Play#15 認めるのは本当に癪ですが


サリエは覚悟を決めて、足を反対に組み直し、エンドローズに向き直った。

エンドローズがいやに必死に訴えかけたので、諦めて、この手のかかる子供に関わってやる事にしたのだ。


「無理ですよ、間違わないなんて。人とは間違いを重ねて学習していくものですから。大事なのは結果です」


長い髪をさらりと書き上げて、後ろの侍女三人に『あとはわかっているな』と目で念を押し、手で払うようなジェスチャーをする。

娘付きの若い侍女だけは名残惜しそうにエンドローズを見たが、サリエは絶対的な上司であるため、渋々といった様子で他の侍女と共に出て行った。


サリエが人払いをしたのをなんとなく察したエンドローズが、扉が閉まりきるのを待ってから、おずおずと口を開く。


「でも……また今日みたいな事になったら」


「今日の結果になんの不利益があったというのですか?貴女の改善すべき点が把握でき、この上なく好条件の縁談も無事前向きに決まった。……あれだけ叱っておいておかしな話ですが、今日の成果は上々なんです。その過程でどれだけあなたが間違いを犯そうとも、結果不利益は生まれなかった。ならばいいじゃありませんか」


エンドローズは戸惑った様子で、何か言おうと口を動かす。

しかしサリエの意図が理解できていない為、次の言葉が見つからなかった。


「間違いはしないに越した事はない。けれど、人である以上いつも正しい選択はできないんですよ。だから最も大事なのは――間違いをどう、誤魔化すかです」


「……へっ?」


真剣な顔つきでハッキリ言ってのけたサリエに、エンドローズは目を点にした。


だって、間違い正すものじゃないの?


「要は、不利益にならなければなんだっていいんですよ。貴女は今日致命的なミスをしやがりましたが、幸運にも相手方には気に入られた。もちろん私は、縁談が破断していたならそれなりに責任を取らせましたよ?」


屈託のない笑顔でサリエは言う。

7つの子どもにかける台詞としては最悪だが、これはサリエの性分である。

老若男女問わず人は駒、故に恋愛だなんだには一切興味が無いし、子どもにだって容赦はしない。

利用価値があるかどうかは、サリエにとって雌雄より重要な分類であった。


「……で、でも、サリエさんは、間違ったりしないでしょう?」


不安そうに問われたそれに、サリエは苦虫を嚙み潰したような顔をした。

モデルも顔負けの端麗な顔が思いっきり歪んだのを見て、エンドローズはびゃっと跳ねた。

サリエの顔はまるで般若だった。

聞いてはいけない事を聞いたかもしれない、とエンドローズはガタガタ怯える。


「はあ……間違い……間違いねぇ……?ははは……かわいいもんですよ、今思えば全く、ふふふ……」


笑ってない。

声だけ笑ってもどうしようもないのだ、だって顔がものすごく怖い。

一体何をしたんだ……と怯えるエンドローズを他所に、サリエは盛大な溜息の後に語り出した。


「私の人生最大の間違いは、……貴女のお父様に敗北した事、ですよ」


「お父様に……?」


サリエは太鼓の鳴りそうだった般若の形相から、何かを懐かしむような顔になった。

とりあえず怖くはなくなったので、エンドローズは黙って耳を傾ける。


「私、そもそも誰かに下につこうなんて気持ちは微塵も無かったんです。だって……」


サリエの哀愁漂う雰囲気に、エンドロースはごくりと息を呑んだ。


「だって……?」


「……だって、私より低能で頭の悪いヤツに従うなんて、死んでもご免じゃないですか」


ズル、とエンドローズがソファに傾いた。


え、今、なんと?


「私が使われるより、私が使ってやった方がどう考えても有益でしょう。馬鹿に従って一生下働きなんて冗談じゃない。私は、この混沌とした貴族社会で成り上がる、上に立つべき人間だった。……まあ、若い頃は本気でそう思っていたワケです」


サリエはあっけらかんと言った。

若さ故の痛々しい驕りだったが、今はただただ懐かしかった。


「私は人を使うのが上手かった。チェスのように、進めるべき場所に駒を置くだけ。簡単なようですが、結構コツがいるんですよ。私はそうして出世していきました。そして――貴女のお父様に出会った」


ソファにだらしなく体を預けて、ひじ掛けに頬杖をついたサリエの輪郭を、薄紫の髪がカーテンのように隠した。

その所作にエンドローズは見惚れたが、サリエからすれば己の見目さえ武器であり、駒。

髪を伸ばし始めたのだって、その方が多方面に受けが良かったからだ。

手玉に取るだけなら可愛いもので、例え自分に夢中になった相手でも、利用価値が無くなれば男だろうと女だろうと蹴落とした。

サリエにとって他人とは、関わりとは、その程度のものだった。


「貴女のお父様――ライラックは、言ってしまえば馬鹿でした。ですから当然、最初は私が使う側になるつもりでしたよ。でも……悔しいですが、敵わないと、そう思わされたのです」


ああ、今思い出しても、悔しさに顔が歪むのを抑えられない。

人生で初めて、自ら敗北を認めた、認めざるを得なかったのだ。

あんな屈辱は二度とご免だ。


ライラックのしていた事は、酷くシンプルだった。

ひたすら他者の話を聞いて、要望や条件を満たし、対等な対価を貰うだけ。

彼に関わる人間は、ライラックをただのお人よしだと評価した。

サリエは、そいつらの目を節穴だと思った。


貴族との関係維持、平民の商人や組織との契約、領地の産業の管理から地域同士の内輪揉めまで。

ライラックは全て、一切合切を引き受けた。

そして全てを丸く収めていた。

領地の大農家が数ヶ月前から謎の出費があると言えば、即座に直近の経費と関連人物を全て

害を成す為に嘘をつく貴族がいれば、当時の会話のみならず、周囲にいた人物を一人残らず言い当てて、全員に話を聞こうと笑った。

公爵家として相応しい分の膨大な領地に住む人々を、一人残らず名前で呼んで、最近の近況なんかを話した。

信じられないほど精緻な記憶能力。

ライラックは間違いなく天才だった。


にも拘わらず、彼には野心というものを感じなかった。

それだけの記憶力と処理能力を持っているのに、いつも誰かの依頼をこなしていた。

もっと成り上がれるのに、もっと上に行けるのに、ただただ他者の為に働く彼に、憤りすら感じた。

だから聞いたのか、貴方は馬鹿なのか、と。


「そうしたら彼、なんて言ったと思います?」


「えっと……皆の幸せが自分の幸せ、とか……?」


「ふふ、貴女のようにおかわいらしい人なら、私も容赦なく蹴落としたんですけどねぇ」


ライラックはただ笑って、『好きな人ができたんだ』と言った。

今まで彼は、その正確過ぎる記憶力から疎まれる事もあった。

けれど器用な彼は笑い方を覚え、喋らない事を学んだ。

公爵家の跡取りとして申し分無い優秀さを持っていた彼は、笑顔だけは忘れずに毎日淡々と仕事をした。

別に苦痛だったわけじゃない、嫌だったわけじゃない。

皆が助かるのなら、助けられる能力が自分にあるのなら、それをこなそうと思っていただけ。

だから野心は無かったけど、良心はしっかり持ち合わせていて、ただ日々の目的が無かっただけなのだ。

しかし最近になって、積極的に仕事をするようになった。

明確に改善を目指すようになったし、積極的に人と関わるようになった。

公爵家の立場がもっと盤石になるようにしたし、向けられた悪意には早々に対処するようになった。

なぜなら、好きな人がそんな自分を好ましいと言ったから。


サリエは今も昔も呆れ返っている。


「パレスフィア夫人に惚れ尽くしていたんですよ。夫人が安心して暮らせる家にして、心許せる人になりたい。そんなくっだらない情だけで、ライラックはこの家をメキメキと強くしていった。……私があの手この手で他人を利用してやっと手に入れた地位ですら、彼の当時の功績にはまるで歯が立たなかった」


はっ、と嘲笑うように鼻を鳴らして、すっかりだらしなくなった姿勢のまま、サリエは両手をあげた。


「完敗でしたよ。それしきの動機で、いとも簡単に私の手が届かない場所にいるんですから。私の手札は他人につけ入って弱みを握って、貶めて、蹴落としていくものばかりなんです。既にぞっこんの相手がいて、更には天賦の記憶力とも成れば、私のカードは全て無効でした。というか、実際に試したんですよ、諦めきれなくて」


一度だけ、最初で最後の攻撃をした。

結婚を間近に控えた彼に、不倫のスキャンダルを用意しようとしたのだ。

式の数日後、明るみになるように。

大打撃になるはずだった。

彼のような人間は、信用の上に全てが成り立っている。

それを一気に地に落とさなければ、とても勝てないと思ったのだ。


結婚式の二日前、証人と不倫相手を全て手配して、連絡も必ず人を介して行った。

万が一失敗した時用にデコイとなる偽の黒幕だって用意した。

連絡が行われる時は、必ず彼と仕事をするようにした。

記憶力の良いライラックは、記憶にあるものを信じて疑わないから、少なくとも疑われる事だけはないはず。

そうしてその日もライラックとの仕事に向かったが、そこにライラックはいなかった。

遅刻なんて滅多にしない男だったから、嫌な予感がして探しに行こうとした。

するとそのタイミングでライラックは来たのだ、見覚えのある人物を連れて。

それは不倫相手用に用意した女だった。


『すまない、先程彼女に出会ってね。話が弾んで遅れてしまった』


ライラックはいつも通り笑った。

女はひどく怯えていた。


「……え、それで、どうなったんですか?お父様はサリエさんの企みに気付いて、暴いたって事ですか??」


「……『ところで、僕の秘書にならないか』、そう言われました」


「え!?」


何がところでだ、チクショウめ。

サリエは今でもそう思う。

ニコニコ笑って、『君がいてくれるとすごく助かるんだ』と言ったその手には、連絡員にしていた男のものとよく似た懐中時計があって、しかも何故だか壊れて蓋が閉じなくなっていたが……これはエンドローズ嬢には伏せておく。

知らない方がいい事もあるだろう。


「証拠を突き付けられた訳でもない、脅された訳でもない。それでも私は、彼の――行動力とでもいいましょうか、それを侮っていた事を思い知りましてね。まあ、貴女は正義感とでも解釈しておけば良いです。だから諦めて彼の下につきました」


本当はただ怖くなったのだ。

彼の得体のしれなさが、いつもと変わらない人のよさそうな笑顔が。

連絡員は後日消息を絶った事が分かったため、サリエはあそこで負けを認めてよかったと心底思っている。


「ま、これが私の人生最大の間違いです。おかげ様で出世は止まりましたが、トップを裏で管理する黒幕的ポジションに路線変更したと思うしかないですね。世の中適材適所の方が合理的な事もままありますし」


眉間に皺は寄せているが、それでも挑戦的に笑って話す姿がなんだか楽しそうで、エンドローズはすっかり微笑ましい気持ちになる。

いつの間にか叱られる事への緊張や苦しかった切迫感は消えていて、少し前向きな気持ちになれた。

それと同時に、悪戯心のような、そんないけない気持ちが湧いてきて、でもすっかり安心してしまったエンドローズは、思い浮かんだ疑問を問う事にした。


「じゃあサリエさんは、その間違いで不利益があったんですか?」


サリエは一瞬驚いたような顔をしてから、悔しそうに歯を見せて笑った。


「いいえ、ちっともね!」

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