Play#11 よろしくお願いします
ただでさえ立派なパレスフィア邸の門を、これまた立派な馬車が潜る。
大きな屋敷の前で引き締まった肉体の二頭の馬が嘶くと、使用人が開けたドアから天使が舞い降りた――ように、美しい顔立ちの少年が降りた。
横で深々と頭を下げる使用人には目もくれず、微笑みを携えた少年はこれまた使用人が開いた屋敷の扉の前に立った。
「ようこそおいでくださいました、王子殿下。わざわざご足労おかけして申し訳ありません」
屋敷の玄関ホールで待っていたパレスフィア公爵が挨拶をすると、扉の前で会釈をしてから少年は屋敷に踏み入った。
「……こちらこそ、お話をうけていただき、感謝いたします、パレスフィア公爵」
一分の隙もない完璧な所作で、少年――リオンは礼を返す。
パレスフィア公爵はなるべくにこやかに接するよう意識した。
彼が娘を任せるに値するのか、確かめられない事を悔やみながら。
「……申し訳ない、私はこの後公務が立て込んでおりまして。すぐに外出しなければなりません。無礼をお許しください」
「無礼だなんておっしゃらないでください。多忙ななか、急な訪問をゆるしていただいたことに感謝しています」
「……ならよかった。娘は応接間にいます。付き添いは侍女に任せておりますので、何かあればそちらに。では」
爽やかな笑顔をうかべて、パレスフィア公爵は屋敷を後にする。
公爵の馬車が見えなくなるまで見守ったあと、リオンは密かに息をついた。
思ったより警戒されていたな。
リオンのパレスフィア公爵に対する印象である。
普段王宮に出入りもする彼の事は、かなり前から知っている。
人の良さそうな顔をしているのにやたらと有能で、若くしてパレスフィア家の当主をしている人物だ。
普段見る彼はいつも爽やかで、逆に笑顔以外の感情を悟らせない男であったが、今日はそれが引き攣っていた。
後ろをついて歩くあの胡散臭い秘書の方が、今日はよっぽど愛想がよかったくらいだ。
あの人も娘の事になると少しは人間らしくなるのだな、とリオンは僅かに落胆した。
そうこうしているうちに、パレスフィア邸の応接間に案内される。
扉の先には上等なソファと机があり、その向こうには絵画のように美しい庭。
どうやら応接間から直接庭に行けるよう、巨大な窓が扉のように開く仕様らしい。
澄み切った硝子をあのサイズでオーダーできる時点で、応接間に通された客人はパレスフィア家の力の強さを思い知るだろう。
そんな爽やかな風と紅茶の香りが吹き抜ける応接間のソファで、少女は身を固くしていた。
ああ、明らかにド緊張してるな。
リオンのエンドローズに対する第一印象である。
「ごきげんよう、パレスフィアさま。ほんじつは急な訪問、もうしわけありません」
「いっ、いえ……っ!」
慌てた様子で立ち上がった少女に、リオンは形ばかりの世辞を言う。
「急な婚約のもうしこみ、おどろかれたでしょう?申し訳ありません、どうしてもあなたが、忘れられなかったものですから……」
後ろで控えていた王宮の侍女たちは、静かにほう……とため息をついた。
ほぼ毎日見ている者たちでさえ、つい庇護欲を掻き立てられてしまうような、そんな儚げな表情だった。
リオンとしては、それも世を渡る手札の一枚なのであるが。
「……はあ、そうですか……それは、どうも?」
なので、エンドローズのこの反応には、久々に驚かされる事になる。
「……お近づきの印に、こちらをどうぞ」
リオンが視線を送ると、侍女が慌てたように一歩前に出て、抱えていたものを差し出す。
「これは王宮のみ栽培を許されている、希少な薔薇です。パレスフィアさまにお似合いだと思いますよ」
「?……ああ!ローズだからって事ですね。ご丁寧にありがとうございます」
この部屋にいる使用人全員が目を丸くした。
仮にも王子殿下を前にして、あまりに言葉使いが庶民的過ぎる。
しかも目上の相手に社交辞令のひとつも無いなんて、公爵家のお嬢様とは思えない。
パレスフィア家の使用人は漏れなく肝を冷やし、王子付きの使用人は顔を顰めた。
「……座っても?」
「あ、はい。どうぞ」
極めて庶民的な仕草でソファを示したエンドローズは、何気なく自らもソファに座ると、思い出したように口を開いた。
「あの、今日はよろしくお願いします。えっと……プリマヴェーラさん?」
ピシ、とついにリオンは固まった。
凍りついた空気の中、果敢にもエンドローズの一番近くで控えていた侍女が彼女に耳打ちする。
「『殿下』ですお嬢様……!」
そうしてやっとエンドローズはハッとしたような顔をして、ぎこちない笑顔で『で、殿下……』と言った。
リオンはコホンと咳払いをしてから、用意された紅茶を飲む。
(やりづらいな……)
そんな内心をポーカーフェイスに隠した。
リオンとて、ナルシストな訳ではない。
必ずしも女性が皆自分に関心を持つとは思っていないし、他人が思い通りに動いてくれるとも思っていない。
しかし、人とは誰しもが美しいものに心惹かれるものだ。
自分の容姿がどうやらその『美しいもの』に分類されがちである事を理解しているリオンは、求められる態度を心がけた。
反対に、相手が何を求めているかを理解する事に長けていたともいえよう。
例え思い通りにならずとも、自分に興味を持たずとも、相手が何を求めているのかさえ分かれば、この後どうするのかも、興味のある話題も、自ずと検討がついた。
しかし、目の前の少女からは、それが未だに読み取れなかった。
「……良い茶葉ですね」
「はい、美味しいです」
うーん、どうにも、扱いづらい。
とっとと本題に入ってしまおう、とリオンは話題を変えた。
「婚約の件、うけてくださってありがとうございます」
「はい、こちらこそ、その、ありがとうございます」
エンドローズは相変わらずぎこちない。
いかにも笑おうとして笑っている人の顔である。
「ところで、少しふみこんだおはなしになりますが……パレスフィアさまはいちどこの話をおことわりになったとか。なぜうけてくださる気になったのか、お聞きしても?」
ぎくり、と肩を震わせて、エンドローズは明らかに視線を泳がせる。
「それは、そのぉ……」
「はい」
「……ひ、ひとめぼれ、したからです……」
エンドローズは居心地が悪そうにしながら、顔を赤らめた。
はたから見れば、照れ隠しに見える。
「……そうですか。それはこうえいだなぁ」
リオンはにこりと笑って世辞を言う。
なんだ、そんなものか。
そんな気持ちが明確に湧いた。
リオンはその感情の理由がわからなくて、紅茶を啜りながら思考する。
なぜだろう、この少女に何かを期待していた?
他人に一体、何を期待できるというのだろう。
不快感が胸に留まる感覚に初めて、さっきまで自分の気分が良かった事を自覚した。
扱いづらいだけのはずの彼女の態度に、不思議とこの不快感は無かったのだから。
「……とにかく、パレスフィアさまのきもちをたしかめられてよかったです。今後もよい関係をきずいて行きましょう」
この感情の処理には時間がかかるだろう、そう踏んだリオンは会話の締めに入る。
当然、エンドローズからは特段発信は無いだろうと思った。
なぜなら、彼女はあまり会話がうまくないから。
聞かれた事にイエスかノーで答えるのみで、あまり話題を提供しようという意思は感じられなかった。
それならそれでいい、めんどうが減る。
社交界では少し苦労しそうであるが、会話の成立に相互的な配慮が必要である事を知らない人は、不思議と一定数存在するのだ。
驚くべき点は無い。
エンドローズから
「はい。婚約が破棄されるまで、よろしくお願いします」
リオンは生まれて初めて、口に含んだ飲料を吹き出しそうになった。
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