第223話 羊の魔物
レッサーバフォメットが動く前に、スイミィちゃんは先制攻撃を仕掛けようとした。
けど、すぐに思い止まって、魔力を萎ませる。
「……はんばーぐ、後ろにいる。……あぶない」
敵の背後には、ラムがいるんだ。スイミィちゃんの攻撃が回避されると、ラムに当たってしまう。
私はラムを召喚することで射線から退かすべく、硝子のペンで魔法陣を描く。
しかし、召喚前にレッサーバフォメットが動き出した。
黒い瞳に敵意を滲ませながら、奴は私たちに襲い掛かる。
「魔法には絶対に当たらないで!! とっても危ないから!!」
私の警告と同時に、敵は手のひらから、拳大の黒い弾を撃ち出した。
十中八九、これが【暗黒弾】だね。狙われたのはシュヴァインくんで、スイミィちゃんが透かさず【水壁】を使う。
魔導書によって強化されているから、縦横の幅も厚みも相当なものだ。
「す、スイミィちゃん……!! ありがとう……!!」
【暗黒弾】は【水壁】に弾かれて、呆気なく霧散したよ。
これを防げるなら、私の従魔たちの出番はなさそうだし、レッサーバフォメットには二人の経験値になって貰おう。
シュヴァインくんは水の壁が下りるのと同時に、全速力で駆け出す。
レッサーバフォメットが剛腕を振り回したけど、シュヴァインくんはスキルも使わずに容易く往なして、そのままシールドバッシュで吹き飛ばした。
ラムを私の隣に召喚出来たし、敵は態勢を崩して隙だらけだ。
「……羊の魔物、はんばーぐにする」
スイミィちゃんが【冷水連弾】を使って、レッサーバフォメットに集中砲火を浴びせた。
これまた魔導書で強化されているので、その威力は水の弾とは思えないほど強力だよ。
敵は瞬く間に拉げて──数十秒後、ミンチ肉が完成したところで、シュヴァインくんがおずおずと口を開く。
「す、スイミィちゃん……。まさか、羊の魔物、食べるの……?」
「……ん、食べる。シュヴァイン、食べない?」
「ぼ、ボクはちょっと……あんまり、美味しそうじゃないし……」
頭は羊だけど、身体は半人半獣。しかも、悪魔っぽかった。そんな魔物を食べるのは、私もご遠慮したい。
「スイミィちゃん、考え直そう? 病気になっちゃうかもしれないよ?」
「……スイ、食べたい。……姉さま、おねがい」
スイミィちゃんに思い止まって貰うよう、私が説得していると──ミンチ肉が、ドロップアイテムに置き換わった。
血が滴る子羊の霜降り肉、ピンポン玉サイズの闇の魔石、少しボロっちい羊皮紙。以上の三点だよ。
「うわぁ……。このお肉、食べたら呪われそう……。あっ、羊皮紙は便利かも……」
ステホで撮影してみると、お肉と羊皮紙の詳細が判明した。
前者に関しては、生でも焼いても美味しい特上のお肉で、悪魔召喚の儀式に使えるらしい。
ご丁寧に、アイテムの説明文のところには、儀式の方法まで書いてある。
悪魔なんて、絶対に召喚しないよ。
ティラが私の影の中から顔を覗かせて、お肉を食べたそうにしているけど、許可を出す勇気はない。スイミィちゃんも、これは流石に食べないでね。
羊皮紙はレアドロップで、正式なアイテム名は『低品質な契約の羊皮紙』だった。
その効果は、この紙を使ってなんらかの契約を結ぶと、それを破った対象の魂に、ダメージを与えるというもの。
絶対に破れない契約、という訳じゃない。でも、他人と大事な約束をするときに、使える代物だと思う。
レッサーバフォメットは危ない魔物だったけど、大して強くはない。
これからもラムに生成して貰って、羊皮紙を集めておこう。
私がラムを労いながら、そんなことを考えていると──スイミィちゃんが羊皮紙を手に取り、懐から取り出した羽ペンで、勝手に何かを書き始めた。
「……シュヴァイン。スイと、けいやくする」
「えっ、ど、どんな……?」
「……いつか、スイのこと、お嫁さんにする」
「ッ!? わ、分かった……!! ボクっ、誓うよ……!!」
契約の羊皮紙に書かれた内容は、『いつか、スイミィをお嫁さんにすることを誓う』というもの。
シュヴァインくんはカッと目を見開いて、私が止める間もなく自分の親指を噛み、軽く流した血で署名したよ。
ど、どうしよう、私がフィオナちゃんに怒られる……!?
いや、いやいや、見なかったことにしよう。私は何も知らない、何も見ていないんだ。
私とラムのスキルを合わせた検証が終わり、私は今度こそ就寝することにした。
朝食は、普通の羊のお肉でハンバーグを作ろう。
後日、村人たちにもハンバーグの作り方を伝授して、これをパンで挟むという発想も教えてあげた。ハンバーガー、美味しいよね。
ここから先の創意工夫は、各々に任せる。豊かな人生に、娯楽は必要不可欠なので、独自の食文化を発展させて貰いたい。
──夏の暑さに苛まれながら、忙しなく日々が経過していく。
そうして、難民を迎え入れた日から、早くも一週間が経過した。
予定通り、私が開拓した盆地に、村を移転させたよ。
働き盛りの大工さんたちが、ポンポン家を建ててくれたので、大助かりだった。
みんな、畑仕事に勤しんだり、羊狩りを行ったり、人型壁師匠を相手に鍛錬を積んだりと、新しい生活に馴染んでいる。
欲望の坩堝が近いから、私が何かしなくても、村人が飢える心配はない。
早朝、私が村の練習場に赴くと、村人同士で対人戦の訓練が行われていた。
人型壁師匠は物凄く便利だけど、私のスキルだから他者に攻撃出来ない。
そんな訳で、本格的な模擬戦がやりたいなら、村人同士で戦って貰うしかないんだ。
「模擬戦を始めっぺ!! 幾らでも怪我して構わねぇべさ!! オイラたちには、聖女様が付いているかんな!!」
「「「応っ!!」」」
戦闘員の纏め役になったのは、そら豆頭のビーンさん。彼の掛け声を皮切りに、村人たちは武器を激しくぶつけ合う。
彼らが使う武器は、剣、鎚、槍、盾、弓の五つ。剣少なめ、槍多めだよ。
模擬戦では木製の武器を使うけど、実戦では鉄製の武器を使って貰う。
とは言え、肝心の鉄製の装備は、まだ全然集まっていない。
ゾンビファーザーを召喚出来るだけのエネルギーが、溜まっていないからね。
一応、聖女の箱庭の中に、第二階層『黄昏の荒野』を追加するところまでは、進んでいる。
あんまり広くは出来なかったけど、ゾンビファーザーは一匹で十分なので、第一階層の半分もあれば問題ない。
エネルギーの溜まり具合は、順調と言えば順調かな。
トールたちのダンジョン探索は、残念ながら停滞している。
欲望の坩堝の第三階層で、頑張っているみたいだけど……下層へと続く階段が、見つかっていないんだ。
淫魔はレベル30までが適正の魔物らしいので、下層へ行かないとトールたちのレベル上げは捗らない。
「うーん……。地図はもう埋まっているから、後は隠し部屋を探すとか……?」
私は第三階層の地図と睨めっこしながら、隠し部屋がありそうな空白の場所に、目印を付けていく。
この地図はニュートが描いたもので、探索のヒントが欲しいからと、私に預けられたんだ。
──あ、そうそう。私の身近で停滞していることが、もう一つあった。
村の今後の方針も、決まらないまま停滞しているよ。
難民を保護した翌日に、五つの選択肢からどれを選ぶか、村人たちの話し合いが行われた。その結果、意見が大きく割れている。
その一、新しい勢力として独立し、アクアヘイム王国と戦うこと。
これは流石に、誰も支持しなかった。そこまで向こう見ずな人は、子供の中にもいない。
そのニ、伯爵か侯爵と対話して、和解すること。
これは村長さんを含め、お年寄りの支持者が多い。
ルーザー子爵はダメダメだけど、その上までダメだと決まった訳じゃないからね。
その三、革命軍に合流すること。
腕っぷしに自信がある若者を中心に、これを支持している人が一定数いる。
彼らは重税が原因で、王国に愛想を尽かしているから、打倒出来るならしたいと考えているみたい。
その四、王国を捨てて、新天地を目指すこと。
村の子供たちは、『新天地』という言葉の響きに瞳を輝かせて、これを支持していた。
でも、大人たちは移民の大変さを想像して、誰も支持しなかったよ。
その五、聖女の箱庭の中で暮らすこと。
ビーンさんを筆頭に、私のことを聖女扱いする人たちは、これを支持していた。
信者になった人たちは、私が一声掛けるだけで喜びの感情を爆発させるので、箱庭に移住してくれたら感情エネルギーを溜め放題だよ。
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