第196話 堕ちた聖女

 

 ──ニラーシャとシェイドが冒険者になってから、四年後。

 ニ十歳になったニラーシャは、美しさに磨きが掛かり、知名度がどんどん増していった。

 そして、不幸なことに、最高権力者である皇帝の目に留まってしまう。


「美しき聖女よ、其方を余の妃にしてやろう。まさか、断ったりはするまい?」


「お断りです!! 私はシェイドと結婚するので!!」


 ニラーシャは即座に拒絶して、皇帝の面子に泥を塗った。

 これに激怒した皇帝は、ニラーシャとシェイドに不敬罪を押し付けて、処刑しようとする。


 当然、二人が黙って受け入れるはずもなく、長い逃避行が始まった。

 皇帝の執念は凄まじいもので、どこへ逃げても追っ手が差し向けられたが、ニラーシャは伊達に聖女をやっていない。


 行く先々で、困っている人たちを助け、回復魔法を無償でばら撒いていたので、彼女に味方する者が後を絶たなかったのだ。

 いつの間にか、聖女を守ろうという団体が現れて、ニラーシャの与り知らぬところで、帝国に反旗を翻した。


 皇帝の治世に不満を抱いていた人々が、これに便乗して、反乱の規模は加速度的に大きくなり──あれよあれよという間に、ニラーシャは神輿にされてしまう。


「ニラーシャ、これからどうする? なんか、物凄い数の味方が集まったけど……」


 事が大きくなりすぎて、腰が引けているシェイドに、ニラーシャはにんまりと笑顔を向けた。

 それから、渇きの短剣を掲げて、堂々と宣言する。


「こうなったら、行けるところまで行くよ!! 私たちで、新しい国を建てるの!!」


 この宣言を聞いて、数万人の信者たちが大歓声を上げた。

 熱に浮かされている彼らを眺めながら、シェイドだけは冷静に物事を考える。


「場所によっては、帝国に呆気なく潰されそうだな……。オレとしては、南で建国するのがお勧めだぞ」


「うんっ、そうしよう! 帝国南部の湿地帯! あの美しい土地を切り取って、私のものにするの!」


 そこは帝国の要衝ではないので、守りが手薄になっている。

 湿地帯であるが故に、攻められ難い土地なので、自分たちが奪った後に守りを固めれば、帝国軍も簡単には手を出せない。

 大陸の東、西、北には、帝国に敵対する勢力が存在するので、自分たちが南側に建国すれば、帝国は四方に戦線を抱えることになる。

 諸々の事情を加味して、シェイドは建国及び国家の維持が、可能だと判断した。


「うしっ! それじゃあ、やってみるか!!」


 この時点で、シェイドは若くして金級冒険者になっており、剣術では右に出る者がいないとまで讃えられていた。

 どんな困難にでも、聖女を守りながら勇敢に立ち向かっていくことから、彼には『勇者』という二つ名が付けられている。



 ──凡そ二年後、ニラーシャは帝国南部を切り取ることに成功して、アクアヘイム王国の樹立を宣言した。

 帝国は二十万人という規模の大軍勢を送り込んで、即座に王国を滅ぼそうとしたが、ニラーシャは勇者を選定するスキル【聖戦】によって、帝国軍を撃退。


 シェイドは名実ともに勇者となり、ニラーシャと結婚して、アクアヘイム王国の初代国王になった。

 ちなみに、ニラーシャが選定した勇者には、『肉片が一つでも残っていれば、瞬く間に再生する』という、恐ろしい力が備わっていた。


 こうして、聖女と勇者は国民に祝福されて、子宝にも恵まれ、ハッピーエンドで物語の第一幕を閉じる。



 ──第二幕の始まりは、建国から十五年後。

 ニラーシャとシェイドが三十代後半になり、一人娘は十代半ばになっていた。

 娘の名前はモニカで、母親譲りの美しさを持つ可憐な少女だ。


 ある日、お城の中で、シェイドが政務に励んでいると、彼の執務室にモニカが飛び込んできた。


「お父様っ、大変です!! お母様の部屋が、大変なことに……ッ!!」


 シェイドは弾かれたように立ち上がり、全速力でニラーシャのもとへ向かう。

 そして、彼女の部屋に到着すると、室内は嵐でも発生したのではないかと思えるほど、荒れ果てていた。


「ニラーシャっ、どうした!? 何があった!?」


 ニラーシャは部屋の真ん中で、床に落とした鏡を執拗に割っている。

 シェイドが慌てて駆け寄り、事情を尋ねると、彼女は涙を零しながら口を開く。


「皺が、出来たの……。私の……っ、目尻に、小さな皺が……」


「は……? あ、ああ、皺か……。まぁ、オレたちも年を取ったからな。皺の一つや二つ、出来るものだ」


 ニラーシャの目尻をよく見ると、確かに小さな皺が出来ている。

 ただ、それでも彼女は美しいままだと、シェイドは心の中で惚気た。


 この後、事情を聴いてみると──賊が入り込んだ訳ではなく、ニラーシャが鏡を見て小皺を発見し、それがショックで暴れてしまったらしい。

 このときのニラーシャは、スキル【信仰布武】を取得しており、多くの信仰心を集めていたため、高レベルの戦士を凌ぐ身体能力を持っていた。


「シェイドっ、私は赤色の上級ポーションが欲しいわ!! 軍を動かして、ダンジョンに挑んでよ!!」


「いや、それは無理だ。帝国軍がいつ攻めてくるか分からないし、今は戦力を減らせる時期じゃない」


 シェイドは申し訳なさそうに、ニラーシャの要求を突っ撥ねた。

 背負うものが少なかった冒険者の頃なら、気軽に宝探しを行えたが、今のシェイドは一国一城の主だ。とてもではないが、国家を危険には晒せない。


「シェイド!! 貴方は私の美しさが損なわれても……っ、いいって言うの!?」


「何を言っているんだ。ニラーシャは今でも、十分に美しいだろう?」


「私も貴方もっ、これからどんどん老いるのよ!? そうして、美しさが陰っていくの……っ!! 嗚呼っ、そんなの嫌ぁ……っ!!」


 どんなときでも溌剌としていたニラーシャの、絶望に満ちた表情。

 それを見て、いよいよ彼女の精神状態がおかしいと、シェイドは気が付いた。


 年を取ると、女性はこうなるものなのだろうか?

 よく分からないが、今は寄り添って励ますべきだ。

 そう考えて、彼は政務の時間を減らし、ニラーシャの傍にいる時間を増やした。



 ──しかし、それから半年後。事件が起こってしまう。

 ニラーシャが娘のモニカに、鬼のような形相で斬り掛かったのだ。その手には、渇きの短剣が握られていた。


「寄こせぇッ!! お前の若さを寄こせええええぇぇぇッ!! 私が産んでやったんだ!! お前は……っ、お前の若さは私のものだッ!!」


「お、お母様……っ、正気にお戻りください……!!」


 護衛の騎士が庇ったことで、モニカは難を逃れたが、高レベルの騎士が何人も殺される事態に発展してしまう。

 最後はシェイドが取り押さえたが、ニラーシャは正気を失ったままだ。


「ニラーシャっ、一体どうしてしまったんだ!? お前はこんなことをする人間じゃなかっただろう!?」


「煩い煩い煩いっ!! 駄目なのっ!! 耐えられないのっ!! 醜くなるのは嫌ぁ!! 美しくないといけないの!! 美しいものだけが欲しいの!! 嗚呼っ、ああああああああああああああああああっ!!」


 発狂するニラーシャを多くの僧侶や薬師に診せたが、精神に異常を来している原因は不明だった。

 このままでは、モニカの身が危険なので、シェイドはニラーシャを幽閉することにした。


 とは言え、牢屋に入れる訳ではない。お城の近くに、美しい白亜の塔を立てて、その中で優雅に暮らして貰う。

 最上階の部屋からは、王都の街並みを一望出来るので、その絶景がニラーシャの心を癒してくれるはず……。

 そうであって欲しいと、シェイドは切実に願っていた。



 ──半年も経たない内に、聖女を信仰する教会の関係者が、盛大に騒ぎ始める。


「貴様ぁ!! 聖女様を幽閉するとは何事だ!? 国王と言えど、貴様なんぞ聖女様の付属品に過ぎん!! それを忘れるとは……っ、この匹夫めぇ!!」


 聖女の狂信者である教皇が、口汚くシェイドを罵った。

 不敬罪で彼を罰するのは簡単だが、それをすれば国が割れる。

 教会の影響力は、大きくなり過ぎていたのだ。


「教皇よ、オレにどうして欲しいんだ……? オレは、どうすればいい?」


「聖女様は教会にお越しいただく!! 貴様のもとになんぞっ、置いておけるか!!」


「…………分かった。ニラーシャのことをよろしく頼む」


 国を割ることは、出来ない。シェイドは妻を愛する一人の夫ではなく、国王としての決断を下した。

 この決断を後悔するのは、それから三年後のことだ。


 ──教会に引き取られたニラーシャは、手始めに大量の信者たちを使って、ダンジョンの攻略を始めた。言うまでもなく、赤色の上級ポーションを欲してのことだ。

 それから、若いシスターたちを殺して、その血を浴びることが日課になった。


「せ、聖女様……っ、お許しください……!! どうかっ、どうか何卒……っ!!」


「若い子の血を浴びると、少しだけ若さを取り戻せるの……。貴方は私の美しさの、糧になれるのよ。ほら、嬉しいでしょう?」


「いやぁ……っ、いやああああああああああああああああああっ!!」


 大聖堂の地下では、若いシスターの悲鳴が、毎日のように響き渡る。

 教皇は聖女の願いであれば、全て正しいと盲信して、ニラーシャの願いを叶え続け、数多の信者の屍を積み重ねていく。

 不健全な教会の腐敗は、あっという間に進行して、司教たちは私腹を肥やすことに夢中になった。


 そんな日々が続けば、必然的に若いシスターがいなくなる。

 それでも、若い血を欲したニラーシャは、国中から若者を攫い始めた。

 こうなると、国王であるシェイドの耳に、届くようになってしまう。


 彼は騎士団を引き連れて、教会に乗り込んだ。

 この時点で、教会関係者の悪行は随分と広まっており、信者の数も目減りしていたので、国が割れる心配はなくなっていた。


「ニラーシャっ!! もうやめてくれ!! お願いだから、もう……っ!!」


「あら……? 貴方はシェイド? 年を取って、醜くなったわね」


 単純な加齢と政務の忙しさで、シェイドは随分と老け込んでしまった。

 それでも、醜いと言われるほどではなかったが、ニラーシャの感性からすれば許容出来ない。


「もう、駄目なのか……!? 終わりにするしか、ないのか……!?」


「そう、貴方は終わり。醜い貴方はいらない。私には、美しいモノだけがあればいい」


 ニラーシャは信者の数を著しく減らしていたので、【信仰布武】の恩恵が激減していた。

 対して、シェイドは高レベルの剣士のままだ。肉体的には衰えたが、培った経験と取得したスキルは、未だに健在である。


 夜の大聖堂で始まった二人の戦い。

 これは、シェイドに軍配が上がるはずだった──が、しかし、彼はここぞというタイミングで、ニラーシャを斬れなかった。


「無理だ……。オレには、殺せない……」


「あははははははははははっ!! そうだよねぇ!! 世界で一番美しい私は、殺せないよねええええええええええ!!」


 ニラーシャは喜色に満ちた醜悪な笑みを浮かべて、渇きの短剣でシェイドの胸を刺す。

 笑って刺して、笑って刺して、笑って刺して──いつの間にか、涙が零れて、それでも笑って、刺し続けた。

 どうして自分が泣いているのか、分からない。それでも、シェイドが死ぬまで、ニラーシャは笑って刺し続けた。


 今際の際で、シェイドは美しい銀色の刃を眺めながら、ふと考える。

 ニラーシャがおかしくなったのは、この短剣が原因だったのかもしれない。




 シェイドが事切れてから、ニラーシャが不意に、こちらを振り向いた。

 ……待って。こちら? それは、誰を見ているの?


「それを寄こせぇ……ッ!! その若さを私に寄こせえええええぇぇぇぇッ!!」


 ニラーシャがこちらに手を伸ばしながら、嫉妬に狂った声色で叫んだ。

 ……ああ、私か。彼女は私を見ている。そう自覚した瞬間に、アーシャこと私は、悲劇の舞台に立っていた。

 私はニラーシャを真っ直ぐ見つめて、同情しながら口を開く。


「私の若さは、あげられないけど……その代わりに、貴方を若返らせてあげる」


 現実のニラーシャはゾンビになっているけど、ここは夢の中だよね。

 私は臆することなく、自分なら出来ると信じて、【再生の祈り】を使った。

 悲劇の舞台を後光で照らしながら、女神アーシャが宙に現れて、ニラーシャを慈しむように抱き締める。


「嗚呼……っ、ああああああ……」


 神々しくも優しい光に、ニラーシャが包み込まれた。

 彼女の姿は、徐々に若返り──生まれ故郷の村を出る前の、シェイドが一目惚れした美少女の姿に、戻ったよ。


 その姿をもう一度だけ、シェイドにも見せてあげたかった。

 残念だけど、これは夢だ。過去は変えられない。

 悲劇は実際に起こったことで、当事者たちは誰も救われないまま、死んでいる。


 一抹の虚しさを抱きながら、私の意識は徐々に薄れて──


「ありがとう。本当に、ありがとう」


 最後に、ニラーシャの感謝の言葉が聞こえて、心が少しだけ軽くなった。

 その途端に、私の瞳から涙が零れる。抑え付けていた感情が、堰を切ったように溢れてしまう。


「ごめん、なさい……っ」


 サウスモニカの街が滅んだのは、私が悪いんだ。

 スキルオーブを盗むべきじゃなかった。

 ロバートさんを見殺しにするべきじゃなかった。

 ドラゴンの討伐後に、ルチア様との話し合いを袖にするべきじゃなかった。


 ──ああ、そうだ。するべきじゃなかったと言えば、もう一つ。


 ルークスに、渇きの短剣を渡すべきじゃ、なかった。

 

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