第195話 ニラーシャ
──七百年前。まだアクアヘイム王国が存在せず、その土地がダークガルド帝国の一部だった頃。
美しい湿地帯と草原に囲まれた農村で、ニラーシャは村長の娘として生まれ育った。
彼女は黒髪黒目の溌剌とした女の子で、誰もが見惚れる愛らしさを持っており、将来は国を傾けるほどの美女になると、村中が噂していた。
村の若い男たちは、いつかニラーシャを娶りたいと、挙って考えていたが……当人は齢六つで、自分の将来の夢を語る。
「あのねっ、私ねっ、将来は冒険者になりたいの!」
好奇心旺盛なニラーシャにとって、この村は狭すぎた。
村の男たちは大反対したが、彼女の決意は固い。
話し合いは何日にも亘って繰り返され──結局、全ては職業選択の結果次第だと、結論付けられた。
そうして、あっという間に職業選択の日。
役人が運んできた神聖結晶に、ニラーシャが少し緊張しながら触れると、そこには『聖女』という職業だけが浮かび上がった。
この時点では、有名でもなんでもない職業であったため、誰もが首を傾げてしまう。
「聖女……? 一体どんな職業なんだ?」
「珍しい職業は、レベルの上げ方も一癖あるぞ。冒険者になるのは、難しいんじゃないか?」
「ニラーシャ、冒険者になるのは諦めるんだ。お前は花嫁修業をして、村の男の誰かと結婚しなさい」
村人たちは、ニラーシャを村に留めようと言葉を尽くした。
しかし、彼女は頑として冒険者になる夢を諦めない。
とは言え、レベル上げの方法が分からないと、魔物が蔓延る世界を冒険するなんて、夢のまた夢だ。
ちなみに、ニラーシャが取得した初期の職業スキルは、【浄化】だった。
汚いものを消し去る魔法だが、これを幾ら使っても、聖女のレベルは上がらない。
そこら中に生息しているクリアスライムが、全く同じスキルを持っていることもあり、ニラーシャは盛大に落胆した。
この日から、彼女はなんとかレベルを上げるべく、様々なことを試し始める。
木の棒を振り回してみるとか、一日中踊ってみるとか、手を使わずに食事をとってみるとか……。
恥も外聞も投げ捨てて、毎日のように奇行を繰り返し──十年後。
十六歳になったニラーシャの職業レベルは、未だに1のままだった。
「あああああああああっ!! もおおおおおおおおおおおっ!! どうしてレベルが上がらないのおおおおおおおおおっ!?」
ニラーシャは頭を抱えながら、麦畑の真ん中で叫び出す。
愛らしい幼女は、美しい少女へと羽化しているが、まだまだ心は昔のままで、冒険者になる夢を捨てられずにいた。
十年も経つと、もう試せる奇行なんて殆どなくなっていたが、この日は『全裸で過ごす』という奇行を思い付いたため、即座に実行。
やけくそになって、朝から堂々とモラルを投げ捨てた次第である。
しかし、夕方になってステホを確認しても、レベルは上がっていなかった。
すっかり気落ちして、ニラーシャが家に帰ろうとしたところで、不意に見知らぬ少年と出くわす。
「うわぁ……っ、め、女神様……?」
初心な少年は、夕日を浴びる全裸のニラーシャを見つめて、余りの美しさに信仰心を抱いてしまった。
この少年の名前は、シェイド。ニラーシャと同年代で、亜麻色の髪と瞳を持つ銀級冒険者だ。
彼こそが、後のアクアヘイム王国の初代国王であり、ニラーシャの運命の相手だった。
「キミは誰? 村の人じゃないよね?」
「あ、ああっ、オレは銀級冒険者のシェイド! 田畑を荒らす魔物の討伐依頼を受けて、この村に来たんだ」
シェイドは腰に佩いている剣をポンポンと叩いて、自分が剣士であることをアピールする。
「銀級!? えっ、えっ、凄い凄い!! 冒険のお話っ、聞かせてよ!!」
ニラーシャはシェイドの手を取って、自分の家に案内した。
彼女の両親は、全裸の娘が見知らぬ男を家に連れ込んだので、泡を吹いて卒倒してしまう。
そんなことはお構いなしに、ニラーシャはシェイドから冒険の話を聞かせて貰い、すっかりと彼のことを気に入ってしまった。
シェイドも彼女に一目惚れしていたので、二人は意気投合して、健全な一夜を共に過ごす。
──翌日になって、シェイドが魔物を討伐するために森へ入ろうとしたら、ニラーシャが追い掛けてきた。
「シェイドっ、私も連れて行って!!」
「歓迎したいところだけど、ニラーシャはレベル1なんだろ? 危ないぞ?」
田畑を荒らしている魔物は、角が生えた兎か猪の魔物なので、シェイドにとっては大した敵ではない。
ニラーシャを守りながら戦っても、問題ないだろうと思える程度の魔物だ。
しかし、それが忠告をしない理由にはならない。
シェイドの忠告を聞いたニラーシャは、ニヤリとほくそ笑んでステホを取り出す。
「これを見て!! 私のレベルっ、上がったんだよ!!」
どういう訳か、十年間も上がらなかった聖女のレベルが、2になっていた。
昨晩の内に、シェイドはニラーシャの職業事情を聞いていたので、素直に祝福する。
「おおーっ、おめでとう! レベルを上げる方法が、分かったってことか?」
「ううん、それは分からないまま……。でもっ、シェイドと出会ってから上がったことは、間違いないの! だからっ、私は貴方と一緒に冒険がしたい!! お願いっ、私の仲間になって!!」
実力差があるとか、足手纏いになるとか、シェイドはそんなこと、一切考えられなかった。
意中の相手に必要とされたら、男の子が首を横に振るのは難しい。
こうして、二人は冒険者パーティーを結成するに至った。
田畑を荒らす魔物の討伐は、なんの問題もなく終わらせて──その後、ニラーシャは村人たちの反対を押し切り、シェイドと一緒に村から旅立つ。
彼女は僅か半年で、冒険者として様々な出来事を経験した。
その最中、聖女のレベルを上げる方法も判明する。
それは、信仰心を集めることだった。困っている人を颯爽と助ければ、美少女であるニラーシャを崇める人は少なくない。
冒険者になってから一年が経過して、ニラーシャはようやくレベル10に到達した。
新しいスキル【再生の祈り】を取得したおかげで、冒険の幅が大きく広がり、二人は難しいダンジョンへと挑み始める。
「──ニラーシャっ、支援を頼む!!」
「うんっ、任せて!!」
ニラーシャに【再生の祈り】を使って貰って、シェイドは美しい蝶の魔物を屠っていった。
敵は風の刃を飛ばしてくるが、再生状態のバフ効果があれば、防御は殆ど必要ない。
戦闘が終わった後、シェイドは無傷なままの自分の身体を見下ろして、しみじみと呟く。
「ニラーシャの新しいスキル、本当に凄いな……」
「過信しないでよ? 即死するような攻撃は、絶対に貰わないこと!」
「はははっ、分かってるって!」
シェイドが朗らかに笑って、ドロップアイテムを回収していると──地面の一部が、少しだけ変色していることに気が付いた。
大抵の場合、こういうのは落とし穴がある証拠だ。
放置すると、誰かが引っ掛かるかもしれないので、発見した際は上蓋を取り除くのが、冒険者たちのマナーになっている。
剣で突いて上蓋を崩すと、それは確かに落とし穴だったが──底には、銀色に光る宝箱が置いてあった。
「き、キターーーッ!! シェイドっ、やったね!! 宝箱っ、宝箱だよ!! これぞ冒険の醍醐味っ!!」
「待て待て、二重の罠かもしれないぞ。ニラーシャは離れてくれ。オレが引き上げる」
シェイドはニラーシャを下がらせて、一人で宝箱を引き上げ、罠がないか精査しながら慎重に開ける。
──中に入っていたお宝は、一本の短剣だった。
その刃は銀色に輝いており、ゾッとするほど美しい。両刃で刃渡りは十五センチ程度。柄は赤黒くて禍々しく、刃の美しさと見比べると、余りにも醜い。
ステホで撮影してみると、『未登録』と表示された。どんな効果を持っているのかも、分からない。
「オレは短剣なんて、使わないな……。これは売るか?」
「えーっ、初めてのお宝だし、記念に取っておこうよ! シェイドが使わないなら、私が使うから!」
こうして、名も無き短剣は、ニラーシャの手に渡った。
彼女はこれを使っている最中、刃が血液を吸収して、耐久度が回復するという効果に気付く。
だから、『渇きの短剣』と命名して、その効果をステホに登録した。
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