Play#14 お説教
殿下が帰宅された後、もう空が茜色になる頃合い。
普通ならそろそろ夕ご飯の時間なのかもしれないが、私はとある部屋で――小一時間ほど、正座をしていた。
「エンドローズ嬢?では話を全てまとめると、貴女は第一王子に無礼な言葉遣いで終日接した上に、向こうから申し込まれた縁談に対して婚約破棄全体の発言をし、挙句の果てには王子殿下に大層なご高説を垂れた、と。まさかそう言いたい訳ではありませんよねぇ?」
目の前で仁王立ちし、にこにこの笑顔とどす黒いオーラを両立させているのは、公爵の側近で秘書のサリエ・シュメールさんだ。
どうしてか知らないが、今日の殿下とのやりとりを独自に聞きつけたらしいこの人は、公爵より一足はやく帰ってきた。
そして丁度殿下が帰った後で部屋に戻ろうとしていた私に全速力で追いつくと、有無を言わさず秘書室に連れて来たのだった。
長くて、白と薄紫の間のような綺麗な色の髪をボサボサに振り乱して走ってきたサリエさんは、その場にいたレイを含む三人の侍女も呼びつけて、ことの全容を洗いざらい聞き出した。
その間、エンドローズだけがソファに正座させられていた。
「違いますよね?全員漏れなく頭がおかしくなっていただけですよね?皆で同じ幻覚幻聴を共有するなんて、さぞ仲がよろしいのでしょうねぇ」
「あの、その……ごめんなさい、幻覚じゃないです……全て今日あった本当のことです……」
「あ?」
「ヒエッ」
サリエさんが普段女性と見紛うほど美しい顔を治安悪く歪め、その鋭い眼光でエンドローズを睨みつけた。
最早取り繕うのも辞めたらしく、雇い主の一人娘を前にして足を組んでふんぞり返る始末である。
前世ではエスカレーター式の私立校にしか通った事がないエンドローズだったが、何故か見た事もないテンプレートな不良が頭を過った。
「はあぁぁ、ったく……なんて事をしてくれたんですか、貴女は」
「ご、ごめんなさい……」
「まあ、マナー云々はいいでしょう。こちらにも落ち度はあります。貴女くらいの令嬢ってみんなませたクソガ……大人びたお子さまが多いので、7つにもなれば自然とそれっぽい話し方を覚えているものなんですがねぇ。まあ、特別出来が悪いのも中にはいるでしょう。学ぶ場を設けなかったこちらの責任です」
「あ、い、いえ!全部私が悪いんです……!」
「んなこたぁ分かってます。貴女の出来の悪さを甘く見ていた事を反省しているだけですので」
「……ハイ……」
エンドローズは肩を竦めて縮こまる。
思えばこんな風に叱られたのは久々だった。
前世の小さい頃は、よくこんな調子で母に叱られていた。
どうしてできないの、なぜもっと必死にやらないの、と同じような回答ミスをする度に言われたものだ。
懐かしいな、でもおかげで慣れてるから、きっと今回も泣かずにいられる。
黙り込んで俯いたエンドローズに、サリエは不味い、と顔を顰める。
つい感情のままに言いたい事を言ってしまった、これで雇い主に泣きつかれでもしたらライラックからの信用に関わる。
それは流石に困るので、サリエは咳払いと共に気持ちを切り替えた。
「も、申し訳ない、言い過ぎました。実際問題、マナーの講師をつけなかったのは私の落ち度ですし、貴女の場合は……他の家庭と違って手本になる存在との交流が、その……少なかったわけですし。貴女に比はありません、大人気なかったですね」
頼むから父親にチクってくれるな、という魂胆を隠し、サリエはなるべく真摯に謝ってみせる。
実際冷静さを欠いて態度を間違ったのは自分自身であるため、嘘は言っていない。
最近母親を亡くし、存命の頃も病弱で中々会えなかったのだから、お手本も無かったのだという事は少し考えれば検討がついた。
苛立ちのあまりそこまで配慮しなかったことは詫びねばなるまい。
あとは癇癪を起こさなくなった、礼儀正しくなった、という使用人の噂が真実である事に賭けるしかない。
「いえ、その……王子さまに会うのに、マナーとかを考えられなかったのは私ですから……。すみません、マナー関連の本はまだ読んでなくて……予習不足でした、ごめんなさい」
眉をへにょりと八の字にして、エンドローズはぎこちなく笑った。
その姿がサリエの印象にあるエンドローズとはかけ離れていて、今度こそサリエはしっかり罪悪感を持った。
我儘ばかりで気にくわない事があれば暴れ出すようなクソガキのままだと思って接してしまっていたが、こんなに聞き分け良くした上で落ち込みを隠されては、本当に傷つけてしまったのかもしれない、とサリエは思った。
別に雇い主の娘だからといって可愛いなどとは思わないし、そも子供を可愛いとは思わない人間性であるサリエだが、それでも一丁前に良心の呵責に耐えかねる時もあるのだ。
「はあ、もういいです。マナーはこれから勉強する、それだけ決まればいい。それよりも、その後の方が問題だ」
前に一度家庭教師を付けた時に、癇癪を起こして物を投げつけた挙句泣き叫んで部屋に閉じこもり、その日の内に家庭教師も辞めてしまった。
当時あまりの惨状に『これはしばらく無理だな』と匙を投げてしまい、その問題を先延ばしにしてしまっていた。
もっと早くエンドローズに再評価を行っていればよかったと、サリエもかなり反省している。
互いに反省をし対策を立てたのだから、これ以上は謝りあっても不毛なだけだ。
サリエは、努めて柔らかい態度を意識する。
「婚約破棄を前提に、やら、運命の恋がどうの、とやらは、一体どういうつもりで仰ったんですか?ロマンス小説の読み過ぎでおかしな考えを持っただけなら、怒らないので素直に言って下さい。……それとも、もしやどこか不調なんですか?」
その声色に心からの心配と戸惑いを感じて、エンドローズはやっと合点がいく。
そうか、ゲームの中の物語は隠さなきゃいけなかったんだ。
思えばリオンの態度が変わったのも、その話題が出てからである。
『ゲームの中の物語だから』、とそこで思考停止していたが、彼らにとっては未来の話なのだ。
なのにそれを突拍子もなく言い出したなら、それは気が触れたと思われても仕方がない事であるし、何よりとても困惑するだろう。
そこまで思い至れなかったエンドローズは、昼間のリオンとのやり取りを思い返して顔を真っ青にした。
「……っ」
「エンドローズ嬢?」
「あの、わたし……ごめんなさい……。その、小説にそんな話が、あった、ので……そう思い込んでいました……」
やっと自らの重大な過失に気が付いたエンドローズは、故に真っ赤な嘘を言った。
自分に前世の記憶がある事も、この世界が描かれたゲームを知っている事も、そのシナリオも。
今後はしっかり秘匿しなければならないのだ。
エンドローズは罪悪感に潰されそうになりながらも、たどたどしい嘘を吐くしかなかった。
「……わかりました。幸い向こうからの返事は何故か好感触ですし、この件は不問としましょう。貴女のお父様にも知られないよう、私が手を回しておきます」
見かねたサリエがそう言うと、エンドローズはパッと顔をあげて安心したように息を吐いた。
あのライラックこと親バカに知れたら説明と宥める作業が面倒くさい、とただその理由だったが、『お父様』という言葉にこれだけ過敏に反応したところを見るに、心配をかけたくなかったのかもしれない。
もしそうなら、エンドローズが本当に別人レベルで改心したという事になる。
それならそれに越した事は無いが、ここまで素直だと微妙に扱いな……とサリエは思った。
「あ、ありがとうございます……!私、がんばります!もう、間違えたりしませんので!」
エンドローズは縋るような想いだった。
間違ったら失望される、がっかりされる、そんな恐怖が声を震わせる。
間違わないように生きなければならない事を、生まれ変わったからといって失念していた。
もう二度とこんな風に怒らせないから、だからもう一度だけチャンスを与えて欲しかった。
長髪のサリエのシルエットに母の姿が重なった気がして呼吸がはやくなる。
がんばるから、もっとがんばるから、どうか見捨てないで――
「貴女ねぇ、馬鹿なんですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます