Play#2 無いはずが無いもの


「……うーん、どこからどうみても、子供だよね……」


朝の騒動から数刻、私は病室もとい寝室のドレッサーについた鏡を覗き込む。

そこに写るのは、薔薇のように赤いふわふわ髪に、つり上がったルビー色の瞳がキラキラと輝く美少女。

私が手を振ると振り返すその鏡像は、その6歳かそこらの少女が私自身であると言いたいらしい。


脱色知らずの真っ直ぐ長い黒髪に、焦げ茶色の目の純正日本人だったはずの私の面影はどこにも無い。

明け方混乱しながら運ばれた私は、ドアの直線上にあったこの鏡を見て、本日二度目の悲鳴をあげた。


今は薬も飲んで熱が下がり、落ち着いて考えているつもりだが、どう考えても分からない。

なぜこんな見た目になってしまったのか、本来の私はどうなってしまったのか。

佐藤さんや母にどう連絡をとればいいのか……。


「……失礼致します。エンドローズお嬢様、ご朝食の準備が出来ておりますが、本日はいかがされますか」


さっき私を抱えてくれた、切りそろえられたボブヘアの看護師さんが部屋に入ってきて、業務連絡のように淡々と告げる。

察するに、多分この人は看護師さんじゃなくて、本当にこの“エンドローズちゃん”のメイドさんなんだろう。


「あ、えっと、ありがとうございます、食べます。でもその前にちょっと、聞きたい事が……」


「承知致しました。では本日もご朝食は下げ……え?」


「え?」


「ご朝食、頂かれるのですか?」


「はい、もちろん」


せっかく用意してもらったものだ。

残したりしてはもったいない。

それに朝ごはんはしっかり食べないと、朝から頭が働かなくなってしまう。

午前中からしっかり勉強できるように、私の家では朝ごはんを欠かした事はなかった。


「し、失礼致しました。少々予想外だったもので……いえ、申し訳ありません。すぐにダイニングルームに用意させます」


「?はい、ありがとうございます」


何か変な事を言ったのかもしれないが、今はとにかく、もっと前の段階の情報が足りない。

最優先で聞かなければいけないこと、それを確認した上で、私がを伝えるか考えよう。

私は今まさに孤立無援なのだから、ここで自分の身の安全が保証されることを確かめなければならないと思う。


「あの、私、まだ少し混乱していて……色んなことがなんだかうまく思い出せないんです」


「まあ、でしたらすぐにお医者様を、」


「いえ!それはいいので!簡単な確認ですから!その、まずは――」


***


私付きのメイドさんと話が終わった後、私とメイドさんはダイニングルームとやらに向かっていた。

私が歩く少し前を、レイと言うらしいメイドさんは歩く。

私と彼女の間に会話は無く、私はひたすら、さっきのやり取りを反芻していた。


まず、私は確かにここのご令嬢になってしまったらしい。

名前はエンドローズ・パレスフィア。

プリマヴェーラ王国というらしいこの国の、パレスフィア公爵家の一人娘であり、病弱で生まれた頃からベッドの上で過ごしてきたらしい。

どうりで体が動かなかったわけだ。

エンドローズちゃんの母親――つまりパレスフィア公爵夫人は、つい先日亡くなられたそうだ。

私が母に連絡を、と言った時、レイさんの様子がおかしかったのは、私がショックで混乱していると思ったからなのだろう。

レイさんと話しているうちに、エンドローズちゃんの記憶が何故か私にも蘇ってきて、全く知らない人のはずなのに、公爵夫人が亡くなられた事がひどく悲しく感じてしまった。

どうやら、私がエンドローズちゃんの中に入るまでは、この子は少し情緒が不安定で癇癪を起こしやすかったらしい。

レイさんは私の態度が他人行儀で大人しい事を心配していたそうだ。

どうしよう、私はエンドローズちゃんじゃないのに、レイさんを使用人として扱うなんて失礼だし……でも私が別人だと分かった途端、捕まってしまうなんて事もありえる。

どうするのが一番良いのか分からないままオドオドしていたら、バレるのは時間の問題なのに……。


「あ、あの、レイさん」


「……お嬢様、先程も申しましたが、私はただの使用人でございます。いつも通りレイ、とお呼びください」


「あ、れ、レイ……。あの、随分長いこと歩いてますけど、ダイニングルームはまだなんでしょうか?」


「いつもと同じ距離だと思われますが……こちらがダイニングルームです」


大きなドアをレイさんが開けると、そこは大きな食卓だった。

細長い机に、金色の燭台、高そうな食器。

いい加減この高級感にも慣れてきて、まあこれがエンドローズちゃんの日常だったのだろうと納得する。


細長い机の一番端に座ろうとすると、レイさんがすかさず椅子を後ろに引いてくれて、私がそこに座ると膝にナフキンを置いてくれた。

ありがとう、と言うと、またレイさんは不思議そうな顔をする。

しまった、エンドローズちゃんはお礼言わない子だった……。

ボロばかり出してしまって先行きが不安だ。


とりあえず大人しく料理を待っていると、私達が入ってきたドアと反対のドアが開く。

お料理かな?と思ってそっちを見ると、洋風の背広をビシッと決めた綺麗な男性が入ってくる。

これは、あれだ、佐藤さんの言ってた、イケメンってやつだね!?


しかも、その男性には見覚えがあった。

微かに思い出せるエンドローズちゃんの記憶の中でも、割と会う頻度の高い人。

後ろのレイさんに緊張感が走ったことからみても、間違いない。

この人は


「お、父様……?」


「エンドローズ!良かった、熱は下がったんだね」


顔を綻ばせてこちらへやってくる男性は、エンドローズちゃんのお父さん。

なんとなく、エンドローズちゃんは様付けで呼んでいた気がするので、とりあえずそれに倣う。

この人は、体の弱いエンドローズちゃんを心配して、……多分すごく、愛してくれているんだと思う。

エンドローズちゃんはあまり人と会いたがらなかったみたいだけど、実の父にこんなに心配して貰えるのは、他人の私でも嬉しかった。


「お前が朝食を食べに来るなんて珍しいじゃないか。明け方は倒れたと聞いたが、今は気分が良いのか?」


「はい、もうすっかり。ありがとう、ございます」


照れくさくてお礼を言うと、パレスフィア公爵は少し目を見開いてから、優しく私の頭を撫でてくれた。


「今日は本当に良さそうだな。嬉しいよ。せっかくなんだ、私も仕事を休んで……」


「これは旦那様……斬新なお戯れを。本日は急の案件が山積みでございます、よもや本当に休まれるなどとは仰いませんよね?」


「……今日“も”だろ……はあ、仕方ない。ごめんよエンドローズ」


パレスフィア公爵の後ろに控えている、眼鏡をかけたこれまた美しい男性に、目が笑っていない笑顔で釘を刺され、公爵は心底残念そうに謝る。


「あ、まって、お父様」


お仕事が忙しい父を邪魔したくはないが、どうしても聞かなければいけない事がある。

それだけ聞いてしまおうとした私は、本当にただの確認で、予想外の答えなど返ってこないと思っていたのだ。


「お父様、日本と連絡はとれますか?」


「ニホン……?聞いた事が無い名前だね。それは人かい?それともどこかの国かな」


そう、日本が無いなどと、そんな答えは全くの予想外なのであった。

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