Play#26 それでも耳を塞がなかった


「こっちがガーベラで、あっちがシャクナゲ……あの辺一体は全部薔薇らしいです。咲く季節が違う種もあるので、全部は見た事ないんですけど……」


エンドローズは毎朝ウォーキングをするルートをなぞって、庭師の方々に教えて貰った知識を披露する。

今は淡い薔薇が多いが、秋に咲く種はもっと色が濃くて違う美しさになるらしい。

ヒスイは子どもとはいえ7年もこの屋敷で暮らしているはずなのに、秋の薔薇とやらをまるで見た事が無いかのような口ぶりのエンドローズを疑問に思ったが、余計な事を言ってわざわざ機嫌を損ねるメリットがないので口には出さなかった。

事前に組織から伝えられた情報では、標的は我儘で癇癪持ちで、権力にものをいわせて第一王子に婚約を迫るようなヤツだと聞いていたが、ここまでの印象ではその片鱗すら見せていない。

見たところ相当世間知らずな箱入り令嬢である事は分かった為、事前情報を伝えた今回の顧客の偏見が混じっていたのかもしれない。

まあ大人しくて世間知らずな方が始末しやすいだろう、とヒスイは特に気にしなかった。


「あとは……あ、あっちは納屋というか、庭師さんたちの道具とかがしまってあって……あれ?」


エンドローズは庭の隅のほうにある木造の小屋を指差し、その前に置かれた見慣れない物を発見する。

納屋は刃物や先端の鋭い道具などがあり危険な為、エンドローズは入らないように言われているが、その目の前にあった物を拾うくらいなら大丈夫だろう、と手にとってみる。

ヒスイはすぐにその正体を察して、特に驚く事なくそれをただ見た。


「これって……もしかして、凧?わ、すごい。こんなに軽いんだ!」


エンドローズは目を輝かせる。

ヒスイの知る常識では、普通の子どもや暇を持て余した青年、農家などが時々暇つぶしに作る、特に珍しくもない玩具。

ヒスイはかなり特殊な生い立ちである為身近にこそ無かったが、時々平民が飛ばして遊んでいるところくらいは見た事がある。

貴族様ともなればこんな物まで珍しがるのか、ヒスイは密かに苛立ちを覚えたが、哀しい事にエンドローズは前世も今世も箱入りでぼっちだったので、凧あげなどした事がないのである。

なんならずっとやってみたいと思っていた、風の力だけで単身では不可能な高度まで物を飛ばし、それをたった一本の糸で制御するなんて、そんな体験はしてみない事には想像すら難しかった。


「庭師の誰かが作ったのでしょうか……休憩時間なら問題ではないでしょうが、片さないのは関心しかねますね」


「凧を手作り?すごい……これが空を飛ぶなんて……!」


エンドローズは高鳴る鼓動を胸に、期待いっぱいに空を見上げた。

人の物を勝手にお借りするのは気が引けるが、かねてより憧れていた玩具が手元にある興奮を抑えられず、飛ばしてみたいと思ったのだ。

しかし、直後エンドローズはがっかりする。

昼時、王都にいた時は割と吹いていた風が、時間が経過した事でほとんど止んでしまっていたのだ。


「…………」


「お嬢様……」


しょぼん、とエンドローズは無言で肩を落とした。

こんな時、『飛ばしてみたかったのに』と落胆を口に出す習慣を、エンドローズは持っていなかった。

ただ一言ダメだ、諦めなさい、と言われれば、もうそれを口には出さない。

そういった事を口にすると、前世の母は必ず不機嫌になって、『お母さんを困らせたいの?』と聞いた。

そんな風に思わせてしまうといけない、と未だにエンドローズは無意識のブレーキをかけてしまうのだ。


俯き気味になって、凧を見たまま無言になったエンドローズに、察しの良いヒスイはその望みを理解する。

礼儀を教わる暇も無く訓練漬けの毎日だったヒスイにとって、言葉で貴族に取り入る術は少ない。

こんな事で油断を誘えるなら儲けものか、と少年はゆっくり瞬きをして、エンドローズのもっていた凧をひったくった。


「わ、」


「あなた、お嬢様に何をするんです!?」


「丁度良い。アンタ、その凧をもって向こうへ行け」


「はい……?あなたの命令を聞く筋合いなどありませんが」


「いいから。主人を慰めたいんだろ?黙ってやれ」


レイはそのジト目をさらに細めて、礼儀のなっていない少年を睨むが、その意図を察したのか渋々といった様子でその凧を受け取り、エンドローズたちから少し距離をとる。

その凧から伸びる糸を掴んでいた少年は、茫然としたエンドローズに無言でそれを差し出した。


「……あ、ありがとう?」


訳も分からず礼を言うエンドローズに、不機嫌そうに鼻をならすと、彼女が糸を両手でしっかり持っているのを確認してから気だるげに片手を翳した。


「うわ!?」


びゅう、と一陣の風が吹いて、その突風まではいかずとも少しパワーのある風が、エンドローズたちの周りを大きく囲んだ。

レイは少し離れた所で、切り揃えられた前髪が風にかきあげられるのも気にせず、クールな表情でスカートをなびかせた。


「行きますよ、お嬢様」


「え?わぁ……!?」


レイが持ち上げていた凧から手を離すと、それは瞬く間に天高く舞い上がる。

その力が思ったより強くて、エンドローズは持っていかれそうになるが、その華奢な体が前のめりに倒れる前にヒスイがいとも簡単に支えて見せた。


「きを付けろ」


「う、うん……!」


「しっかり立って、指先にしんけいを集中させろ。制御できなくなるぞ」


態勢を立て直したエンドローズは、凧の空気抵抗に負けないよう、両足にしっかりと力を入れた。

糸から指へ伝わる感覚を読んで、どうにか暴れる凧を制御しようとする。

すると荒ぶっていた凧の帆が少しずつ安定して、優雅に風に乗った。


「で、できた……」


「……それはよかったな」


ヒスイはおもいきり嫌味のつもりでそういった。

こんな事も知らない箱入り令嬢、こんな事もできないのにのうのうと生きてきた忌み子。

大して努力もせず、甘やかされて育ってきたのだろうと想像して、つい苛立ちを隠せなかったのだ。

さっきから睨んできていた侍女にはしっかり伝わったようで、更に怒気を孕んだ視線を送られたが、この能天気で非力なお嬢さまなら大して気にしないだろう、とヒスイは高を括る。

それは半分正解な推測だが、半分は予想を外れた。


「すごい、すごいよヒスイ!こんな事もできるなんて!」


エンドローズは、ヒスイの前で初めて、配慮も遠慮も無い屈託のない笑顔を浮かべた。

そして大興奮といったように、凧の糸を握りしめたまま飛び跳ねた。

その反動で凧が少し荒ぶったが、もうコツを掴んだのか片手間に軌道修正してみせる。


「これくらい……だれでもできる」


エンドローズのあまりのはしゃぎように、まさかやり過ぎてしまったかとヒスイは冷や汗をかいたが、そんな事は露知らず、エンドローズは夢中になって話続ける。


「私はできないよ!魔法なんて使った事もないし……それに、ずっと夢だったの、凧を飛ばすの!」


令嬢の癖に随分と安い夢を見てるんだな、と喉まで出かかって、ヒスイはぐっと呑み込む。


「本当にうれしいの、ヒスイがいなきゃできなかった!ありがとう、私の夢を叶えてくれて……!」


さっきの口癖のような言葉ではない、心からの感謝が溢れて、エンドローズはそれを全てヒスイに伝えた。

魔法なんて生きる為の道具でしかなく、しかも魔法さえ見られなければ殺しなんてさせられずに済んでいたはずで。

ヒスイにとって魔法は、何の良い思い出も愛着もない、不運の象徴のようなものであった。

なので、こんな簡単でなんの生産性もない技術だけで、これほど感謝されるとは思ってもみなかった。

しかも、夢が叶っただって?

大袈裟だ、それすら恵まれた者だけが持つ、気まぐれの悦楽程度の代物じゃないか。

ヒスイはありがとうだの嬉しいだのとうるさい少女を無視して、なんの返事も返さなかった。

ただ黙って、世間知らずな標的の言葉に耳を傾ける。

暇を持て余したので少しだけ風を強めて、凧をもっと高く持ち上げてやると、少女は無邪気に笑った。


***


「……公爵。やはりあの奴隷の少年は、何かきな臭い気がします」


「そうか……少年の着ていた服から見つかった、あの名刺は?」


「現在、王立警官部隊もマークしている、違法売買関連の要注意人物でした。しかし……いくら調査を進めても、あの少年が奴の身辺で目撃された事はなく。それだけならまだいいですが、あの商人が枷もなく王都の中心街に奴隷を逃がすとは思えません」


「……ふむ」


真剣な目つきのサリエから報告を受けつつ、ライラックは庭園の隅で高く上る凧と、それをもって駆け回る娘の姿を窓から眺める。

あれほど高く凧が上るほど今は風が強くなく、侍女のレイは弱い炎魔法の適正しか持たないはずである為、必然的にヒスイの風魔法である事が分かる。

ただ風を吹かせるならまだしも、凧の高度をコントロールしつつ、庭園の花が巻き込まれない範囲のみ魔法を維持するのは、10歳もしないだろう奴隷の子どもが使うものとしては『簡単』の範疇を超えている。

その事を危険視しつつも、エンドローズの側でそれほど高度に魔法が操れるにもかかわらず、危害を加える素振りも無い為、ライラックはヒスイの評価を断定できずにいた。


「識字はできないようですが……、恐らく戦闘用の奴隷として訓練されてきたのかもしれません。どちらにせよ、あの少年をただの子どもと信用するのは推奨致しかねます」


サリエの主張は尤もだった。

戦闘用の奴隷であれば、中には英才教育を受けた才能のある貴族の子ども並みに魔法に長けた者も存在する。

しかし、それほどの上玉なら必然的に商品価値が高く、故に枷も無しに街中をうろついていた事に違和感が生じる。

ライラックが好条件を提示してみせても、少年は眉ひとつ動かさなかった。

それほどまでに人間不信になっているのか、あるいは他の目的があるのか。

とにかく今は大人しく、従順な少年を邪険にはできない。

心優しい愛娘が悲しむだろうし、それに怯えてまた以前のようなぎくしゃくした関係に戻るのは避けたいところである。

そう正直に秘書に言えば、彼は呆れたように頭を抱えた。


「あなたという方は、娘と嫁が絡むと本当に手に負えない馬鹿になりますね」


少年が何の接点も無かった初対面の少女に、明確な殺意を抱いているとまでは思ってもみない二人は、一方は憐みを、一方は油断を以て、彼の処遇を先延ばしにした。

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