Play#29 悪くない食事


パレスフィア侯爵家の令嬢であり、標的でもあるエンドローズに拾われて二日目の朝。

ヒスイは今まで寝たベッドのどれよりも上等なマットレスで、眠れぬ夜を過ごした。


シーツは限りなく無臭に近く、隙間風はその音すらしない。

ぎゅうぎゅうの雑魚寝ではなく、贅沢にも一人のベッド、一人の部屋。

きっとここなら、安全圏から魔法で探るだけの諜報部隊も、ヒスイの気配を感じ取りにくいだろう。


それでも、ヒスイは眠れなかった。

いつ死が訪れるとも分からなかった人生で、過度な労働や訓練で気絶するように眠るならまだしも、こんなぬるい環境で就寝する経験はほとんど無かったのだ。

故に、組織にあえて『生かされている』というこの安心とは無縁の状況において、自ら目を閉じる事ができなかった。


そして、元から悪かった顔色をさらに悪くして、ダイニングルームへやってきた。


「ヒスイ!?どうしたのそのクマ……昨日あんまり眠れなかったの?」


不本意ながらも、まるで客人かのように使用人に案内された先で、ヒスイの顔を見るなり標的は椅子から飛び降りる勢いで駆け寄ってきた。

ちなみにその奥には、特に動じる様子も無い公爵がいる。

公爵は元々家を空けがちだったが、最近は出来得る限り娘と食卓を共にするようにしている、と風に乗った使用人の噂話を聞いた。

金持ちの家は親まで質が良いのか、と思うヒスイは少しだけ腹が立った。

せめて最低な親でもいないと、世の中不公平が過ぎるだろう。


「平気だ、問題なくはたらける。アンタの気にすることじゃない」


「そ、そっか……分かった。ごはんは食べられそう?」


「たべろというならたべる」


ヒスイが終始ぶっきらぼうに返すと、エンドローズはいちいち戸惑った。

戸惑って、しばし悩んだ結果、『じゃあ無理しない範囲で食べてみてほしいな』などという、奴隷からすれば最も扱い辛い命令をした。

無理せず、と枕詞に使っていようとも、食べろという意味が含まれていれば、奴隷は綺麗に完食しなければならない。

主人が口にしていない真意まで察して、とにかく機嫌を損ねないようにだけ頭を使うのが、奴隷という身分の典型的な生き方だった。


この頭の中にお花畑のありそうな少女には、それを言ったところで通じないだろうと諦めて、ヒスイは無言で料理の置かれた席についた。

昨日の晩に食わされた分には、少なくとも薬物は混ぜられていなかった、はずである。

あくまで憶測だが、口に含んでしばらく待ってみても痛みや痺れなどは無かったし、一晩経った今でも発汗や体温の上昇は感じない。

たまに奴隷に一服盛って遊ぼうとするいけすかない輩も存在すると聞くが、少なくともこの家にはそういった趣向は無いらしい。

念のためまた口に含んで確認しつつ、ヒスイは昨日よりかは警戒を解いて食物を口に運んだ。


ちなみに昨日の献立は丁寧に作った粥のようなもので、今朝は白パンと黄色いスープ、楕円形の黄色いヤツだ。

昨日の粥は、普段食べている家畜の餌のようなものと違い、ミルクの匂いと程よい塩気のものだった。

今まで飯に対して美味しいだの不味いだのと思う余裕などなく、生きる為の作業と化していたが、この屋敷の飯はヒスイの常識に無い味だった。

つまりは、かなり悪くないのだ。


ヒスイは、感情の無い顔でパンをちぎり、スープを飲んだ。

一定のペースで、休む事なく、その作業を繰り返す。

それはヒスイの皿が空になるまで続いて、黄色いスープが極限まで皿からこそげ取られると、長らく続いていた食器のぶつかり合う音は止んだ。

ヒスイは空になり、ソースとスープを掬い取った跡しか残っていない皿を黙って見て、一拍置いてからカトラリーを置いた。

何も考えずに顔をあげると、ものすごくむず痒くなる顔をした、標的とその父がこちらを見ていた。


「……?」


「ふふ、美味しいよね、厨房の方々が作ってくれるコーンスープ。私も好きなんだ」


「僕はオムレツが好きかなぁ。毎朝でもいいくらいにね」


なんだそれは。

なんでそれを今、己を見ながら言うんだ。

なんでそんな生暖かい目で笑ってるんだ。

ヒスイは困惑した、その困惑が目か眉に出ていたらしく、何かを察した気になったらしい標的は満面の笑みになる。


「よかったら、おかわり食べる?多分用意してくれると思うよ」


なんでそういう話になるのか見当もつかない。

貴族サマは飯を追加するのが当たり前にできるのか知らないが、その選択権は己には無いのだ。

終始奴隷の扱いがおかしいエンドローズに、ヒスイはバレないようにため息をつく。


「……たべろというならたべる」


その時、誰かの腹の虫が空気を読まずに主張した。

只今胃袋サイズ拡張中のエンドローズではないし、もちろんすでにパンを3個平らげている公爵でもない。

ヒスイは感情が出ないよう顔に力を込めたが、案の定微笑ましいものを見る顔をした公爵が追加のコーンスープを注文した。


***


その日ヒスイとエンドローズは、互いに真意を隠しながら攻防を繰り返した。

ヒスイはもちろん、標的の殺害計画を淡々と練る――予定だった。

しかし何故か、昨日とは打って変わってエンドローズの警戒が強い。


「そ、そういえばヒスイ、あれだよね~……なんか、あんまり前の事言わないよね~……いっ言いたくないならもちろんいいよ!?で、でもほら、やっぱり色々あったのかな~……なんて……」

「そういえば~なんだっけ~……うちって確か護衛さん募集していた~……ような~……?」

「うちって結構大きな貴族らしいよね~……働けたらラッキーだったり~して~……?」

「全然全く関係ないけど風魔法って色んな職種に向いてるんだね~~?アー、ゴエイモムイテルンダナ~~」


と、何かにつけてこちらを窺うような視線を送ってくる。

急に過去を探るような発言をしたり、貴族としての後ろ盾の大きさを匂わせたり、魔法を使える護衛の存在をちらつかせてきたり、昨日のお花畑ぶりとは180°変わった警戒ぶりである。

おかげでヒスイは今日の作戦に悉く踏み切れなかった。

ヒスイとて、食事に毒を混入させる隙――自死用の極小薬物カプセルが髪紐に仕込まれている――をずっと窺っていたし、パレスフィア邸の所有する厩舎をそれとなく案内させ、逃亡の時に使えそうな馬をバレない程度に物色するなどしていた。

しかしこの警戒ようのエンドローズに対して中々踏み切れず、気付けば夕刻になっていた。

エンドローズとて日がな一日暇を持て余している訳でもないらしく、昼前はマナーのレッスンとやらをこなし、午後は昼飯と散歩を挟んで、今は家庭教師に勉強を教わっている最中である。

よほど公爵は己に対して油断しているのか、昼の散歩はいつもの侍女とヒスイの二人しかいなかったのだから、人目の届きにくい庭の隅に来たタイミングにでも魔法で襲撃すればよかったのかもしれない。

実際その案は過っていたし、何よりも最も警備の薄いタイミングであったため、納屋でくすねて隠し持っていた金属片で標的と侍女の喉を同時に掻っ切れば悲鳴も起こらない。

ヒスイにはそれを可能とする魔法技術があったし、犯人が己であるという事は100%割れるだろうが、その分殺しが発覚するまでの時間、=ヒスイの逃亡時間は最大限確保できる。

その場で目算してみても、猶予の無いヒスイにとっては最良の計画だった。

しかし、踏み切れなかった。


『すごい、すごいよヒスイ!』

『ずっと夢だったの、凧を飛ばすの!』


「…………っ」


魔法を使おうと手を翳すと、決まって標的の、声が、顔が、ちらついた。

うるさかった、だまってほしかった。

煩わしくて、聞くに堪えなくて、どうしても魔法に集中できなかった。

まるで、自分が人の夢を叶えられるような立派な人間になれた気がして、吐き気がした。

まるで、自分が感謝に値する行いをしたかのようで、不快だった。

今から人の命を奪おうとしている殺し屋の分際で、気まぐれの賛美を忘れられない自分が気持ち悪くて、嫌で嫌で仕方無かった。


「ヒスイ……ヒスイ?どうしたの?もうおなかいっぱい?」


いつの間にかヒスイの席は、エンドローズの目の前になっていた。

昼までは上座に公爵、そこから二つ席をあけてエンドローズで、ヒスイの席はエンドローズの対面側の端に近かった。

使用人がヒスイの身分を正確に認識した結果の、当たり前の配置だったが、先程ヒスイが晩飯に呼ばれて案内された時には、ヒスイの分らしき料理は公爵からもほど近い、エンドローズの真向かいになっていた。

困惑して固まるヒスイに、パレスフィア親子はにこにことして、待っていた。

自分がその席につかなければ二人の食事も始まらない事を察したヒスイは、無言でその席に座り、それでもしばらく耐えていたが、根負けして自ら食事に手を伸ばす。

ヒスイが一口目を口にしたのを見届けて、やっとエンドローズとライラックは自分の食事を始めた。


「大丈夫?どこか具合でも悪い?それとも苦手なものが入ってた……?」


考え事に気を取られ、食事が疎かになってしまったヒスイを見て、エンドローズは心配そうに身を乗り出す。

お前の事を考えていた、などとは口に出すべきじゃないだろうと考えて、ヒスイはこの面倒な思考回路の標的を黙らせる表現を模索する。


「……体調はわるくない。苦手でもない」


そう言って、ヒスイはあえて奴隷には不釣り合いな肉の塊を大きく切り取り、大口で頬張って見せる。

すると思惑通り、エンドローズは目に見えて安心した顔をした。


「よかった、アレルギーとかだったらどうしようかと……この世界にあるか分からないけど……」


エンドローズの発した単語の意味は知らないが、家庭教師なんぞ呼びつけて勉強しているからには多少知識があるのだろう。

貴族サマの教養として当たり前の単語なのかもしれない。

とにかく飯は食ったほうが油断するらしい彼らを騙すため、ヒスイは香辛料の効いたソースがたっぷりかかった肉を頬張っては、用意された白パンを口に詰めた。

相変わらず、味は悪くなかった。


「ハッ!う、うちでは、こんなおいしいごはんも食べられるな~……!良い職場になりそうだな~……!栄養価も高いだろうな~……!」


「今日のローズは、なんだか沢山お話するね」


何かを思い出したのか、唐突にまたあの不可解な態度を取ったエンドローズを、公爵は相変わらず穏やかに見つめていた。

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