Play#25 お風呂はひとりが良いですよね、分かります
「怪我、大した事なくて良かったですね」
エンドローズは、安心から緊張感の無い顔で笑った。
あの後すぐに医者――もといパレスフィアのお抱え魔法医術師の老人に診察してもらったが、幸い酷い怪我はなかった。
ただ、筋肉がある割に少し痩せすぎである事を懸念した老医師は、公爵に彼の療養を進言した。
もちろんそれで死ぬほどの事では無かったが、少しでも悪い兆候を見つけたら、例え相手が奴隷でも報告するのが医師というものである。
故に優秀な医師である老人は、エンドローズや公爵と差をつける事なく、彼を一患者として診察し、報告した。
ライラック公爵はそれを受け、ひとまず三日間パレスフィア邸で療養すると共に、その期間を使ってこれからどうしたいか考えるようにとヒスイに言った。
愛娘の突発的な行動が原因で、幸か不幸か彼の人生は本来辿る予定では無かった方に分岐したのだから、その責任としてある程度の支援を約束してくれた。
街で暮らしたいのであれば仕事を斡旋するし、職の選択肢もそれなりに用意できると、ライラックは笑顔で言う。
普通の奴隷上がりの身なら泣いて喜んだ処遇だが、その選択肢の中に当然『国外への移送』は無く、ならばやはり自力でやるしかないとヒスイは悟った。
そしてその後、流れるように浴場に連れていかれ、侍女たちに懇切丁寧に服を脱がされかけたので、ヒスイは屋敷へ来て初めて動揺を表に出した。
服を脱がされる事にも数人がかりで全身を洗われる事にも正しく困惑した経験のあったエンドローズは、珍しく機転を利かせて侍女たちを止める。
その上で『自分でやりますか』と聞けば、ヒスイが毛を逆立てて縮こまる猫のように全身を強張らせて全力の首肯をしたので、うんうん分かるよとエンドローズも全力の共感をした。
今は多少慣れ抵抗感が若干薄まりつつあるが、当時を思い起こせばその苦労は痛いほど理解できるのだ。
その為、各種石鹸の使い方や体を洗い流す用の温かい湯を溜めてある場所なんかを一通り教えて、あとはごゆっくり、と浴場から出た。
侍女たちには、ヒスイが浴場に入った後に脱衣室に入って、新しい服と交換して欲しいと頼んだ。
あのくらいの年頃なら、お姉さんたちに裸を見られるのも嫌かもしてない、という見た目年齢のみ7歳のエンドローズの老婆心であった。
そしてエンドローズはヒスイの湯浴みが終わるのを応接間で待った。
リオン王子殿下とお話した、あの庭園を望む大きなガラスの扉がある部屋だ。
あれからも時々リオンがやってくると、ここでお茶をする。
体だけは同い年なのに、リオンは同世代の子よりずっと多忙らしく、たまの空き時間にパレスフィア邸に来ているらしい。
ならばお休みしては、とか、何か他のおもてなしを、とか提案しても、リオンはただお茶を飲みながら会話するだけでいいからと微笑むだけ。
対したお構いもできない事を申し訳なく思いながらも、エンドローズは言われた通りにただ殿下から提供される話題に応えている。
そんなここ最近の事を思い返していると、応接間の扉が空いた。
そちらへ視線を送ると、汚れひとつない新しい服に身を包んで――頭から水滴湿らせたヒスイがいた。
「随分と早かったですね。……よかった、ちょっとぶかぶかだけど、服は大丈夫そう」
エンドローズが笑顔でヒスイに歩みよる。
男性の使用人に至急していたシャツの最も小さいサイズを、ベテランの侍女長が急ごしらえで繕い、その上にエンドローズが当初使っていた形の悪い改造つなごぎを着せた。
急ぎだったのでこんな物しか用意できなかった事を謝ると、相変わらず彼は無感情な顔でしかめっ面をするだけだった。
「あれ、髪がまだ少し濡れてますね……?」
いつもなら、炭を入れた鉄アイロンのような物の前で団扇で仰ぎ、ある程度湿り気が減るまで布でふいてもらうのだが。
エンドローズが疑問に思っていると、パタパタと布を持ったレイが駆け足でやってきた。
「はぁッ、いた……!あなた、困ります!墨を用意するから待つようにと言ったでしょう。しかも無断でお嬢様の元へ出向くなんて……勝手をされては困ります」
眉間に皺をよせていつもより怖い顔をしたレイが、息を切らせながらヒスイを叱る。
勝手にやってきた事に関しては全く気にしていないエンドローズだが、ふと、どうして広い屋敷で自分の場所が分かったのか疑問に思った。
「……風のながれを読んだ。それだけだ」
ヒスイは短く答えた。
ライラックと話していた時に、風の魔法に適正がある事を自己申告していた。
隠さず報告した姿勢を公爵は評価して、それならば将来の選択肢も広がるね、と優しく言った。
サリエは得体の知れない奴隷風情が魔法を使える事を少し危険視したが、自分は子どもで大した教育も受けてないから簡単な魔法しかしらない、とヒスイが続けて申告した事で沈黙を以て了承した。
エンドローズは忌み子なので論外であるし、いつも側で世話をしてくれるレイも魔法適正は低い為、エンドローズにとっては初めての身近な魔法体験だった。
「す、すごい、魔法ってそんな事まで出来るんだ」
「……たいした事じゃない。アンタが出来なすぎるんだ」
ヒスイはそっぽを向いて、ぶっきらぼうにそう言う。
レイはその態度の悪さに更に怪訝そうに眉を寄せて、彼を睨んだ。
レイの事など眼中に無い少年は、悟られぬよう周囲の気配を探る。
風魔法は索敵にとことん向いた分野であり、ヒスイは器用だったのもあってそれらが得意だった。
偉そうな側近にはああいったが、意識のある間はとことん訓練をさせられていたのだ、そんじょそこらの子どもよりは、ヒスイはずっと魔法技術に長けていた。
従順さを演出する為に魔法の適正は明かさざるを得なかったが、ヒスイとて手の内を全て明かすような愚行はしない。
これで標的の少女に魔法に適正があれば、どれくらい加減するのが一般的なのか分かったのだが、殺す時に抵抗されるリスクと天秤にかければ現状の方が幾分マシだ。
魔法の使えない同世代などいた事が無く、過酷な訓練に耐えられなかったり、ついてこれなかったりした子どもは、問答無用で的確に『処分』されていった。
生き残る為には技術を磨くしかなかったヒスイにとって、普通の子どもの魔法技術や練度の相場などは分からないし、忌み子など理解の範疇外である。
さらに言えばこの屋敷は忌み子のせいで妖精が少ない上、多少いる妖精たちも少女の近くには寄り付かない為、魔法を用いた殺しにはあまり適してはいない。
ヒスイは生まれ持った魔力量が多い為、少ない妖精からでもある程度魔法を引き出せるのだが。
「うぅ、ごめん……。そ、それより、体は大丈夫ですか?痛みとかが無いなら、屋敷を案内しようと思うのですが……」
何故か謝った標的は、気まずさに耐えかねるように話題を変えた。
奴隷に主人が自ら屋敷を案内するなど可笑しな話だが、それなりに小綺麗にされた所をみるに、己は愛玩用という事になったのだろう、と少年は納得した。
公爵はあくまでヒスイの意思を尊重するかのように、良い待遇を用意すると言っていたが、どうせ世間知らずな娘の前で恰好をつけたかっただけだろう。
貧民街に捨てられるか、よくて孤児院行きがいいところだ。
後者ならそれなりに良い方であろうが、ヒスイの事情は些か特殊なので、国内で手放される行為は全て死へ直結する。
それなら少しでも猶予を伸ばす為に、標的とはいえ取り入って愛玩動物に徹するのが得策かもしれない。
そこまで思考して、ヒスイはエンドローズの問に素直に頷いた。
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