第176話 リヒト

 

 ──リヒトくんは屋根の上で、膝を抱えて座り込みながら、静かに星空を見上げていた。

 その後ろ姿からは哀愁が漂っていて、なんだか声を掛け難い。

 私はティラを影の中に戻して、リヒトくんを驚かせないように、軽く足音を立てながら歩み寄る。


「…………」


 リヒトくんは私の存在に、気が付いていると思うけど……振り向くこともなければ、口を開くこともなかった。

 今夜は寒くないのに、彼の肩が少しだけ震えている。


 もしかしたら、泣いているのかもしれない。

 他人に涙を見られたい男の子なんて、どこにもいないよね……。

 何も見なかったことにして、立ち去るべきかな……? いやでも、一人にするのは心配だし、どうしたものか。


「…………」


 とりあえず、私も沈黙を保ったまま、リヒトくんの斜め後ろに座ってみる。

 春の夜風が、そっと頬を撫でた。お風呂上がりの火照った身体に、とても心地よい。

 何を語るでもなく、二人で星を見上げていると──数分が経過してから、リヒトくんがゆっくりと口を開く。


「アーシャ……。人は、死んでしまったら、どこへ行くのだ……?」


 その質問に対する答えは、十人十色だと思う。

 『天国か地獄へ行く』と答える人もいれば、『お星さまになる』と答える人もいるよね。

 私の場合は、実体験に基づく答えを出せる。


「転生して、来世へ行くんだよ。真っ新な頭と心で、一から人生をやり直すの」


 リヒトくんは私の答えを聞いて、少しだけこっちに身体を寄せてきた。この話、もっと聞きたいのかな?


「うぬぅ……。我の父上、死んじゃったのだ……。父上も、今頃どこかで、人生をやり直しているのだろうか……?」


「うん、そうだよ。どこの誰になっているのかも分からないし、別の世界で生まれた可能性もあるけど」


 転生というのは、私だけに起こった特殊な事象かもしれない。

 でも、私はツヴァイス殿下が転生していると、確証もなく言い切った。そう信じた方が、救いがあると思ったんだ。

 リヒトくんは『別の世界』と聞いて、悔しそうに歯噛みする。


「ぐぬぬ……っ、もう一度、父上と会いたいのだが……別の世界では、どうやっても会えぬのだ……」


「もう一度会って、どうしたいの?」


「それは……分からぬ……。我と父上は、あんまりお喋りもしなかったから……」


 ツヴァイス殿下とリヒトくんの間には、親子の情というものが欠如していた。

 殿下は誰かに愛されたことも、誰かを愛したこともないって、そう言っていたんだ。親という役割も、義務感だけでやっている風だった。


 そんな接し方をされていたリヒトくんが、父親と再び会いたがっている理由は、よく分からない。それと、泣いていた理由も分からないよ。

 彼自身、どうやって自分の気持ちを言語化しようか、悩んでいるみたい。


「うーん……。リヒトくんにとって、ツヴァイス殿下はどういう人だったの?」


「どう……? それは難しい質問なのだ……。強いて言えば、逆らえない人……?」


「なるほど……。好きとか嫌いとか、そういう気持ちは抱かなかった?」


 リヒトくんは私の質問に対して、困惑気味に自分の胸の内を吐露する。


「好きなのか、嫌いなのか、自分でもよく分からぬ……」


「そっか……。それくらい、関係が薄かったんだね……」


「うぬ……。我は父上が死んだと聞いても、悲しくなかったのだ。無論、嬉しいということも、なかったのだが……」


「それなら、どうして泣いて──ああいやっ、男の子は泣いたりしないよね! 大丈夫っ、リヒトくんは泣いてないよ! ごめんね!」


 口を滑らせた私は、あわあわしながら前言を撤回した。

 すると、リヒトくんは肩を縮めて、しゅんとしてしまう。


「そんなに気を遣われると、却って恥ずかしくなるのだぞ……?」


「うっ、ご、ごめんね……」


 私もしゅんとして、二人の間にしばらく沈黙が横たわる。

 それから、少しだけ夜風が冷たくなったところで、リヒトくんがごしごしと目元を拭い、泣いていた理由を教えてくれた。


「──父上が、死んじゃったのに、悲しくない。その事実が、どうしようもなく、悲しかったのだ」


 親子の情を育みたい。それが、リヒトくんがツヴァイス殿下と、もう一度会いたい理由なのかな……。

 残念だけど、その望みが叶うことは、ないと思う。死で別たれたという事実は、そう簡単には引っ繰り返らないよ。

 リヒトくんには後ろじゃなくて、前を向いて貰いたいので、遠い未来の話をしよう。


「いつか、リヒトくんがお父さんになる日が来たら、子供とはきちんと向き合ってあげようね」


「お父さん……? 我も、父親になる日が、来るのであろうか……?」


「好きな人と結婚して、子供が出来たら、その日からお父さんだよ」


 リヒトくんはイケメンだから、十年と経たずに恋人を作りそうだし、そこから五年くらいで結婚するかも。

 そして、結婚式に呼ばれる独身の私……。

 友達はみんな、もう結婚済みで、フィオナちゃんに至っては子供まで──あっ、不味い。この妄想は、正気度が下がっちゃうやつだ。やめよう。


 頭を振って、恐ろしい妄想を脳内から追い出す。そんな私の隣で、リヒトくんは手袋を嵌めている右手を見つめながら、高笑いを始めた。


「ナハハハハハハッ!! 我には魔人の右手があるからっ、結婚はしないのだ!! この呪われた宿命は、我の代で終わらせねばならぬ!!」


「呪い……? あっ、そうだった! 忘れてたよ!」


 リヒトくんは中二病を患っているけど、彼の右手が呪われているのは真実なんだ。


 その昔、アクアヘイム王国の王様が、聖女の墓標の裏ボスに挑んで、敗走してしまった。

 当時の王様は、『身体の一部が急速に老ける』という、末代まで引き継がれる状態異常を持ち帰ったとか……。それが、王族を蝕んでいる呪いの正体だよ。


 リヒトくんにも引き継がれているので、さっさと治してあげよう。

 私は特殊効果をオンにした状態で、【再生の祈り】を使った。

 このスキルには【他力本願】の影響で、若返りという特殊効果が追加されているんだ。これによって、老化の呪いを打ち消すことが出来る。


「ぬおおおおおおおおおっ!? め、女神ぃ!? まさかっ、邪神との最終決戦が始まるから、伝説の勇者の末裔である我の力を借りようと、お迎えに……!?」


 私の十五年後の姿を思わせる女性が、純白の羽衣を纏っている状態で、ふわりと宙に出現した。

 彼女には神々しい後光が差しているので、なんだか女神っぽい。

 そんな訳で、私は『女神アーシャ』って呼んでいるけど……ただのスキル演出だから、御大層なものじゃないよ。


「さぁっ、リヒトくんの呪いを治してあげて!」


 私は彼の右手を掴んで、女神アーシャの前に突き出した。

 すると、彼女は綺麗な微笑みを浮かべて、呪われた右手に優しい光を浴びせる。


「こ、この光は……っ!? 我の内に秘められし力を覚醒させるための光!?」


「違うよ。呪いを治すための光、なんだけど……どうかな? 治った?」


「うぬぅ……? この呪いは、治るようなものでは……な、なぁ──ッ!?」


 リヒトくんは右手を軽く動かして、今までとは違う感覚に目を見開き、恐る恐る手袋を外した。

 隠されていたのは、年相応の綺麗な右手だったよ。以前の状態を見たことがない私は、どう反応したらいいのか分からない。


 ──この後、感極まってギャン泣きしたリヒトくんを慰めながら、私は彼のステホを見せて貰った。


 リヒト 雷の魔法使い(1)

 スキル 【雷撃】


 スイミィちゃんのステホを見たばっかりなので、大分インパクトに欠けるけど、これが普通だよ。

 スキル【雷撃】とは、手のひらから雷を放つ攻撃魔法だった。高火力で即時命中という長所と、燃費が悪いという短所がある。

 現時点でのリヒトくんは、魔法を連発出来ないので、レベルアップが遅いかもしれない。


 スイミィちゃんが敵を水で濡らせば、リヒトくんの雷で感電させられる。これが、二軍の必勝パターンになりそう。

 結界師のイーシャと、狩人のミケが、二軍に加わるから……足りないのは前衛かな。


 私の本体の護衛から、ティラとブロ丸を外すつもりはないので、二軍に派遣出来る前衛の従魔がいない。ここは一匹、新しい魔物をテイムしよう。

 私がそう決めたところで、隣から静かな寝息が聞こえてきた。


「あれ……? リヒトくん、眠っちゃったの?」


「むにゃむにゃ……。うぬぅ……」


 きっと、泣き疲れちゃったんだね。

 よしよし、とリヒトくんの頭を撫でて、私は彼を部屋まで送り届けた。

 男子たちの部屋割りは、ルークスとトールが相部屋。ニュートとシュヴァインくんが相部屋。ミケとリヒトくんが、それぞれ一部屋ずつになっていたよ。

 公平に、くじ引きで決めたらしい。


「ふぅ……。寝る前に、もう一仕事しないと」


 私は自分の部屋に戻って、ホッと一息吐く。

 お屋敷の自室は、雑貨屋の二階にある自室よりも広くて、少し落ち着かない。

 とりあえず、この部屋にテツ丸を召喚して、進化させる準備を始めよう。


 この子はアイアンボールという、鉄の球体の魔物だよ。大きさは二メートルで、物理防御に特化している。

 普段はスキル【変形】を使って、盾の形状になって貰い、シュヴァインくんに貸し出しているんだ。


 盾としての適切な動きを学び終えたら、テツ丸は私の護衛にするつもりだった。

 けど、いつの間にか、一軍にいるのが当たり前の存在となっていたので、このまま一軍に貸し出しておこう。

 滅多に冒険に参加しない私の代わりに、みんなを助けてあげて欲しい。


「テツ丸、これを食べて」


 私はスラ丸の中から、鋼のインゴットを次々と取り出した。鉄よりも硬くて高価だけど、同じ量の銀よりは安価な代物だよ。

 テツ丸の進化条件を満たすために、鍛冶屋を回って買っておいたんだ。

 体積よりも多くの鋼を食べさせた後、今度は土の魔石も食べさせて、いざ就寝!


 新調したベッドに入って、睡魔に身を委ねる。

 そして、意識が沈むと──私は暗闇に浮かぶ道の上に、ぽつんと立っていた。

 今回は道の数が二本で、看板には『スチールボール』『スチールブレイン』と書いてある。


「スチールボールは予定通りだけど、スチールブレインってなんだろう……?」


 私が疑問に思うのと同時に、手元にステホが出てきたので、看板を撮影してみる。


 『スチールボール』──宙に浮かぶ鋼の球体の魔物で、大量の鋼を食べると現れる進化先。

 図書館で調べた情報によると、スキル【堅牢】を取得するらしい。

 シンプルかつ強力な、防御力が上がるスキルだね。


 『スチールブレイン』──子機を操る鋼の頭脳の魔物で、多種多様な戦闘経験があると現れる進化先。大量の鋼を食べている必要もある。

 この魔物に関する情報は、図書館でも見たことがない。

 ルークスたちの冒険と修行に付き合って、テツ丸は色々なシチュエーションで戦っていたから、その甲斐があって進化条件を満たしたんだ。

 

「うーん……。今後もシュヴァインくんの盾として使うなら、スチールボールの方がよさそうだけど……」


 未知の進化先って、ワクワクするよね。

 シュヴァインくんの盾は新調すればいいし、スチールブレインが微妙な魔物だったら、【従魔縮小】に追加されている特殊効果で、退化させることも出来る。


「──よしっ、テツ丸! スチールブレインに進化して!」

 

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