第226話 ルーザー子爵

 

 深夜になってから、スラ丸の分身は暗闇に乗じて、静かに動き始めた。

 探索するのは、ルーザー子爵のお屋敷の中だよ。

 私は聖女の箱庭から、スキル【感覚共有】+【過去視】の複合技を使う。過去の出来事を覗き見することで、情報を集めるんだ。


 ──しばらく経っても、重要そうな場面は、一つも見当たらない。

 ルーザー子爵が使用人にパワハラしたり、セクハラしたり、彼の評価を下げるような場面ばかりが見えているよ。


 重要なやり取りは、ルーザー子爵の自室兼執務室で行われているらしいので、そこへ行くしかないかも……。

 なんなら、分身スライムを犠牲にしても構わないので、彼と目を合わせたい。


 そんな訳で、分身スライムは暗い廊下を進んで、子爵の部屋へと向かった。

 すると、寝惚け眼を擦っている兵士を発見。大きなあくびも目立つし、全然やる気がなさそう。


 ただ、そんな兵士でも、夜間に徘徊している不審なスライムを見つけたら、黙ってはいないと思う。

 子爵の部屋は、その兵士が立っている扉の先にあるので、どうにかして退かしたい。


「スラ丸、ちょっと大きめの物音を立てたら、誘き寄せられないかな?」


 私がスラ丸に意見を出すと、分身スライムはすぐに実行してくれた。

 壁に掛かっている安っぽい絵。これに体当たりして、ゴトッと物音を響かせる。


「ん……? なんだ……?」


 兵士はハッとなって、思惑通り確認に来てくれたよ。

 分身スライムは天井を這うことで、兵士と入れ違いになり、部屋の扉の前に到着した。

 ドアノブに張り付き、今度は物音を立てないよう、慎重に回す。

 そうして、少しだけ扉を開けたところで、ぬるっと中に侵入した。


 過去の光景で見たルーザー子爵は、やや肥満気味の中年男性で、チョビ髭と河童みたいな髪型が特徴的な人物だ。

 その特徴と一致する人が、室内で荒ぶっている。彼がルーザー子爵で間違いない。


「このっ、下民風情がッ!! どうして、まともに税を納められんのだ!? このっ、このっ、身の程を弁えろッ!! ワシに逆らう愚か者のグズどもがッ!! なんとか言ったらどうなんだ!?」


 彼はベッドの上で、女性に暴行を加えている。二人とも裸で、目を覆いたくなるような光景だよ。

 帝国で情報収集をしている間も、こういう最低な貴族の噂は、沢山耳にした。

 だから、私の動揺は小さい。勿論、被害者の女性を哀れに思う気持ちは、際限なく湧いてくるけどね。


「ゆ、ゆるし、て……」


「馬鹿がッ!! 『お許しください』だろうがッ!! 下民は口の利き方も知らんのか!? どこまでワシを苛立たせれば気が済むんだッ!?」


 言葉遣いなんて些細なことで、ルーザー子爵は顔を真っ赤にして怒り狂い、更に苛烈な暴行を加えた。

 女性はぐったりしながら、助けを求めている。そのとき、分身スライムと目が合ったので、私は反射的に【過去視】を使ったよ。



 ──女性はルーザー子爵領の村人で、増税に次ぐ増税で支払えなくなった年貢の代わりに、自分の身柄を徴発されてしまった。

 穀倉地帯の豊かな農村で、極めて平凡な家庭の長女として生まれ育ち、幼馴染との結婚まで決まっていたのに、今ではこの有様……。

 私は自分にスキル【微風】を使って、感情を抑制する。


 他人の過去を覗き見した際の、『極度の感情移入』というデメリット。これは既に克服しているので、激情に駆られるようなことはない。

 感情が薄い生物の過去を覗き見しまくって、特訓した甲斐があったよ。


 被害者の女性を助けてあげたいけど、私は体制側と表立って敵対したくない。

 黎明の牙の仲間たちが、体制側と揉めるようなことがあれば、表立って敵対することも視野に入れる。けど、赤の他人のためにそこまで出来るほど、私は善良じゃないんだ。


「ごめんなさい……。スラ丸、子爵と目を合わせて」


 安全圏に身を置いている私の、決して届かない謝罪は、自分の心を少しでも軽くするためのもの。そう自覚しながら、スラ丸に指示を出した。

 分身スライムはルーザー子爵の気を引くように、背後でポヨンポヨンと飛び跳ねる。

 彼が振り向いたところで、目と目を合わせ、私は遠慮なく過去を覗き見した。



 ──ルーザー子爵の人生は、虚栄心に満ちたものだった。

 王侯貴族の中では爵位が低い方だから、上位貴族のような贅沢三昧は出来ない。

 領地はアクアヘイム王国の東部に位置しており、未開拓の魔境に隣接している片田舎だ。


 曲がりなりにも穀倉地帯の一角なので、食糧の生産量はそれなりだけど、如何せん領地が狭い。

 ダンジョンもなければ特産品もないので、見所らしい見所は殆どなかった。

 強いて言えば、山や森が少ない領地に、薪を売れるのが強みかな。


 こんな土地の領主一族だと、嫁探しにも苦労する。

 田舎者で、お金もない子爵家。そんなところに嫁ぎたいご令嬢なんて、そう簡単には見つからないみたい。

 ルーザー子爵が昔から好意を寄せていた令嬢は、上位貴族に掠め取られていた。


 誰にも重要視されず、誰にも褒められず、誰にも認められない。

 それが悔しくて、虚ろな心を埋めるために、出来るだけ贅沢な暮らしがしたい。

 そういう心情で、子爵は幾度となく、民から搾り取ろうとしていた。


 しかし、民の暮らしに多少は理解のある父親が、長らく存命であったため、そんなことは許されなかった。

 ルーザー子爵に人生の転機が訪れたのは、先の帝国との戦争で、父親が討ち死にしてからのこと。

 子爵が家督を継いだ直後、『セバス』と名乗る隻腕の商人が現れて、こう言った。


「ルーザー閣下、御身は子爵程度で収まるような器では御座いません。是非、我が財産を献上させてくださいませ」


「おおっ!! 下民の分際で、なんと殊勝なことか!!」


「これこそが、下々の民である我らの在り方に御座います。無知蒙昧な我々は、ただお貴族様に尽くすのみでありますれば」


 ルーザー子爵はセバスの言葉に甚く感激して、彼から貰った財産で贅沢三昧を行うようになった。

 一度上げた生活水準は、元に戻すのが難しい。元々、虚栄心に満ちていたルーザー子爵であれば、猶更だ。

 贅沢をすれば、必然的にお金は目減りしていく。セバスから譲られた財産がなくなっても、贅沢の味は忘れられない。


「もっとだ、もっと贅沢がしたい……ッ!! ワシは貴族なんだぞ!? 贅沢をしなければ……っ、もっともっと、華やかな暮らしをしなければならんッ!!」


 そこで思い至ったのが、増税。

 新国王のアインスも増税を行ったので、民は二重の苦しみを味わうことになる。

 当たり前のように、年貢を納めることが出来ない村が増えて、お金は思うように集まらない。


 それどころか、王国東部では盗賊が大発生しており、例年より税収が激減していた。

 多少の知恵を持つ為政者であれば、問題を取り除くとか、復興事業を行うとか、そういう対処を考える。だが、ルーザー子爵は違った。


「クソっ!! 税収が減ったのなら、もっと厳しく取り立てねばならんな!!」


「し、子爵様っ、これ以上の取り立ては不可能です! それよりも、盗賊をどうにかするのが先決かと……!!」


「黙れぇい!! ワシに口答えする馬鹿は全員死刑だッ!!」


 ルーザー子爵の愚かな考えに、何人かの文官や騎士が反発したけど、軒並み殺されてしまった。

 こうして、子爵家には性悪な役人と、素行の悪い兵士たちだけが残り、年貢の激しい取り立てが始まる。

 そして──ある日、役人と兵士たちの消息が、突然途絶えた。私たちが盆地の村で殺した連中だね。


「何故だ!? 何故こうも上手くいかない!? 何故もっとワシに尽くさない!? 無知蒙昧な愚民どもがッ!! 貴様らは貴族に尽くすのが当たり前だろう!?」


 役人や兵士たちが年貢を持ち逃げしたと、ルーザー子爵は考えたみたい。

 徹頭徹尾、民を見下しているから、村人に殺されたとは思わなかったんだ。


 彼は平民に怒りをぶつけるべく、村から若い女性を何人も徴発して、暴力を振るう。

 そんな日々を過ごしていると、彼の前に再びセバスが姿を現して、余計なことを吹き込む。


「全ての村で、ルーザー閣下の家畜である下民どもが、反旗を翻そうとしております」


 その言葉を聞いて、ルーザー子爵は怒髪天を衝く勢いで怒り狂い、近日中に出兵することを決めた。決意の日の夜が、今現在だよ。

 私は【過去視】を切って、意識を現在に向ける。


 お楽しみを邪魔されたルーザー子爵は、分身スライムを蹴飛ばした。

 ダメージを受けて分身が消滅したので、私は【感覚共有】も切る。

 近日中にルーザー子爵が動くという、重大な情報が手に入った。けど、そんなことよりも、私にとってはセバスの存在の方が重大だ。


「セバスって、あのセバス……だよね……?」


 スラ丸がポヨンと飛び跳ねて、私の呟きを肯定する。

 セバスとは、元宮廷魔導士という肩書を持つ初老の男性で、嘗てはサウスモニカ侯爵家に執事として潜入し、街に途轍もない大混乱を齎した人物だよ。


 処刑されたって聞いたのに、生きていたんだ……。

 隻腕になっていたけど、気力は充実しているように見えた。

 とりあえず、セバスがやったことを纏めてみよう。


 『ルーザー子爵に贅沢を覚えさせた』

 『平民の間違った在り方を説いた』

 『領内の村が反乱を起こそうとしていると伝えた』


 この三つに、一体どういう意図があるのか、皆目見当も付かない。

 セバスは商人になっていたけど、そう装っているだけかもしれないし……。


 昔の彼は、英雄と呼ばれるほど凄まじい人物だった。

 しかし、十年以上前に勃発した帝国との戦争で、魂を消耗する大魔法を使い、魔力欠乏症に陥っている。

 サウスモニカ侯爵家での暗躍は、自分の魂を回復させることが目的だったので、今回の目的も同様のものかな?


 私の手元には青色の上級ポーションがあって、聖女の箱庭には魂を徐々に回復させる地形効果がある。

 これを交渉材料にすれば、セバスの暗躍を阻止出来るかもしれない。


「……冷静に考えて、ナシだよね」


 彼が自分の魂を回復させたい理由は、アクアヘイム王国に復讐することだもの。

 私は復讐の片棒なんて、担ぎたくない。

 ルーザー子爵の出兵と、セバスの暗躍……。どちらも早急に、みんなに知らせないと。

 

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