Play#18 実物を見たのは初めてだったもので


エンドローズが音の発生源を探して辿りついた大図書館の裏手の人工林。

そこには見慣れない容姿の少年と――地面に転がるスコップや斧、鋤があった。


「じろじろと不躾な娘だな。ヒトはこれだから好かん」


肩にかかるくらいの少し長めの黒髪を鬱陶しそうに払って、少年はエンドローズを睨む。

10歳かそこらのエンドローズの肉体年齢よりは少し上らしい身長、見た目の幼さには少し見合わないテノールの声。

エンドローズはそんな少年と地面に転がった作業具を交互に見てから、突き動かされるように駆け寄った。


「だっ、大丈夫ですか!?怪我はないですか!?」


「……」


少年に駆け寄って慌てふためいて、ハッとしたように地面に転がった危険物たちを図書館の方に遠ざける。

そしてまた少年の元に舞い戻ってきて、手や顔や首を色んな角度から覗き込む。

そんな少女に、少年は終始怪訝そうな視線を向けた。


「騒ぐな、騒々しい。怪我などするはずがなかろう。ぼくともあろう者がヒト風情の武器程度、避けられぬ訳も無い。……忌まわしい、僕の進路を妨害するとは」


血の通っている事を感じさせないほど白い顔を、思い切り不満に歪め、少年はエンドローズが端に寄せた作業具を睨む。

要は、うっかりぶつかってしまったのだろうか。


「そ、そっか……良かった、怪我が無くて」


エンドローズはほっと胸を撫でおろし、眉を八の字にして笑う。

見たところ作業具は所々錆びていて、あれで傷を負ってしまったら高い破傷風のリスクがあった事だろう。

この世界で破傷風が確認されているかは分からないが、衛生面は気をつけるに越した事はないはず。

こんな小さい子が破傷風になったら可哀そうだ、と肉体だけは7歳のエンドローズは焦り、そして心底安心した。


そんな少女を不可解なものを見るような目で、少年は上から睨みつける。


「……フン、気は済んだだろう。用が無いならさっさと消えたらどうだ?ぼくの気が変わらないうちにな」


少年は不快感を隠しもせず、エンドローズに対して片手を振るような動作をした。

暗に『失せろ』の意だったが、何を思ったのかきょとんとした後その手を利き手で掴んだ。

所謂握手というヤツである。


「……なんのつもりだ?小娘」


「えっ、握手ではないんですか……?」


エンドローズが本気で戸惑っているのが分かってしまい、少年の思考もフリーズする。

なんなんだこの妙ちきりんな生き物は、と完全にドン引きしてるまである。


「……耳がついていないのか……?」


「いえ、ちゃんとありますけど……。……ああ!『用が無いなら――』という話を聞いていたのか、という事でしょうか?であれば、はい。聞いていました」


「……?では言語を理解できないと言うのか?」


「いっ、いえ、あの……ごめんなさい、言葉足らずでしたね……混乱させてしまってごめんなさい……」


見るからに硬直している少年を見て、エンドローズは己のコミュニケーション能力の低さを恥じた。

言葉が足りないばかりに、完全に少年を混乱させている。

その様はさながら、フレーメン反応の猫である。


「あの……用があったので、帰りませんでした。その、少々、お伺いしたい事が……」


そう言いながら、エンドローズは少年の頭上にあるもの――漆のように光沢のある黒色の『角』をチラチラと見た。

ああそういえば現れた時も見ていたな、と少年は思い返した。

ヒトにとってこの角はこの上なく珍しいものであるらしく、同時に市場価値の最も高い戦利品のひとつだとか。

この頭の悪そうな小娘にそこまでの意図はなかろうが、所詮はヒト、物珍しさに愚かな欲を抑えられないのだろう。

大抵は気味が悪いと罵る命知らずか、悲鳴をあげて恐怖する矮小な者が多いが、それを踏まえるなら多少の度胸がある部類か、と少年は思う。

どちらかと言えば世間知らずの痴れ者と言うべきだろうな、と僅かにその口の端を嘲笑に歪ませた。


「……いいだろう。特別に許してやってもいい。言ってみろ」


その後貴様の命があるかは知らないが、と少年は胸の内でほくそ笑んだ。

さあ、どんな無礼な発言をしてくれるのやら。

嘗て、何十、何百では収まらない長い長い記憶の中に、稀に己を恐れず対話を試みた者はいた。

それはもちろん作り物なのだろう、と問う者もいた。

あまりに不敬な発言だった為火を吹いて火だるまにした。

見世物小屋に来ないか、と手を招く愚か者もいた。

そやつごと小屋を吹き飛ばしたら舞台の下敷きになった。

不吉の象徴だから切り落とせと宣った司祭気取りもいた。

お望み通り呪われた人生を送れるまじないを与えてやったら、枯れ木のような老人になった。


さあ、この小娘はなんと言うのか。

少年は邪悪としか言えないような微笑みで言葉を待った。


「……あの!その角ってやっぱり、血管が通っているのでしょうか!」


少女は目を輝かせて言った。

少年は死んだ目をした。


「あの、私あなたのような人に会ったのは……あ、角?のある種族?に、会うのは初めてで……!お会いできて光栄です!この世界にはあなたのような種もいるのですね」


エンドローズは鼻息を荒くして、ずいずいと身を乗り出す。

さっきまで見た事の無い生き物の図鑑を見て興奮していた所に、タイムリーに角のある人種に会えたのだ。

完全におかしくなったテンションで、普段ではありえないほど無遠慮になってしまうのも致し方なかった。


「その角は牛のように血管が通っているんですか?それとも鹿のような骨?でも毛皮を被っているようには見えないから……もしかしてサイの角のような角質とか!?」


ふんふんと息の荒い少女に、今までされた事の無い疑問を次々とぶつけられ、少年は戸惑っているうちにそれが不敬かどうかの判別ができなくなってしまった。

というかそもそも、自ら表現するのは癪だが、己は希少種である。

当然、世界に数えるほどしかいない同胞の角をもぎ取って中身を覗いた命知らずなどいないし、そもそもヒトなど束になっても勝てる存在ではない。

故に――そんなもん知るか、この一言に尽きるのであった。


「すごく綺麗ですよね!艶があって……もしかして種特有の手入れがあるんですか?大きさや形は人によって違うんですか?もっと近くで観察してみてもいいですか!?」


「ま、まて、おちつけ、一旦止まれ、近寄ってくるな……」


じりじりと荒い鼻息のまま近寄ってくる少女に、少年は後ずさる事しかできない。

これが悪意からの発言であれば喜んで消し炭にしてやるが、少女からは純粋な好奇心と――好感しか読み取れないのだ。

常人なら怖がっておしゃべりの多くなった妖精どもから要らぬ事を吹き込まれて、恐れ慄くか気味悪がるか、よくて利用しようとするものだろう。

少年の縦長の瞳孔には、エンドローズが完全に得体の知れない存在に写った。


「ハッ!ごめんなさい、私舞い上がってしまって……。も、もしかして、こういう質問って失礼だったのでしょうか……?」


少年が元から血色の悪い顔を更に青くして後ずさるものだから、エンドローズはやっと己が興奮しすぎていた事に気付いた。

幼い少女だから良かったものの、これが成人男性なら完全に変質者として捕まっていたレベルだ。

そして不躾にもマシンガンの如く疑問をぶつけまくってしまった為、この手の質問が全部マナー違反であれば最早取返しがつかないだろう。

あわわ……と一人で焦って少年より真っ青になったエンドローズを見て、少しだけ少年は冷静さを取り戻した。


「……知らん。少なくとも、そのような興味の持ち方をした者は、ぼくにとっては貴様しかいない。何が貴様をそうさせたというのか、全く理解できん。ヒトはそんなにも珍しいものを好むのか?」


「えっと……珍しい、っていうのはもちろんありますけど……でも、単純に素敵だと思うんです、私。だって、角ですよ!すっごく、かっこいい!」


一瞬でさっきまでのテンションに戻った少女に少年が身構えると、またハッとした少女は恥ずかしそうにして顔を覆った。


「ごめんなさい……私あまり実物を見た事がなくて……初めて見たので、ついテンションがおかしく……気をつけます」


エンドローズは、みるみる背が丸まって大人しくなった。

前世ではあまりこういった知識を得られるところに縁が無く、動物園や水族館にも言った事が無かった。

一度だけ幼い頃に母に強請った事があるが、『そんな幼稚なところで使う時間があなたにあるの?勉強に休みはないのよ』と言われてしまい、それ以降は口に出すのも憚られた。

どうやら前世の母は動物が苦手だったようで、動物の特集をするテレビ番組も絶対に見なかった。

故に、エンドローズは動物の事を図鑑でしか知れず、また図鑑を読めるのも週に何度かの図書館での勉強の休み時間しかなかったのだ。

本人を前にして『動物園に行った事が無いものだから』などと発言するのは、流石のエンドローズもかなり失礼な事だと思ったので、言わないでおく。

個人的には動物も人間も生物としての興味深さ的には変わらないので、動物園が差別用語になるとは思っていないが、悪い印象を与えてしまう場合があるという事も理解できる。


「……はあ、もういい。最早理解しようとも思わん。それより、何故お前はぼくを恐れないんだ?妖精どもはどうした?この国のヒトはアレらを崇拝しているのだろう」


当然の疑問だ、と少年は思う。

この世界の大半のヒトは妖精を崇拝し、敬い、機嫌を損ねないようにするもの。

ヒトの文化が妖精に依存する構造になってしまったが故に、妖精を第一に考えるもの。

つまりその妖精たちが最も恐れる種たる己に、良い印象を持つはずも無いのだ。

妖精が嫌うものを嫌うのが、今のヒトという存在なのだから。


しかしエンドローズはその質問にぎくり、と身を強張らせ、居心地悪そうに視線をうろつかせた後に、おずおずと口を開いた。


「そのぉ~……私、『忌み子』、というものに分類されるみたいで……なんだか、生まれつき妖精に嫌われているらしいんです」


エンドローズは肩を竦めた。

御目見えの儀式の時のように、また良くない印象を持たれてしまうだろうか。

怯えながらも、少年の反応を待つ。


「……そうか。お前は、そうなのか……ふむ。ならば合点がいくな」


少年は、唐突に納得した。

忌み子には本当に久々に出会ったが、であれば己を恐れぬのも無理はない。

妖精に忌み嫌われる存在たる忌み子であれば、当然妖精どもの戯言も聞かぬ訳であるし、妖精の感情が魔力を通して伝播する事も無い。

本当にただの無知と、純粋な好奇心だけだったのであれば、こちらが怯む必要もない。

ただの世間知らずとはいえ、己をただひとつの生物として他と変わりなく好感を持ったというのなら、不思議と不快感は無かった。

恐らくは己も物珍しさに新鮮さを感じているのだろう、と少年は結論付ける。


「喜べ、ヒトよ。ぼくはお前に興味が湧いた。ぼくにとっては瞬きの間だが、会話する事を許……」



「おい!いたか!?」


「いや……もうかなり遠くに行ったんじゃないか?」


「クソッ、捜索範囲を広げろ!人ももっと手配するんだ!」


「力を取り戻すまで、アイツはここから離れられないんだ、必ず見つかる!死ぬ気で探せ!」



急に機嫌の良くなった様子の少年が話終わる前に、かなり遠くの、人工林の反対側の方からたくさんの人々の怒号が聞こえてきた。

少年が煩わしそうにそちらを睨むので、エンドローズは何かを察してしまった。


「もしかして……あの方たちはあなたを……?」


「……忌々しいがな。騒々しくて堪ったものではない。少し散歩に興じただけでコレだ」


そう言ってため息をつく少年は、とても面倒そうに見えた。

少年の服は貴族を思わせる厳かな意匠であるし、雪のように白い肌は美しいが健康体には見えない。

もしかしたら彼も貴族のご子息で、病弱なのにこっそりおうちを抜けてきてしまったものだから、みんな必死に探しているのかも……とエンドローズは想像した。

だとすればおうちに帰してあげるべきだとも思うし、でも家にこもってばかりでいる孤独感にも共感できてしまうので、どうすべきか迷った。

迷った末に、勇気を出す事に決めた。

それが少年の助けになる事を願って。


「あの、ご提案なのですが」


「ん?何だ。聞いてやろう」


エンドローズ自身のささやかな望みも、叶う事を願って。


「……私の、初めてのお友達になってくれませんか?」


少年は縦長の瞳孔を針のように細めて、目を見開いた。

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