Play#23 生まれて初めて奴隷を購入(?)しました
「えっと……何か、ご用ですか……?」
エンドローズは困惑していた。
突然体をもっていかれそうなほどの突風が吹いたが、ドレスと帽子が重かったおかげか、何とか転ばずに済んだ。
吹きすさぶ風の中なんとか目を開けると、新芽のような優しい緑色の髪をした少年が飛び出してきた。
なんとか風が止むまで耐えた、刹那に近い数秒の後、その少年はエンドローズを見たまま固まってしまった。
以前会った秘密の友人くらいある背丈から、恐らく年上だろうか。
返事を待つ間彼を観察していると、彼の首筋や額を汗が伝っているのが分かった。
どんどん顔色も悪くなっている気もするし、もしや体調が悪いのだろうか。
「あの、」
「無礼者。この方は貴方のような者が軽々しく近づいて良い身分ではありません、下がりなさい」
エンドローズの声に気付かなかったのか、レイは厳しい口調で少年を牽制した。
レイがエンドローズを守る為に怒ってくれていると察して、優しくたしなめる。
「いいの、レイ。私は大丈夫だから」
「しかし……身なりを見るに、恐らくスリに来たスラムの子どもか、それか商人から逃げてきた奴隷の可能性もございます。何をしでかすか分かったものでは……」
奴隷。
もちろん聞いた事はあるが、前世では身近に存在し得なかったもの。
レイの口から発せられた『奴隷』という言葉に、冷や汗を滝のようにかいて硬直していた青年の肩が僅かに跳ねた。
春で日差しが出ているとはいえ、まだ少し風のある中で、少年の服はところどころ擦り切れて汚れていた。
丈の短い衣服からのぞく肌は痣や傷跡だらけで、首には鬱血した線状の痣があり、その不自然な形状は首輪のような拘束具を連想させる。
生まれてこの方奴隷など見た事が無いエンドローズであるが、目の前の少年がそうである可能性を理解して愕然とした。
その体中の傷跡が、彼の人生の過酷さの片鱗なのだと思うと言葉が出なかった。
「おい、お前。さっきの風はお前の魔法か?」
そこへ恰幅の良い小綺麗な恰好の男が現れる。
服だけは上品だが、その目つきや髭はいかにも横柄そうな、少し太りすぎな男。
レイがすかさずエンドローズを隠すように立った。
男はエンドローズの身なりを上から下まで舐めるように観察してから――その横のみすぼらしい少年に話しかけた。
とても高圧的な態度だった。
「首輪跡があるな……さては脱走してきたな。まあいい、あれだけの魔法がその歳で使えるなら良い商品になる。へへ、コイツはいい。ちと傷は多いが、戦闘用なら問題ないだろう」
男は立ち尽くす少年に対してなにやらぶつくさと呟いている。
エンドローズにはよく聞こえないが、話しかけているというよりは一方的な独り言のようだ。
もしかして保護者か、それか雇い主とか……?とエンドローズがハラハラとしていると、男は少年の髪をひっつかんで乱暴に引き寄せた。
「ぐぁ、」
「顔も悪くねえなあ。傷物だが、こういうのが性癖な変態様にはウケが良さそうだ。戦闘用に仕込むか愛玩用に仕込むか……どちらにせよ上玉として売れるだろう。オイ小僧!荷台乗れ、まさか文句は無ぇよなあ!?」
一通り満足するまで呟いたらしい男は、突然怒鳴り声をあげて少年を引っ張る。
少年が険しい顔をしつつも、諦めたように引き摺られていく。
その時何を思ったのか、青い顔でちらりとエンドローズの方を見た。
その視線と目が合ってしまったエンドローズは、突き動かされるように一歩出て、悲鳴のような声で叫んだ。
「待ってください……っ!!」
その場にいた全員が、目を丸くしてエンドローズを見た。
その中で最もはやく平静を取り戻したのは、あの高圧的な男であった。
「これはこれは、お嬢様。お見受けしたところ貴族の令嬢ですかな?これは失礼しました、随分と怖がらせてしまったようですなぁ」
少年へ怒鳴りつけていた男とは別人なのではないか、と疑いたくなるほど、男は礼儀正しく紳士な笑みを浮かべる。
「いやはや申し訳ない、
にこにことはしていても、乱雑に掴まれた少年の髪には力が入っている。
少年は驚きつつも、何かに耐えるように険しい顔で押し黙っていた。
エンドローズの直感が訴える、このままではきっと少年が危ない。
ドキドキと恐怖に早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、エンドローズは口を開く。
「あ、あの……私っ、こ、この人買いますっ!!!」
「な、お嬢様!?」
レイが悲鳴をあげ、男は笑顔をやめる。
エンドローズとて、正義感や同情だけで世の中が回らぬ事など知っている。
奴隷という身分がある以上、この世界ではそれも経済の一部なのだ。
それにただ、可哀そうだから助けてやれ、といっても畜産農家に家畜を逃がすように言うのと変わらない。
かわいそうな言い方だが、それで食べていく人もいるのだ。
そんな理性と、少年を見捨てられない気持ちが葛藤した結果、エンドローズは咄嗟にそう言ってしまった。
買い取れば、彼は連れていかれないはず、と。
「……申し訳ありません、我が国では奴隷の売買は禁止されております故……金銭を頂く訳にはいかんのです。今回はご縁がなかった、という事で」
男はまた優しそうな顔をしたが、その直前、エンドローズを値踏みするかのように睨んだ。
ひゅ、と喉が変な音をたてるくらいに、エンドローズは恐怖した。
しかし、男の目がエンドローズの見るからに高そうな装飾品を捉えていたような気がして、エンドローズは賭けに出た。
「では失礼……」
「ま、まって!」
「……なんですかな?」
男は少し苛立ったが、今後『お得意様』になるかもしれない上客に無礼を働く訳にはいかないため、ぐっと我慢して振り返る。
すると視界に眩しく光が乱反射したので、咄嗟に目を細めた。
目の前にあったのは、美しい宝石の花束だった。
「こ……っ、この帽子、差し上げます……!とても価値のあるもの、です……!だ、だから、その、」
エンドローズは帽子を突き出して必死に縋る。
その目が今日拾った商品を見ている事に気付いた男は、笑顔を取っ払って食い入るように帽子を見た。
決して触れずに、かわりに体を捻ってあらゆる角度から帽子についた全ての装飾を余す所なく睨みつける。
長い時間をかけて帽子を睨んだ後、男は勢いよく顔をあげて、不自然なほどの満面の笑みを見せた。
「なるほど、このような品をタダで分け与え下さるとは、心根のなんと美しい御方だ!なんのお返しもできませんが、お慈悲としてありがたく受け取らせて頂きましょう」
「あっ、あっ、いえ、あの……っ」
物凄い力で帽子をとられてしまって、エンドローズは慌てふためく。
ただあげたかったのではなく、どうにかしてそれで少年を見逃して欲しかったのだ。
このままでは行ってしまう、とエンドローズは焦ったが、男はあくどい笑顔で続けた。
「ではわたくしは行きますが……『落とし物』など致しましても、引き留めないでいただいて結構ですので……へへ、今後ともご贔屓に」
そう言うと馬車の荷台に投げ込んでいた少年を再度乱暴な手つきで引っ張ると、懐から出した小さなカードを押し付ける。
「いいかガキ……運良く逃がして貰いでもした時は、すぐにそれを燃やせ。分かったな」
とエンドローズに見えないように少年を睨みつけると、物でも投げるように歩道へ放った。
「だ、大丈夫!?」
「では私はこれで」
それだけ言うと、地面に投げた少年など見向きもせず、男は悪趣味な馬車に乗って去っていった。
エンドローズが地べたに座り込む少年へおずおずと手を伸ばすと、その手を牽制するように少年が喋った。
「何のつもりだ」
ギロリ、と深碧の目を吊り上げて、少年は低く唸った。
その様子は追い詰められた野犬を思わせる緊迫感を感じさせ、レイは咄嗟にエンドローズの前に出る。
エンドローズはレイを優しく後ろに下げ、少年と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「怪我は、ありませんか?」
「……なんで俺を買った。何が目的だ」
少年の目からは、狂気的なまでの強い激情を感じる。
これまできっと大変な思いをしたのだろう、それが少年にこんな目をさせている。
レイはその目に警戒心を高め、お嬢様、と語気を強めた。
どんな手を使っても主をお守りしなければならない、とレイは無礼を覚悟でエンドローズの肩を掴む。
しかしエンドローズは、その手に自らの手を重ねてゆるく首を振った。
そして、少年に手を伸ばし、ぼさぼさになってしまった髪に触れた。
「…………ッ!!」
少年の身体が大きく跳ねる。
今にも殴りかかってきそうな形相なのに、拳を強く握りしめるだけで手を払おうともしない。
少年の身体を揺らす小刻みな震えを、エンドローズは怒りではなく、怯えと解釈した。
「……勝手にあなたを、取引の商品のようにしてしまって、ごめんなさい」
「は……?」
「私が勝手にした事、なので……もし今すぐどこかに行きたいとか、逃げたいとかがあったら、そうして頂いて構いません」
「……何を言ってるんだ、奴隷を買っといて……逃げろとでも言いたいのか?」
少年は驚きつつも、疲れ切ったような顔をしていた。
問いつつも、そんな訳がないと決めつけているような、そんな顔。
エンドローズはそんな少年に少しでも安心して欲しくて、傷つけないよ、という気持ちを込めて微笑んでみせた。
「私、絶対に追いかけません。……ただ、もし。あなたさえ良ければ。私のおうちに来ませんか?お詫びをさせて、欲しいなと……」
未だに他者を誘う事への緊張感が拭えず、エンドローズはぎこちなく言う。
お詫びをしたいのももちろんだが、少年の傷の手当をしたかったのだ。
そうはいっても他者を家に招く経験など皆無なので、つい少年の顔色を窺ってしまう。
そんなエンドローズを見て、少年は数秒ぽかんとすると、すぅと目を細めて途端に大人しくなる。
「……分かった。俺はアンタに買われたんだ、来いと言うなら行く。逃げたりもしない」
そう言って少年は、エンドローズの手を借りる事なく立ち上がる。
少し高くなった少年の目を見上げると、さっきまでの激情はまるでなかったかのように失せて、ただ静かな翡翠色をしていた。
そこに何か、強い決意のようなものを感じたが、感情の無い顔になった少年からは何も読み取れそうにない。
とにかく傷だけは一度医者に見せたいと考えたエンドローズは、罪悪感に苛まれつつも少年の発言を肯定とみなす事にした。
「お嬢様、そのような得体の知れない者を屋敷に入れるおつもりですか?お嬢様の身に何かあったら……」
「心配してくれてありがとう、レイ。でも……このまま放っておく訳にはいかないよ、少しお医者さんに見せるだけだから」
無表情ながらもエンドローズの身の安全を第一に考えるレイを、エンドローズはなんとか説得する。
その横顔を、目の据わった少年がじっと睨んでいるとも知らずに。
迎えの馬車の、馬の嘶きが大通りに響いた。
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