ。
故に、標的と負け犬とおまけを少しいたぶってから殺してやろうなどという、悪趣味な発想に至った。
「どーした?まけ犬。とくいのまほうで逃げないの?それとも……あは!ききうでにどくが回ったせいでうまく使えない?あーあ!その女なんかかばうから!ばかなやつ!」
幼い少年は、無邪気にヒスイを嘲笑う。
ヒスイとて、この状況に困惑していた。
エンドローズが己に触れるその瞬間に、侍女ごと殺して近くの厩舎まで駆け、馬に乗って逃げ果せる予定だった。
それがどうだ、庭園の木の真上、忌み子の存在と相手の隠密の巧妙さによって感知が遅れたが、あの見知った土臭さに気付いた途端、気付けばエンドローズに飛びついていた。
殺意も敵意も微塵もなく、ただ純粋に『危ない』とだけ脳内にアラームが響き渡り、気付けばヤツの放った毒矢は己の右上腕に深々と突き刺さっていた。
組織でも、幼い身ながら特別毒の扱い事で生き残ってきた少年の毒は、的確にヒスイの腕に痺れを与え、魔法と呼吸、それから呂律を徐々に奪っていった。
「ク……ソ……ッ!」
「ヒスイ、ヒスイッ!!おねがいしっかりして!どうしよう、ヒスイがしんじゃう……ッ」
なにやってんだ、なんでそんなに涙を流してるんだ。
ヒスイは朦朧とする意識の中で思った。
あの過保護な侍女でも囮にして、人がいる場所まで駆ければ良いのに。
使い捨てといえ、組織のやり手の殺し屋を前に逃げ切れる可能性は極めて低いが、それでも何もしないよりはマシだろう。
この少女の悪運強さなら奇跡だって起こるかもしれないじゃないか。
現実的な思考から解離し始めたヒスイは、焦点の失われていく視界で赤い髪が揺れるのを見ていた。
顔にかかる雫の温かさを享受した。
なんでこんな自分なんかを抱えて、ただ泣くだけしかしないのだろうか。
ああもしかしたら、少女があまりにも非力だからかもしれない。
だから、哀れに思ったのかもしれない。
「おい、オマエ。オマエだよ女。はやくどいてよ、ソレのアタマかちわるからさ。しっぱいしたくせに死ぬこともできないいくじなしめ」
「あなた……あなた誰なの……?どうして、どうしてこんな……」
意味が分からないと言いたげな悲哀のこもった表情ではらはらと涙を零す標的に、幼い殺し屋の少年は声を殺して笑い転げた。
「なにオマエ、まだわかんないの?ばかじゃん!しょーがないからおしえてよるよ!」
よほど気分が高揚したらしい少年は、独り舞台が如く大手を振って語り始めた。
「アンタのかかえてるまけ犬も、おれと同じころしやだよ。ずぅっと、アンタをころすことだけ考えて、アンタをだましてた。おとなに聞いたけど、たっかいぼうしをかいぬしでも何でもないと通りすがりのばいにんにおしつけたんだって?それで自分をころしにきたやつ買ったつもりになったの?なんだよーきぞくってばかばっかじゃん!」
ずっと見開いた目から大粒の涙を零すエンドローズと、その膝でされるがままに抱えられるヒスイを見て、少年は感じた事のない楽しさに高揚した。
調薬が唯一の生きる術だった少年にとって、同じ風魔法の適正を持ちながら組織に期待されるほど魔法の素質があったヒスイは癪に障る存在だった。
魔法が使えたために引き抜かれたが、思ったほど組織の求める素質ではなかった少年は、毒の扱いに打ち込む事でなんとか、生きる事を許されていた。
それ故に、生まれ持った素質だけで生き残ってきたヒスイにすっと苛立ちを覚えていた。
「分かる?ソレはやくたたずのまけ犬!だからさあ、どきなよ。そんなヤツ見すててにげな?そしたら見のがしてあげるよ。おれはやくたたずをころしに来ただけだからさ」
殺し屋の少年は心の中でほくそえんだ。
全て嘘だったからだ。
標的の女が逃げ出したところを、斧で背後から後頭部を割る。
ついでに侍女の喉も割く。
ヒスイはむしろ、斧で殺す気などなかった。
彼には髪紐に仕込まれた毒を飲ませて死んでもらう。
そうして己が立ち去れば、侍女と令嬢を斧で殺害して自死したヒスイ、それだけが残る。
そうすれば幼い少年自身も、犯人としてマークすらされないだろうから、はれて組織の正式な暗殺部隊に配属されるだろう。
やり手だが、ヒスイよりは幼い為か、少年は暗殺用奴隷がどうあがいても『使い捨て』である事を理解していなかった。
勝ち誇ったような笑みの少年が、エンドローズを見下ろす。
エンドローズは、自分でもコントロールのできない、初めて感じる衝動に駆られて、口を開いた。
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