Play#13 降参


リオンが、あの美少年という言葉がよく似合う顔を思い切り顰めたものだから、エンドローズは思わずびっくりしてしまった。

かっこいい男の子でもそんな顔をするんだなあ、などと思いつつ、前世で芸能人と呼ばれていた人々を思い出す。

実際あまり顔は覚えていないが、それでも時々お人形みたいだなあと感心していた。

なるほど、つまり彼らはやはり人間だったのだ。


「パレスフィアさま……つまりあなたは、ぼくが運命のひととやらと出会うまで、じゃまな縁談をことわる口実になるためだけに、ぼくと婚約したと言うんですか?」


「?はい、そうです。……はっ!いえあの、一目惚れもしました、はい!」


エンドローズはハッキリ首肯してから一拍置いて、慌てて一目惚れがどうの、かっこいいがどうの、力になれたらうんぬんかんぬんと理屈未満の言い訳を並べる。

それはとても苦しくて、言えば言うほど奇天烈としか思えないリオンの推察を正しいと証明していくよう。

それがあまりにも滑稽で、あまりにも荒唐無稽で、あまりにも理解不能で。

ついにリオンは我慢ならなくなってしまった。


「っふ、ふふ……あは、あっはははは!!」


突然腹を抱えて壊れたように笑い始めたリオンに、エンドローズは唖然とした。

使用人たちはもっと動揺し、薔薇の花束を渡した侍女などは気絶する始末である。

こんなにも『人間らしい』ことが、意外に感じる日が来るとは。


「はー……しつれい、はしたなかったですね。んっふふ……」


「い、いえ……お気になさらず……」


まだ口の端から笑いの零れるリオンに、エンドローズは若干引き気味である。

そんなエンドローズの心を使用人たちが読めたなら、声をそろえて『どの口が!』と叫んでいた事だろう。


「あなたはおもしろいですね……いいでしょう。そのおかしな空論をしんじたことにしておきます。あなたはぼくがその、うんめい……ふふ、うんめいの恋とやらにおちるまで、おかざりの婚約者として好きにふるまえばいい」


先程まできれいに揃えて踵を床につけていた足を、リオンはゆっくりと組む。

片足の踵だけ浮いたその様はあまり上品とは評価されないだろうが、今は不思議とどうでも良かった。

今はこの愉しさに勝るものなどないのだから。


「?はい、お褒め頂いて恐縮です……。精一杯努力して、第一王子の婚約者に相応しい令嬢を目指したいと思います」


「おや、いずれ破棄されるとお思いなのに、むじゅんした事をおっしゃるのですね。むだなどりょくになるくらいなら、今のうちにぼくの名をつかってぼうじゃくぶじんにふるまってみては?」


リオンは心底楽しそうにそう問う。

エンドローズはこの提案に乗らないと、そう確信して。


次はどんな愉快な事を言い出すつもりだい?


「いいえ、そんな事をする訳にはいきません」


「へえ、それはなぜ?」


「……っそ、れは」


にこにこと上機嫌なリオンに問われて、エンドローズは言葉に詰まった。

理由が無い訳では決してない。

もちろん最初の動機は『物語で必要な役目を果たすため』であるし、主人公の良きライバルになるには立派な悪役令嬢にならなければならない。


でも、それだけじゃないの。

婚約とはいえ、これは契約だ。

誰かと契約して協力関係になるのであれば、それは一時的にでも信頼を置かれるということ。

前世ではろくに同世代との信頼関係を築けなかった私だけど、今回はきちんとしたい。

誰かに協力して、その信頼に応えたい。


『今回ならきっとうまくいく』と、そう思える。


「……私は、仮にも一時的に、殿下の婚約者になります。それは私の振る舞いひとつでさえ、殿下に関わる事柄と周囲に受け取られる事と同義です」


「……つづけて」


リオンは愉悦に上がっていた口角を下げ、心底意外そうに目を丸めた。

それまでは『たのしくて仕方がない』という表情だったが、今度はそれが『興味深いもの』を見る顔になる。

再び表情の無くなったリオンに対し、エンドローズは緊張で震える両手でドレスを握りしめる。


「私が……良くない振る舞いをすれば、殿下の名前に傷がつきますし……何より、それは殿下への侮辱になる、と、思います」


エンドローズは話しながら、紅茶のカップを睨む。

ああ、なんてこわいんだろう、自分の意見を言うのは。

私の意見なんて必要ないかもしれない、もしかしたらただの私の我儘なのかもしれない。

そう思うととても怖くて、どうしてか前世の両親の顔が過った。


でも、でも、大丈夫なんだと、そう思う気持ちが止められない。

大丈夫だよ、と心が訴えかけてくる。

それは聞いた事のある声色で、思い出すのはレイや、……お父様の顔。


「私はっ……殿下の何を知る訳でもないので、偉そうな事は言えません。けど、その歳で第一王子としての期待を一身に背負って周囲の理想に応え続ける事は……きっと、多くの努力の積み重ねだと、想像します。弛まぬ努力を『才能』の一言で片付けられたり、心無い人たちの言葉もきっとあるんじゃないかな、と思います。それでも理想の王子さまといわれるのだから、殿下はきっとすごいのだと思います」


レイから聞いた話だが、リオンはやはりと言うべきか、同世代からもそれ以外からも人気者らしい。

曰く、まさしく理想の王子さま、と専らの噂で、お茶会の話題で一番盛り上がるとまで言われているそう。

それを聞いてエンドローズは、素直にすごいと思った。


「……」


リオンは目をすう、と細めて、ただ黙って聞いている。

まるで値踏みをされているような気持ちになって、前世での中学受験の面接を思い出した。


「私は、その努力に応えたい。少しでも報いたい。理解者にはなれなかったとしても、その努力に追いつきたい。一時だけでも婚約者になるんです。その間だけでも、あなたに相応しい女性に、私はなりたい……っ」


エンドローズは必死だった。

言葉を紡ぐ度に襲い来る、意見を主張する事への拭えない恐怖。

ただただそれに負けないように、必死に声を張った。


きっと私の我儘だから。

それでも私は成し遂げたいから。

だから少しでも伝わるように、頭に浮かんだ言の葉を真摯にぶつけた。


「……はあ」


リオンがとびきり低い音で溜息をつく。

エンドローズの肩がびくりと跳ねた。


リオンはその様さえも、はたから見れば怒りとも冷徹ともとれる目つきでじっと見つめていた。


今までに何人もの人が、リオンに『同情』という手札を切ってきた。

自分ならわかってあげられる、代わってあげられる、一緒に背負ってあげられる。

そういった実際にどう実現してみせるのかが曖昧な言葉が、リオンにとっての『同情』であった。


勝手に分かられるのは不愉快だ。

代われる訳がない、現実的に。

一緒に背負われても、作業効率が落ちるだけだろう。

リオンは率直にそう思う、けれど言わない。

その方が明らかに賢明だったから。

有難迷惑ですり寄るすべを耳心地よく発音したもの、それが『同情』であったのだ――今日までは。


エンドローズをよく観察する。

リオンのついた溜息に、ひどく怯えているようだ。

婚約を申し込んだ第一王子に対して婚約破棄を前提とした発言は平然とした癖に、自分の意見を否定されるのは怖いのだろうか。

常人からすれば、いずれ政治争いの中心になるであろう人物をさん付けで呼ぶ方が、よっぽど恐ろしいだろうに。

リオンの喉がくつくつと鳴る。

ああなんて、なんて面白くて――かわいらしい人だろう。


それすらも、リオンにとっては初めて抱き、言語化された感情だったが、もう驚きはしなかった。

今日だけで多くの体験をしたんだ、今更新しく芽生えるのは不思議な事ではない。

これから自分の世界は楽しくなる、そんな確信が微笑みになった。


参ったな、噂なんてアテにするものじゃない。


「ふふ……そんなにおびえないで。まいりました、降参です。きょうのところはぼくの負けのようだ」


「え、ま、負け……?すみません、何かの勝負事でしたっけ……?」


エンドローズは理解が追い付かないといった顔をして戸惑う事しかできない。

しかしリオンからすれば、理解できないのはエンドローズの方である。

故に、生まれて初めて、個の人間というものに興味を持った。

もう少し観察する価値はあるだろう。

しばらくは退屈しなそうだ、とリオンは上機嫌にソファから立ち上がる。

そのまま対面のソファの横へ立ち、お手をどうぞと左手を差し出す。


クエスチョンマークを浮かべつつも、促されるままに右手を重ねたエンドローズを、『しつれい』と囁いたリオンが少々強引に引っ張った。


「わ!」


そのまま前のめりになるエンドローズを器用に受け止めて、自然な流れで立たせると、リオンはその前に跪いた。


「エンドローズ・パレスフィア。あらためて言わせてほしい。しょうらい王になったぼくの、妃になってくれませんか」


「……は、はい……よろしくお願いします……?」


ぽかんと口を半開きにしたまま了承を口にしたエンドローズに、リオンは柄にもなくワクワクとしながら、その右手の甲に口付けるのだった。

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