第231話 禁忌

 

 ──薄暗い地下室にて、イヴァンさんは椅子に拘束されていた。

 ノワールは彼の目の前で、一冊の手帳を読みながら、滔々と話し始める。


「これは、禁忌の聖女の日記帳です。サウスモニカ侯爵が所有していた代物で、当方は前々からこれを欲していました。長らく交渉を続けた甲斐があって、つい先日に、ようやく取引が叶ったのです」


「に、っき……? 俺は、立派ナ、人間に……」


「侯爵が欲するマジックアイテム。それを当方が入手出来たのは、本当に運がよかった。あの指輪がなければ、侯爵はこの日記帳を手放さなかったでしょう」


 ノワール曰く、『禁忌の聖女』とは、アクアヘイム王国で祭り上げられた三人の聖女のうちの一人らしい。

 初代聖女は『建国の聖女』、二代目の聖女は『魔導の聖女』と呼ばれていた。


 そして、三代目の聖女として登場したのが、禁忌の聖女。

 彼女は、倫理観が欠如している生粋の研究者だった。

 人類に超常の力を齎す職業、レベル、スキルとは何か──神秘の研究に心血を注いで、悍ましい人体実験を幾度となく繰り返し、最期は最高傑作である実の娘の手によって討伐された。


 禁忌の聖女の研究資料。その価値は、ノワールからすれば計り知れないものだ。

 彼女の種族は、大昔から他の人類種に迫害されているダークエルフ。

 迫害の主な理由は、『忌み嫌われる職業しか選べないから』というもの。


 禁忌の聖女の研究資料があれば、ダークエルフを苛んでいる職業制限を取り払い、迫害の理由をなくせるかもしれない。


「──当方は、そう考えていました。しかし、研究資料は前国王によって燃やされており、当方が発見に至ったのは、この日記帳のみ……」

 

「あ、う……あ、ハ、やく……お、俺を立派ナ、人間に……」


 イヴァンさんは朦朧とする意識の中で、早く望みを叶えろとノワールを急かした。

 彼女はそれを無視して、尚も滔々と語り続ける。


「ただの日記帳であっても、研究の手掛かりがあるかもしれない。そう期待していましたが……ええ、期待通りでした。これは、暗号化された研究資料の一部です」


「ハ、やく、はやク……!! 俺っ、マリアセンセ……!! 立派ナ……ッ!!」


 薬の禁断症状に苦しむイヴァンさんは、呼吸が乱れてガクガクと痙攣している。

 ノワールはそんな彼に鎮静剤を打ち込んで、髪を丁寧に剃り始めた。


「イヴァンさん。職業、レベル、スキルと言った神秘は、人体のどこに宿っているとお考えですか?」


「わ、ワか、らナい……っ!! はやクぅ、しろぉ……ッ!!」


「ええ、分からない。それは当方も同じです。禁忌の聖女は、その謎を探っていました」


 ノワールは禁忌の聖女の日記帳──もとい、研究資料を解読しながら、一つずつ内容を読み上げていく。


 爪を剥がせば、神秘は消えるのか? 否。


 目玉をくり抜けば、神秘は消えるのか? 否。


 鼻と耳を削ぎ落せば、神秘は消えるのか? 否。


 舌と歯を引き抜けば、指を切り落とせば、手足を切り落とせば、肉を削ぎ落せば、骨を抜き取れば、血を抜き取れば、内臓を抜き取れば──神秘は、消えるのか? 否。否。否。


「──こうして、脳以外の部分を取り除いても、生きてさえいれば、職業も、レベルも、スキルも、消えないことが判明しました」


 禁忌の聖女の悍ましい人体実験。ノワールはこれに対して、純粋な感心を寄せながら、手術用の道具を手に取った。


「必然的に、神秘は脳味噌に宿っていると、結論付けられました。次に、脳のどの部分にスキルが宿っているのか、禁忌の聖女は徹底的に調べ尽くしたそうです」


 ノワールはそう語りながら、イヴァンさんに幾つかの薬品を投与して、彼の頭皮と頭頂骨を慎重に取り除いていく。


「しかし、分からなかった。分からないことが分かった。彼女はすぐに、次の研究を始めました」


 ノワールのもとに、巨漢のゾンビがやってくる。

 そのゾンビの手には、椅子に縛り付けられた人間の姿があった。

 イヴァンさんと似たような境遇の男性で、まだ生きている。

 彼の表情は恐怖で歪んでいるけど、猿轡を噛まされているので、泣き言も命乞いも口には出せない。


「新たな研究の内容。それは、生きている人間の脳味噌を複合させれば、スキルが増やせるのではないか、というものです」


「フーッ、フーッ、お、俺ハ、立派ナ……っ、立派ニ……!!」


 ノワールがこれからやろうとしていることを察して、イヴァンさんは大いに興奮した。

 恐怖か、歓喜か、それとも薬の作用か、それは当人にも分からない。

 なんにしても、正気ではいられなかった。


「聖女は強力な回復系のスキルを持っていたようですが、残念ながら当方にはありません。しかし、ご安心ください。良質な中級ポーションを大量に用意してありますので」


「俺ハ、立派ナ、人間ニ……なるッ!!」


「当方は断言します。スキルを沢山持っている人間は、立派ですよ。イヴァンさん、貴方は立派な人間になれるのです」


 ノワールは禁忌の聖女の研究資料を頼りに、イヴァンさんの脳味噌に他人の脳味噌を繋ぎ合わせていく。

 彼は恍惚とした表情を浮かべながら、ノワールに心底感謝した。


「アァ……アァアアァア……ッ!! ア、リガ、トウ……!!」


「どう致しまして。喜んでいただけると、当方としても商人冥利に尽きます」


 脳味噌を複合させて、経過観察。適応。イヴァンさんのスキルが一つ増えた。

 脳味噌を複合させて、経過観察。拒否反応。すぐに摘出して、事なきを得る。

 脳味噌を複合させて、経過観察。適応。イヴァンさんのスキルが二つ増えた。

 脳味噌を複合させて、経過観察。失敗。イヴァンさんの知力が低下した。

 脳味噌を複合させて、経過観察。適応。脳味噌が重たくなったことで、イヴァンさんの運動能力が低下した。


 ノワールはイヴァンさんの肉体に、他人の肉体を複合させて、強靭な身体を作り上げる。

 そうして、順調に月日が流れ──ある日、一人の犯罪奴隷が連れて来られた。


「すみません、イヴァンさん。今日は粗悪な素材しか手に入りませんでした」


 素材扱いされた犯罪奴隷は、まだ八歳くらいの子供だった。

 傷んで縮れている金髪と、鼻の辺りにあるそばかすが特徴的な、女の子。

 私は知っている。彼女の名前は──エンヴィ。


「や、やだ……っ!! いやだ!! ウチになにする気!? この化け物はなに!?」


「化け物とは失礼ですね。当方は訂正を求めます。彼は立派な人間、イヴァンさんですよ」


 エンヴィは必死に暴れるも、椅子に括りつけられた身体は思い通りに動かない。

 そんな彼女に、ノワールは淡々と文句を言いながら、手術用の道具を手に取った。



 脳味噌を複合させて、経過観察。適応。イヴァンさんのスキルが二つ増えた。



 ──しばらくして、セバスがノワールの研究室を訪れる。

 彼は変わり果てたイヴァンさんの姿を眺めて、顔を顰めながらノワールに問う。


「同志ノワール、この悍ましい魔物はなんだ?」


「当方は同志ではありません。それと、彼は魔物ではなく、歴とした人間ですよ。沢山のスキルを持つ立派な人間、イヴァンさんです」


 ノワールは声色に自慢げな雰囲気を乗せて、イヴァンさんのことを事務的な口調で説明した。

 一通り聞き終えたセバスは、独り言を呟いてから、ノワールに再度問い掛ける。


「リリアと似たようなモノか……。それで、私にコレをどうしろと?」


「お好きなように使ってください。アムネジアが当方に対して、セバスさんに力を貸すよう要請してきたので、当方は貴方にイヴァンさんを貸し出そうと決めた次第です」


「戦力にはなりそうだが、知性に期待出来ないのが難点か……。この者を壊すのは不味いのか?」


 大事な研究材料を失うのは、ノワールにとって大きな痛手だった。

 彼女は人攫いなど行わず、商人としての取引によってのみ、人間という名のモルモットを集めている。

 そのため、モルモットは簡単には用意出来ない。


「壊さないに越したことはありません。ですが、例え壊したとしても、アムネジアに弁償させるので、セバスさんはお気になさらず」


「そうか……。活動資金がこれ以上減ると、同志アムネジアが病むかもしれないな……。気を付けよう」


 イヴァンさんは脳味噌を弄られたことで、命令を熟すだけの人形に成り下がっている。

 こうして、彼は王国東部で暗躍するセバスの駒となり、黎明の牙の戦力を分散させるために使われた。

 

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