Play#20 其れは敵か、あるいは


その日、宮廷中が震撼し、そして現在は皆が胸を撫でおろしていた。

宮廷関係者の許された極一部と、王族直結の血筋の者しか知らない、プリマヴェーラ王国最高機密。

それが本日突然疾走し――そして驚くほど素直に戻って来た。


陰になるように王城の真裏に建てられた厳かな塔。

そこは人の出入りが厳しく制限され、セキュリティも王室に匹敵するほど厳重だった。


そんなプリマヴェーラの深淵に、幼い身ながら顔パスで入れる者がいた。

プリマヴェーラ王国第一王子、リオン・フリード・プリマヴェーラその人である。


「……やあ。ちょうしはどうかな。あれ、きょうは服をきてるんだね」


リオンはいつも通りの穏やかな笑みを張り付けて、一等豪華な部屋の前に立つ。

伝統的な彫刻が施された高級な家具がずらりと並び、馬車ほどもある巨大なベッドが奥に鎮座していた。

その様をリオンは金属でできた頑丈な格子越しに見て、中央の不気味に発達した樹木の玉座に座る『其れ』に声をかけた。

普段は衣類など知った事かといわんばかりに、護衛の目も気にせず生まれたままの姿でいるのに、今日に限って形ばかりに至急された上等な服を着ている。

扉の代わりに一面が全て鉄格子になったプライバシーの欠片も無い部屋で、其れは短く答えた。


「すこぶる良い。この布切れも単なる気まぐれだ。……が、着て正解だったな」


其れは厭に上機嫌だった。

箪笥やソファ、ベッドに至るまで、その部屋には一切の使用感がない。

それもそのはず、其れは一日中樹木の玉座の上で、死んだように眠っていたのだから――今日までは。


「よかった、脱走したってきいていたから、きげんを損ねられたのかと。あんしんしたよ」


「ほう、お前も冗談というものを覚えたようだな。お前に恐れなど備わっていないだろうに。このぼくにさえ恐怖を抱かぬのだから」


忌々しい事に、妖精とは異なった魔力由来の生物である其れは、人間の感情を魔力の波長で読み取れるらしい。

人になど一切興味が無い癖に心は見透かすのだから、扱い辛い事この上ない生物だった。


同じ扱い辛いでも『彼女』とは大違いで全く面白くいな、とリオンは笑顔の下で思った。


「そんなことはないよ。ぼくも最近きづいたけれどね」


嘘ではない。

事実、最近とある少女に始めて、恐怖というものを抱いた。

今思い出しても愉快な気持ちが込み上げてくるから、最近とてつもなく退屈になる事はない。

退屈な社交界でのやりとりやパーティも、時々彼女のあの荒唐無稽な発言を思い出して退屈しのぎをしている。

そんなリオンが無意識にする、いつもと雰囲気の違う微笑みが、それを目撃した一部の幸運な令嬢や使用人の間で噂になりつつあるのだが、まだリオンの情報網には入っていない。

それくらい密やかに、徐々に噂になりつつある程度の目撃者しかいないのであるが。


「それより、脱走しておいてみずからもどってきたときいたよ。どういう風のふきまわしだい?」


其れは少し笑みを深めたリオンを物珍しそうに一瞥して、次の瞬間には目を逸らした。

そんなものよりよっぽど興味深いものを、今日見つけたのだ。


「……何、早急に力を蓄えようと思ってな」


昼間出会った小娘を思い出して、其れはニヤリと嗤う。

妖精と優秀な繋がりを持つリオンは、その邪悪ともとれる美しい微笑みに、どこか離れた所に隠れている妖精たちが恐怖したのを感じ取った。

妖精と相性が良いほど、妖精の感情を波長として捉えてしまうため、それを自分の感情と混濁して捉えてしまう者もいる。

ただ妖精が忌み嫌うならまだしも、恐れる存在となればそう多くはない。

また、よほどたくさんの妖精が同時にその波長を発する場合の現象とされているため、日常生活にはさして影響はない、と言われている。


まあ『其れ』の見張りは少なくとも常人の日常ではないため、警備の人員はかなり選抜した上で特別な手当を出しているが。

昔は妖精の恐怖を受け取りすぎて半狂乱になって泣き叫んだ者もいた為、手当が厚くなったのだとか。


まあ全てどうでもいい事、とリオンは思考をやめる。

氷の大精霊の加護は良いカードだったが、ついて回る氷の妖精が格段に増え、その分話し声や感情の波長が増えたのは誤算だった。

正直、鬱陶しい。


「そうきゅうに、か。あなたが全盛期のちからをすべてとりもどせるのは、通常のペースならまだまださきのはずだ。それこそ、人のじゅみょうなど比にならないくらいにね」


それが、『早急に』とは。

彼らのような種に、特段急ぐ理由などないはずなのに。


「なにを、たくらんでいるのかな」


リオンは冷ややかな目をした。

口だけは形ばかりの弧を描いているが、その目に光は差していない。

今まで其れに興味関心の類は抱いておらず、其れが国の脅威になるのは大分先だと宮廷魔術師長が目算していた事もあり、リオンの中では限りなくどうでもいい存在だった。

しかし其れが、生まれたてで弱い状態とはいえ、部屋全体に掛けられた封印の術をすり抜けて脱走し、何食わぬ顔で帰ってきたかと思えば復活を急ぐ腹積もりだという。


ああ、困るなあ。


リオンは急速に冷えていく自らの芯を知覚した。

もし其れの気まぐれで本当に復活が早まり、宮廷の粋を集めた魔法技術を以てしても、抑えられなくなったら。

現王の目論見を外れ、其れが国に懐く事なく暴れ出したら。

折角見つけた『お気に入り』が、壊れてしまうかもしれない。

リオンはそれを憂いているのだ。


「……牽制、か。らしくもない。今のぼくは忌々しい事に、貴様らの王に首輪をつけられているに等しい。『魔力の奔流』を制圧されている以上、少なくとも貴様が生きている内はぼくを脅威とみなさないだろうと踏んでいたが」


「……きがかわったんですよ。あなたとおなじようにね」


其れは心底意外そうな顔をした。

ここまであっけらかんと『力を蓄える』なんて宣言しておいて、それでも尚リオンが己を警戒しないと思っていたらしい。

これは相当嘗められているな、と意図してリオンは苦笑いを作った。


「好きにすると良い。ぼくは暫く眠る。貴様は寄り付くな、神臭くて気が散る」


其れはどうでもよさそうに、リオンに向かって手を払う動作をする。

リオンに対するなけなしの興味も霧散したのか、視界に入れる気すらなくなったらしい。


こうなってはもう尋問も叶わないだろう、とリオンは早々に見切りをつけた。


「そのまま一生ねむっていてもいいんだよ?」


今はより強固になった結界の中で大人しく眠ることしかできない其れに、最早ただの興味本位で軽い挑発を送る。

この程度で暴れられたら、とっくにここら一帯を消し炭にでもしてるだろう。

だからリオンは、果たしてどこまでなら琴線に触れるかな、という純粋な知的好奇心だけが動機の検証に出たのだ。


そして『其れ』は、リオンの言葉に悪意が無く、退屈しのぎの知的好奇心しかない事を読み取って、至極億劫といった緩慢な動作で首を擡げた。


「……ぼくの気が変わらない内に、失せろ。頭蓋を噛み砕かれたいのか?」


「こわいなあ、わかりましたよ。これ以上じゃましません、今日は」


これが最後の通告だ、と言わんばかりの、胡乱な仕草には似合わない鋭い眼光。

それにやれやれと首を振って、リオンは撤退の意を示した。


「それじゃあ、おやすみ――兄さん」

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