Play#10 いわゆる一目惚れというやつ
「これは……攻略本?」
光っていたのは攻略本だった。
正確に言えば、攻略本の表紙に施された金の模様。
植物の蔦のようなその模様は、ウェーブするように流動的な光を放っていた。
エンドローズは、それにそっと手を伸ばす。
「きゃ、」
指先、ほんの爪の先がちょん、と表紙に触れると、攻略本はふわりと吹いてもいない風にのるようにパラパラと開いて、とあるページで止まった。
か、怪奇現象……!
エンドローズは正しく怯えたが、そのページに違和感を覚えて覗きこむ。
「……あれ、こんなページあったっけ……」
前見た時はほぼ白紙だった名ばかりの本。
あの時ほぼ全てのページを確認したが、今日のそれは全く見覚えがない。
不思議に思って目を通すと、そこにはとんでもない事が書いてあった。
「『腹黒ドS王子・リオン――攻略対象である
要約すると、
『第一王子のリオンは当時から毎日のように舞い込む縁談話に辟易としており、御目見えの儀式で社交辞令的に声をかけたエンドローズに一目惚れされる。
いつものように曖昧に誤魔化して煙に巻こうとするものの、情緒不安定で我儘、夢見がちと噂のエンドローズはとてもしつこく、ついには王子の気を引こうと番犬を挑発して助けを求める。
しかしエンドローズの予想を超えて凶暴だった番犬は、運動不足で偏食家の痩せた少女如きすぐに追いつき、噛み付く。
直後リオンが魔法で助けるが、『助けを求められていたのに怪我をさせた』、『大精霊の加護はこんなもんか』など諸々の噂をするやからも現れ、どうしたものかと思案した王子はとある妙案を思いつく。
怪我をさせた事を口実に力の強いパレスフィア家の一人娘を婚約者にすれば、不始末の責任をとると同時にしばらく縁談避けの盾になる、と。
翌日王子から縁談の手紙が来たエンドローズは傷跡をわざと残すように言いつけた』
……とある。
要約でこれ、なのだ。
つまり、王子からの婚約は、正規の物語だった――!?
「たいへん……!」
エンドローズは寝巻きのままベッドから飛び降りる。
レイと毎日ウォーキングをし始めて、ごはんもしっかり食べるようになったのもあり、それなりに体力がついてきたので、もう以前ほど極端な虚弱ではない。
それでも前世ほどの体力はまだついておらず、歩くよりは気持ち速いくらいの駆け足で、急いでダイニングルームまで向かう。
一方のダイニングルームでは、朝食を食べ終わったライラック・パレスフィア公爵にその側近が進言をしているところである。
「本当に宜しいのですか?公爵。第一王子から直々の婚約の申し込みなんて、きっと次はありませんよ」
「分かってるさ、サリエ。……でも、今まで父親らしい事をしてやれず、体の弱かったカトレアとも中々会えなかったローズが、初めて。初めて直接、我儘を言ったんだ」
「……我儘は普段から散々言っているでしょう。あの本が欲しいだとか、こんなドレスが欲しいとか……」
「使用人には、ね。負担をかけてしまっていたのは申し訳ない。けど……僕とはあまり一緒にいたがらなかったから」
あの日、エンドローズが倒れたと聞いて、無理を言って飛んで帰ってきた日。
ローズはいつも俯いて、会っても二言、三言で部屋に戻ってしまっていた。
だから、あの日もきっと怯えられると思っていて、それでもカトレアを失った今、親は己しかいないのだと気持ちを奮い立たせた。
そんなライラックにエンドローズは――目を合わせて、『ありがとう』と言ったのだ。
「あの日からぱったり我儘が無くなったから、体調が良くなったのは僕の勘違いかとも思ったけど……見るからに健康になった」
「ええ、侍女を付き合わせて毎朝庭を歩き回っているそうですよ。それは我儘にカウントされないんですねえ」
「意地の悪い事を言うなよ、サリエ」
「貴方が甘やかし過ぎなんですよ、全く」
いつまでも親バカの抜けない公爵に、側近で秘書のサリエ・シュメールは、はあと溜息をついた。
そんな甘ったれた考え方で第一王子からの婚約を蹴るなんて、冗談じゃない。
「……とにかく、考え直して下さい。こんなチャンスを娘可愛さだけで無碍にするべきじゃない。貴族社会は家族愛の通用する場ではないんです。厳しい言い方ですが……子供は跡継ぎか政略結婚の為の道具だと思うべきだ」
子供も伴侶もとらず、ずっと仕事一本の秘書に、ライラックはどうしたものかと頬杖をつく。
言っている事は分かるのだ、貴族社会の謀略知略に絡め取られない為には、時には非情さも必要である。
……しかし、我が子の可愛さは、もってみないと分からないものなのだ。
二人が睨み合っていると、タッタッタッタ……とリズミカルな音が微かに聞こえた。
小さいうちは気に留めないようにしていたが、徐々にそれは大きくなる。
「……一体なんですか、この忙しい時に……」
「さあ……庭に野犬でも入ったのかな」
まさか、とサリエが藤色の髪を揺らして否定しようとした時、バン、と大きな音が背後で鳴り響いた。
「おとうさん!!!!!」
「「……え?」」
ダイニングルームの片側だけ空いた扉のノブに、しがみつくようにして息を切らしていたのは……ネグリジェのままで顔を真っ青にした、件の一人娘だったのだ。
「はあ、はあ……、よかった……間に合った……」
「ど、どうしたんだい?ローズ。随分慌てているようだが……走ってきたのかい?体調は?」
ライラックが慌てて席を立ち、呆然として固まっているサリエの横をするりと抜けてエンドローズに駆け寄る。
エンドローズはそれに意外そうに目を見開き、次に慌てたように両手を振った。
「ご、ごめんなさい!全然大丈夫ですから……!」
「そうかい?ならいいが……。ところで、僕に何か用事でもあったのかな」
床に膝をついて目線を合わせてくれる事に戸惑って、エンドローズは一瞬忘れていたが、その言葉にハッとしてぎゅっと拳に力を入れた。
「あの、私……!結婚しますっ!」
「えっ」
ライラックはハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。
正しい反応であろう。
「是非!相手方にも宜しくお願いしますとお伝え下さい!!」
「ちょ、ちょっとまって、もしかして……さっきの話かい?どうしてまた……」
そして当然の疑問を口にした。
エンドローズはぐるぐるとまとまらない思考のまま、あの、とかえっと、とか慌てた様子で続けている。
ゆっくりでいい、という意味を込めて、ライラックは優しく頷きながら待った。
「私……そ、そう!私!一目惚れしました!!王子さまに!!」
明らかに大慌てで落ち着きを取り戻していないエンドローズは、突然そう主張した。
さっきまでの態度とは正反対である。
うーん、多分別の理由がある気がするなぁ。
ライラックは直感でそう思ったが、無理に聞き出すのは憚られた。
「ローズは本当に、それでいいのかい?」
7歳の子供に人生の決断は早すぎる。
けれど、王室から直々の申し出ともなれば、今後『娘の気が変わったから』で断るのは不可能だ。
だからこそ、ライラックはエンドローズの気持ちを確認したかった。
「はい!私、婚約したいです!……で、できれば……!!」
エンドローズははっきりと承諾した後に、怯えたように目を逸らした。
そこでライラックはぴんと来てしまった。
ああ、きっとこの子は、僕に対する罪悪感だけが気がかりなのだ。
一度断って、またもう一度受けたい、そうして我儘を二度も言ってしまった事を、申し訳なく思っているのだ。
……今までも、こうして怯えていたのかもしれない。
だから関わるのを避けていたのかもしれない。
であれば自分の責任だな、とライラックは決断した。
「……僕はね、君が幸せに生きていける相手であって欲しいと、そう思うんだ。気がかりなのはそれだけなんだよ」
「え……?」
「ふふ、我儘を言って貰えるの、実はちょっと嬉しいんだ。やっと父親らしくできてる気がしてね。だから、僕に悪いなんて思わなくていい、ローズが本当に望んでる事を言っていいんだよ」
エンドローズの瞳が、じわりと潤んで揺らいだ。
しばし呆気に取られたような顔をして、エンドローズは震える声を絞り出す。
「……わたし……婚約、したいです。わたしが、すべき事だと、おもうから。しあわせか、は……まだ少しわからない、けど。いまは、やれるだけやってみたいって、おもいます……」
「……そうか」
エンドローズのたどたどしい決意に、ライラックはゆっくり頷いた。
娘が頑張りたい、挑戦したいと言うのなら、見守るのが父親の役目だろう。
「……サリエ、上等な便箋とインクを書斎に用意してくれ。悪いが外出はその後だ。何、五分とかけないさ」
「え?ええ、分かりました……」
いつもならもっと時間をかけて精査しろと小言を言ってきそうな秘書も、今は呆然としていたせいか素直である。
秘書の嫌味が調子を取り戻す前に取り掛かった方が良さそうだ。
「ローズ、後は僕の方で諸々のやり取りをしておくから、今日のところはお部屋に戻ろう。ほら、着替えをしなくちゃ、だろう?」
エンドローズは泣きそうな顔でこくりと頷くと、逡巡の末に『ありがとうございます』と言ってダイニングルームを出て行った。
ごめんなさい、と迷ったのだろうか。
だとすれば、ありがとうを選んでくれた事を嬉しく思う。
「……ローズは、なんだか変わったな」
「……ええ、私もそう思います。今は王子との婚約に反対したいくらいです」
何故あんなお転婆に……?と頭を抱える秘書を笑って、パレスフィア公爵は本日最初の公務に向かうのだった。
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