Play#24 それは美しい深碧


最後のチャンスだ、と少年は思った。

一度は暗殺に失敗し、標的とその従者に顔まで見られた。

すぐさま逃亡するべきだったのかもしれないが、逃げても待っているのは組織の制裁だけ。

どうすることもできずに焦った少年は、判断を誤ってフリーズした。


途中別の奴隷商人に連れていかれそうになった時は、いっそそこを隠れ蓑にしようかとも考えた。

とにかくもう一度やれる事を組織に証明しなければ、少年に明日はなかったのだから。

しかし標的の少女はとことん変わっていて、それでいて世間知らずだった。

商人に馬鹿みたいに高そうな帽子を押し付け、気付けば自分を買い取っていた。

最早物々交換に近い取引だった上、相手は本来の雇い主でもなんでもないただの強欲な商人である。

それでも事実上、状況だけ見れば、少年は標的の少女に買われた。


それこそ、少年に与えられた最後のチャンスだった。

変わり者の令嬢が、愚かにも邸宅へ自ら招いたのだ。


ここでやるしかない、諜報部隊の連中も未だ様子を見ているはず。

少年よりずっと風の魔法に長けた者が、四六時中少年の様子を索敵していることだろう。

一刻もはやく蹴りを付けなければ、と少年は驚くほど揺れの少ない馬車の中で決心した。


***


「……奴隷を買ってきた、だって?」


サリエが失神しかけているのを他所に、ライラックは己の視界を疑った。

ドレスを買いに行った愛娘が、みすぼらしい少年を連れて帰ってきた。

聞けば、商人に帽子と交換してもらった、と。


ライラックは本来、その日の業務は宮廷で行うはずだった。

今までライラックは娘との接し方が分からず、父親というのもよくわかっていなかった為に、その公務のほとんどを宮廷内で行っていた。

しかし最近はその仲が良好になり、徐々に父としての自覚が安定してきた為に、徐々に仕事の拠点をパレスフィア邸に写していた。

故に、その日もパレスフィア邸内の最近までは埃をかぶっていた執務室で仕事をしていた。


「その子が、そうなのかい?」


「は……はい……」


ライラックが娘の前では珍しく、笑顔を浮かべていなかったので、エンドローズはなんだか緊張する。

ライラックがカーペットの模様を睨んだまま視線をあげない少年を観察してから、ゆっくりと膝をついてエンドローズと視線を合わせた。


「いいかい、エンドローズ」


「は、はい」


「他の人を大切にしたり、傷ついた人を放っておけないのは、間違いなく君の長所だ。……けれどね、今回はもっと、しっかり考えて行動すべきだったと、僕は思う」


ライラックは、真剣な目つきだった。

いつもより声も低く、そして僅かな怒気を孕んでいた。

記憶を取り戻した後はもちろん、それより前の微かな記憶でさえ、公爵に怒られた事はなかった。

はじめての父の様子に、エンドローズはじわりと涙腺が熱くなるのを感じる。


「悲しい事だけれど、この国だけでも相当な数の奴隷がいる。国が認識している者もいれば、していない者もいる。ローズ、君は『かわいそうだったから』と、全ての奴隷を買うのかい?我が家の財産だけでは当然賄いきれない、彼らを」


エンドローズはハッとした。

自分のした事は、例えるなら保健所の生き物を片っ端から引き取るのと変わらなくて。

考え無しにそんな事をしても、いつか管理が行き届かなくなる。

このような例えは適切ではないのだろうけど、人だろうと動物だろうと、その命を同情だけで無制限に救うのは、どうしても現実的ではないのだ。

エンドローズは己の行いの無責任さを痛感して、ぎゅっとドレスの裾を握りしめる。


どうしよう、怒らせてしまった、こんなに優しい人を。

せっかく仲良くできていたのに、がっかりさせてしまう。

思い浮かぶのは前世の父の、失望に満ちた溜息。


「ご、ごめっ、なさ、」


エンドローズはしゃくりあげながら、必死に謝罪を口にする。

聞き入れてもらえないかもしれないけど、ちゃんとできるまで口をきいてくれないかもしれないけど。

今できるのは謝ることだけだから。


「……僕の言いたい事は、理解してくれたみたいだね」


エンドローズはこくこくと首を縦に振った。

反動で涙がぽろぽろ零れたが、今は反省した事を伝えなければ。

しかしライラックは、エンドローズが思ってもみなかった行動に出る。


「……偉い。今日からはもう少しがんばろう」


「へ……」


ただ優しく、エンドローズの頭を撫でたのだ。

一瞬理解が追い付かなくて、エンドローズはぼんやりライラックを見上げる。

その顔はやっと微笑んでいたが、少しだけ申し訳なさそうに見えた。


「ごめんね、ローズ。こんなに泣かせてしまって」


「で、でもっ、わた、わたしがわるくて……」


本当に自分の考えが甘かっただけだと、そう思っているのに、ライラックはやっぱり悲しそうだった。

悲しんで欲しくないから、謝らないで済むように泣き止もうと、エンドローズは目にぎゅっと力を込めるが、ライラックが撫で続けると何故か涙が止まらなかった。

甘えるな、と言われると思っていたから、こんな風に泣く事を許された事がないから。

前世は涙を堪えるのなんて大した事じゃなかったのに、何故だか今はうまくそれができなかった。


「ご、ごめ……ごめんなさい……っ!ごめんなさい、おとうさ……っ」


ついにエンドローズは、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる。

そんなエンドローズを、ライラックは落ち着くまで撫で続けた。

傍らにいた少年は、俯いたままその様子を盗み見て、何を思ったのか口を引き結んだ。


***


「……さて、君の処遇だが」


泣き止んだが目元をぽってり腫らしたエンドローズを撫でながら、ライラックは少年に向き直る。

尚もしゃがんで、今度は少年と視線の高さを合わせた。


「今回の事は法律上はぎりぎり合法だ。君の親御さんが探していなければね」


少年は荒んだ目つきのまま、黙って首を横に振る。

予想はしていたが、やはり身元も無い奴隷なのだろう。

ライラックは一応サリエに調査を頼むつもりだが、仕事のできる秘書の事だ、すでに手配の計画をその頭に思い浮かべている事だろう。


「とりあえず、どうするかはおいおい決めよう。まずはローズの言ったように、医者に傷を見てもらったほうがいい。服も新しいのを用意させるから、ついでにお風呂にもはいっちゃおうか」


少年は、その待遇に内心驚きはしたが、表情を変えずに黙って公爵を見た。

待遇としては良すぎる部類だが、小綺麗にして『二次利用』しようとする顧客も少なくないのが奴隷界隈である。

とにかく大人しく言う事を聞いて、自分を従順な奴隷だと思い込ませる事。

そして油断しきったタイミングで夜のうちに標的を殺害し、逃亡する。

その為に手段は選んでいられない。


死んだ目をした少年に、ライラックは困ったように笑って頬を掻いた。


「ところでなんだが……君、名前はあるかい?」


「……ありません」


少年は短く答えた。

ある訳がない、奴隷など用途に関わらず所詮は使い捨てなのだ。

お前、とかガキ、とかそんな呼ばれ方しかされた事がない。

そして比較的長生きしやすい愛称や愛玩用の奴隷は、主人に名前を貰うのだ。


「うーん、やっぱりそうか……名前があった方が助かるんだが……名乗りたい名前はある?」


「ありません」


少年は傀儡か何かのように、その前と全く同じイントネーションで答えた。

心底どうでも良かった、自分の識別番号なまえなんて。

犬の名前でもつけるように、適当に呼べばいい。

どうせしばらくしたら、おさらばなのだから。


「……仕方ない、こちらでつけようか。気に喰わなかったら今後自由になった時にでも変えてくれ」


そうしてライラックは自然な流れで、今だしゃくりあげるエンドローズを見た。

エンドローズは泣き疲れたのか、少しぼうっとしてライラックを見つめ返したが、次の瞬間にはハッとしたように口元をおさえる。


「……あ、え、私?そ、そっか、それもそう、なのかな……?」


慌てたエンドローズだったが、確かに直接つれてきたのは自分であるし、先程責任について考えを改めたのだから、彼を連れてきた責任を果たす第一歩が名付けこれなのかもしれない。

あ、とか、えっと、とか呟きながら、エンドローズは必死に考える。

ちゃんとしたお名前にしなきゃ、願いを込めた方がいいのかな、でもそんな資格が私にあるのかな、でも連れてきたのは私なんだから、そもそもこの世界で望ましい名前ってなんだろう……まさにエンドレスに思考が湧いてきて、目の中で渦が巻いてしまう。

そんなエンドローズを見て僅かに眉間に皺を寄せた青年が、酷くぶっきらぼうに呟いた。


「……アンタは俺の飼い主なんだ、いいから好きに名付けろ。好きな食いもんの名前でもつけりゃいいだろ」


その粗野な物言いに、レイとサリエが同時に怪訝な顔をする。

少年は暗殺用に特化して教育された為、貴族への媚方を習得していなかった。

その気配を感じ取った少年は、黙っておくほうが賢明と悟って口を噤んだ。

にこにこと微笑む父を除いては、執務室の空気は最悪である。

これが自分の名付け待ちで生まれた空気である事を理解して、エンドローズは覚悟を決めた。


「……ヒスイ、は、どうかな」


ライラック公爵が興味深そうに目を丸める。


「よく知ってるね。確か、極東の島国に伝わる貴重な鉱石だ。一体どうしてそれにしたんだい?」


公爵の問の答えが気になるのか、少年も視線だけでエンドローズの様子を窺う。


「……その、瞳の色が、翡翠みたいで綺麗だったから」


公爵が改めて少年の瞳を見る。

なるほど、言われてみれば少し濃く色のでた翡翠に似ているかもしれない。


「いいかな……?もし納得いかなかったら、もう一度考えます」


「……いい。俺は今日からヒスイだ。好きに使え」


ヒスイは感情の無い目でそう宣言する。

どうでもいい、呼ばれ方など。

しかし己の瞳に似た美しい鉱石がある事は、心に留めておいた。

コイツを殺して組織から逃げ果せたら、実物を見に行くのも悪くないだろう。

これから殺す赤い瞳の少女は、少年――ヒスイの返答に戸惑いつつも、控えめに微笑んだ。


「これからよろしくお願いします、ヒスイ」


その赤い瞳にも似た鉱石があるのだろうかなどと、少年はつい余計な事を考えてしまった。

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