Play#16 いざ実践練習の地へ
サリエの昔話を聞いた日から数日。
それ以来エンドローズは爽やかな朝を迎えていた。
美人でいつもにこにこしているサリエの本音や、意外な父の過去を知り、なんだか唐突に肩の荷が下りたような感覚を得た。
サリエのような完璧な人にも失敗や間違いを犯した経験がある事、それをふまえた上で『取返しがつくなら間違ってもいい』と強めに諭された事、……それから、優しくて優秀な父にも秘密がある事。
その日聞いた全てを夜寝る前に反芻して、エンドローズは穏やかに眠った。
『良いですか、パレスフィア侯爵に今日の話……特に記憶力が殊更良いと聞いた事は伏せて下さい』
『どうしてですか?』
『……あの人、いい歳して未だに気にしてるんですよ。記憶力の事で余程痛い目に会ったのか知りませんけど、パレスフィア夫人にも最後まで打ち明ける事はありませんでした。ほら、時々何か忘れたフリをしてるでしょう?』
『……ああ!婚約のお話のときに、確か!』
『ああやって普通の人のフリをするの、癖なんですよ。あれでも必死に隠しているようなので、知らないフリをしてやって下さい』
『それって……サリエさんが私に話してしまうのは、その……よかったんでしょうか……?』
『ははは、私にあの人の秘密を守る義務があるとでも?一生彼の雇用から逃れられないのに??』
私だって意趣返しのひとつやふたつやりますよ、とサリエは嘲笑していた。
エンドローズはクビの可能性を不安視したのだが、雇用の時にサインさせられた契約書に『何時如何なる場合においてもこの契約は破棄されず、雇用者被雇用者を含め如何なる人物にも破棄する事はできない』と一番上に書いてあったらしい。
こんなのは奴隷と変わらない、貴方が死んだらどうするつもりだ、とサリエは講義したが、『死ぬ前に後継を支えるよう“指示”するよ』とサラリと言われた。
当然サリエは、仕事が無くなる事ではなく己の人権を心配しての主張のつもりだったが、ライラックはのらりくらりと躱すし、最早拒否権は無かったのもあり、最終的には諦めざるを得なかった、とは本人の談である。
そう語るサリエはやはりどこか楽しそうだったように思うので、もしかしたらサリエはライラック公爵の人柄に魅せられたのかも、とエンドローズは考えた。
ちなみに、エンドローズの中での公爵像は『悪事を働こうとしたサリエを止め、更にはその優秀さを認めて雇った正義感の強い人』になっているが、そこはサリエの印象操作の賜物である。
「……よし、今日もがんばるぞ!」
エンドローズはまだ暁に染まる空が見える窓の前でひとり、拳を突き上げる。
あれからすぐ、エンドローズにはマナーの講師がついた。
サリエ曰く、本当は家庭教師もつけたいところだったそうだが、とりあえずは様子を見るそうだ。
確かに、小さな子供であれば初対面の大人に警戒してしまい、最悪塞ぎこんでしまう可能性もあるだろう。
恐らく有能な秘書はそこを危惧したのだ、とエンドローズは一人で納得した。
なので、マナーの講師との初講義の日、エンドローズは緊張しながらも精一杯取り組んだ。
公爵やサリエを心配させまい、という気持ちももちろんあったが、そろそろ勉強の先生が欲しいとずっと感じていたのだ。
前世では勉強くらいしか取り柄が無かった分、それができないと何をしていいか分からない。
なので今日まではとりあえず、時間を見つけてはパレスフィア邸の蔵書の中から比較的分かりやすく、国や世界の歴史、生き物、文化について取り扱う本を選んで読んでいた。
正直、世界に対する常識がかなり足りないエンドローズは、何を表す単語なのか分からない言葉が出てくる度に頭を抱え、辞書で引いたりレイに聞いたりしてなんとか読める、という状態であった。
考古学者か何かになって、昔の暗号を解読する気分に近い。
その甲斐あってか、最初はなんだか警戒しているようだったマナーの先生も、もっと幼い子でも分かるような常識が通じない事はあれど、7つの箱入り令嬢にしては博識な側面から、『確かに少しユニークな所があるけれど、聞いていたお話よりずっと一生懸命で勤勉ですのね』という評価を得るに至った。
前世でも今世でも『ユニーク』なんて言われた事の無かったエンドローズは、それに喜んでお礼を言ったが、マナーの先生は苦笑いをしていた。
「今日は午前にマナーの講義で……その後は、『宮廷大図書館』に行く日だよね」
エンドローズはいそいそといつもの動きやすいつなぎに着替える。
レイが来る前に着替えるのは、誰かにお着替えを手伝って貰うのがまだ少し恥ずかしいからである。
ドレスは着方が分からないので手伝いが必須だが、ぶかぶかのつなぎくらいなら余裕だ。
毎朝レイが僅かにしょぼんとしている気がするので、それはそれで罪悪感があるのだが。
それでも、今日は王宮の広大な敷地の一角にある大図書館に行く予定なので、レイは昨日から気合十分といった感じだった。
パレスフィア邸の蔵書に四苦八苦していたエンドローズに、『王宮の大図書館に行ってみては?』と助言したのはマナー講師だ。
それを聞いたサリエはまだエンドローズのマナーを不安視していたが、実践が最も効果的な練習ですから、と講師に言われ渋々許可してくれた。
王宮の敷地内といってもかなり広い敷地の中、馬車で移動するレベルには城から離れているので、そこまで畏まる相手ばかりでは無いそう。
よく貴族の子どもや様々な階級の貴族が調べ物にと頼る通称パレスフィアの頭脳だそうで、憩いの場とまではいかないが、小さな子供が少し無礼を働いてしまったくらいなら、大抵の大人は不問にしてくれるような、そんな場所らしい。
なるほど、それなら確かに、社交の練習にはもってこいなのかもしれない。
「話す時はまずお辞儀……自己紹介は身分の低い方または女性から……です・ますはこの世界では庶民の言葉なんだよね……語尾にはですわ、か、ですのね……でしてよ、もあった気が……」
すっかりつなぎに着替えてエンドローズが復習をしていると、寝室に控えめなノックが鳴る。
どうぞ、という返事をしっかり待ってから入ってきたレイは、既にウォーキングの支度が済んだエンドローズを見て、いつもクールな眉を少しだけ下げるのだった。
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