第232話 憐れな人

 

 ──イヴァンさんの過去を覗き見していた私は、現在の自分に視点を戻した。

 極度の感情移入が発生しないように、頑張って自意識を保っていたけど……イヴァンさんは、私と同じ孤児院の出身者なので、かなり引き込まれたよ。

 私だって、彼と似たような境遇に、陥っていたかもしれない。そう考えると、どうしても感情移入してしまう。


「私はアーシャ、私はアーシャ、私はアーシャ……。よしっ、もう大丈夫!」


 私はペチペチと自分の頬を叩いて、きちんとアーシャとしての意識を取り戻してから、現状を再確認する。

 ここは、雨が降っている夜の山の中。轟々と風が吹き荒れているので、遂に嵐が到来したみたい。

 目の前ではイヴァンさんが、自分の脳味噌を掻きむしって、藻掻き苦しんでいる。


「アアアアアアアアアアアッ!! マリアセンセエエエエエエエエエエ!!」


「助けてくださいまし! マリアさん!! 助けてくださいまし!!」


 異形のイヴァンさんの胸には、ポテトくんの身体が半分ほど埋まったままだ。

 そんな彼に憑依しているリリィが、懸命に魔法の言葉を唱えていた。

 マリアさんは故人なので、助けに現れる訳がない。でも、イヴァンさんは彼女の名前を聞くだけで、精神が不安定になって自傷行為に及ぶ。

 彼の脳味噌の損傷具合を見るに、いつ力尽きてもおかしくない。


「イヴァンさん……」


 私は複雑な思いを抱きながら、彼の名前を口にした。

 過去を覗き見した後だと、もう化け物には見えないよ。

 イヴァンさんは立派な人間になって、マリアさんを安心させたかっただけなんだ。

 彼の気持ちは、痛いほどよく分かる。私だって、マリアさんを安心させたくて、必ず幸せになるって約束したからね……。


「それにしても……あの三人が、繋がっているの……?」


 アムネジアさん、ノワール、セバス。私が知っている人たちが、不穏な線で結ばれた。

 途轍もなく嫌な予感がする。これは一体、どういうことなのか──私が深く考える前に、イヴァンさんが力尽きて、地面に倒れ込んだ。


「お、終わったんですの!? 終わったんですわよね!? こ、怖かったですわーーーっ!!」


 ポテトくんの身体から飛び出したリリィが、ギャン泣きしながら私の身体に抱き着いてきた。

 幽霊の身体なので、触ることは出来ないけど、頭を撫でる動作はしておく。


「リリィ、お疲れ様。ティラ、ポテトくんを回収して」


「ワフっ!!」


 ティラが私の指示に従って、イヴァンさんの胸を引き裂き、ポテトくんの身体を引っぺがした。

 見たところ外傷もないし、脈拍も正常なので、一安心だよ。

 イヴァンさんの遺体は、スラ丸に回収させておく。野晒しにするのはあんまりなので、後ほどお墓を用意しよう。


「こっちは終わったけど、トールたちの方はどうだろう……?」


 ポテトくん誘拐事件の首謀者、セバス。

 奴がこっちにいないってことは、トールたちの方にいるよね。

 私は【感覚共有】を使って、テツ丸の視界を覗き見する。

 


 ──私の現在地とは正反対にある山の頂。その開けた場所では、縦横無尽に竜巻が暴れたような、凄まじい惨状が広がっていた。

 木々も岩も地面も、ズタズタに切り裂かれて、吹き飛ばされ、あちこちが抉れているんだ。


 トール、シュヴァインくん、フィオナちゃん、ニュート、ミケ、スイミィちゃん、リヒトくん、スラ丸、テツ丸、ペンペン。

 みんな強くなったから、これだけの戦力であれば、負ける訳がないと思っていた。

 それなのに、全員が地面に倒れて、ぐったりしている。身体に傷は付いていないけど、装備はボロボロだよ。


 そして、みんなの目の前には、無傷のセバスが悠然と佇んでいた。


「強くなりましたな、坊ちゃま。それに、お嬢様と、あのときの溝鼠どもまで」


 セバスはなんの感慨もなく、虫けらでも眺めているかのような目で、私の仲間たちを見下ろしている。

 それから、彼はニュートの首を無造作に掴んで、軽々と持ち上げた。


「セバス……っ、貴様ぁ……ッ!!」


 ニュートの体力と魔力は尽きかけているけど、その心は全く折れていない。

 彼は鋭い目でセバスを睨み付けて、眼力だけで人の命を奪えるんじゃないかと思えるほどの、煮え滾るような怒気を立ち昇らせている。


「不屈の闘志はご立派ですが、既に限界でしょう? わたくしめが勝者で、貴方が敗者だ」


「おのれ……ッ!! 一度ならず、二度までも……っ、ワタシの大切なものを傷付けたな……ッ!!」


「前回も今回も、殺害には至っておりませんぞ。無論、これからどうなるかは、分かりませんが……」


 セバスはスイミィちゃんを見遣って、じわりとドス黒い殺意を滲ませた。


「やめろッ!! スイミィに手を出すなッ!!」


「では、お答えしていただきたい。貴方たちに掛かっているバフ効果の正体を」


 セバスはそう要求して、剃刀が仕込まれているような旋風で、ニュートの身体を切り刻んだ。


「──ッ!?」


 ニュートは悲鳴を噛み殺して、なんとか耐えている。

 全身に無数の傷を負い、指が切り落とされて、目が切り裂かれた。

 旋風が止むと、それらの傷は瞬時に再生して、彼の身体は無傷の状態に戻る。


「馬鹿げた再生能力だ。これが一人だけのものであれば、取るに足らないことだと思ったでしょう」


 セバスは黎明の牙の面々を眺めて、全員が無傷であることを確かめてから、『ですが──』と言葉を続ける。


「この場にいる全員が、同等の再生能力を持っている。人間のみならず、魔物までも……となると、なんらかのスキルのバフ効果だと考えるのが、妥当ですな。これは無視出来ない」


「だったら、どうした!?」


 ニュートは僅かに回復した魔力を使って、至近距離から【氷塊弾】を放つ。

 しかし、強烈な空気抵抗によって阻まれ、セバスの身体に着弾する前に、その勢いは失われた。


「教えていただきたい。埒外なバフ効果をばら撒ける者が、一体どこの誰なのか……」


 ニュートは仲間を売ったりしない。

 そんなこと、彼の目を見れば分かった。


 ──だから、口を噤んだ彼の代わりに、私が答える。


「私ですよ。そのバフ効果は、私の支援スキルによるものです」


 私の手元にいるスラ丸一号と、フィオナちゃんが守ってくれたスラ丸三号。

 その間に【転移門】を繋いで、私はセバスと対峙する。

 ティラが即座に、みんなの気配を感じ取って、誰も死んでいないことを教えてくれた。


「貴様は……確か、アーシャとかいう溝鼠……」


「鼠なのは、貴方ですよね? コソコソと裏で動いて──いえ、そんなこと、もうどうでもいいです。ニュートから手を放して、どこかへ消えてください。そして、二度と私たちの前に現れないで」


「難しい注文ですなぁ。貴様らは、わたくしめの嘗ての計画を台無しにした、憎き溝鼠だ。このまま見逃すというのは、どうにも納得し難い」


 セバスは私を威圧するように、風属性の魔力を漲らせた。

 以前とは比べ物にならない、暴風みたいな魔力だよ。

 セバスを畏れるように大気が震えて、天候が悪化し、雨風が私の身体を打つ。


 ……どう見ても、彼の魔力欠乏症は治っている。

 つまり、私の目の前にいるのは、正真正銘の英雄なんだ。

 

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