第166話 アインスという男

 

 ノースモニカ侯爵の裏切り。その事件の真相を探るべく、スラ丸は更に城内を徘徊する。

 そうして、最終的に辿り着いた場所は、広々とした会議室だった。

 ツヴァイス殿下はここで、親衛隊に守られながら、待機していたんだ。


「ツヴァイス殿下、ご無事で何よりですぞ。助けに参りました」


 内乱が始まってから、少し時間が経過した頃、ノースモニカ侯爵は自らの精鋭部隊を引き連れて、ツヴァイス殿下に会いに来ていた。

 まだ、裏切りが発覚していないタイミングだね。


「お早い到着ですね、ノースモニカ侯爵。驚きましたよ」


「なんのなんの。まだまだ若い者らには、負けませんとも」


 ノースモニカ侯爵は朗らかな笑みを浮かべて、ツヴァイス殿下に近付いていく。

 殿下も親衛隊の面々も、侯爵が裏切るとは思っていないみたいで、特に邪魔をすることはなかった。


 そして──突然、侯爵が土属性の魔力を漲らせ、手のひらから灰色の粉塵を噴射する。


「「「な──ッ!?」」」 


 驚愕したツヴァイス殿下と親衛隊の面々が、灰色の粉塵に飲み込まれてしまう。

 すぐに親衛隊の誰かが、風の魔法を使って、粉塵を散らしたけど……彼らの身体は、所々が石化していた。

 動きが鈍くなった彼らに、王国北部の精鋭部隊が襲い掛かる。


 親衛隊は奮戦するも、石化の状態異常に足を引っ張られて、一人、また一人と討ち取られていった。

 ツヴァイス殿下は雷の魔法で応戦したけど、ノースモニカ侯爵が土の魔法を使って、悉く相殺していく。

 彼は年相応の、熟達した土の魔導士だったみたい。


 二人が互角にやり合っている間、殿下の親衛隊は侯爵の精鋭部隊に全滅させられて、後は多勢に無勢。

 殿下はあっという間に、捕らえられてしまった。

 最初の石化魔法による不意打ちがなければ、結果は違っていたかもしれない。


「ノースモニカ侯爵……。どうして裏切ったのか、お聞きしても?」


「…………」


「愚兄では、この国を発展させることも、守ることも出来ません。貴方は、それを理解しているはずだ。何十年も王国を守り続けてきた貴方が、何故……今になって……」

 

 ツヴァイス殿下の疑問に、ノースモニカ侯爵は暫し沈黙した後、哀しそうな表情で答える。


「愛する息子たちを失った、儂の気持ち……。ツヴァイス殿下は、それを理解しては下さらなかった……」


「気持ち……? 貴方が悲しんでいることは、重々承知していますが……」


「……失礼ですが、殿下は愛をご存知か?」


 侯爵からの質問に対して、ツヴァイス殿下は困惑しながら、しばらく押し黙ってしまう。

 私は以前に聞いたことがあるけど、殿下は呪いが原因で、親にも妻にも愛して貰えなかったらしい。だから、愛を知らないと言っていた。

 でも、心境の変化があったみたい。


「…………最近になって、ワタシはとある人物に、特別な感情を抱くようになりました。初めての経験なので、これが愛情だと断言は出来ませんが、もしかしたら……」


 その人物とは、きっとバリィさんのことだと思う。

 四六時中、彼に護衛して貰っていたはずだから、親愛の情が芽生えても不思議じゃない。

 暇なときに冒険の話を聞かせて貰ったり、自分の愚痴や弱音を聞いて貰ったり、そうやって親しくなったんだろうね。


「ならば、その人物が誰かに殺されたら、殿下はどう思われますかな?」


「それは……っ、ああ、そうか……。貴方は、王国の未来など、もう考えていなかったのか……」


 愛する人を誰かに殺されたら、当然のように悲しみ──そして、憎悪する。

 ノースモニカ侯爵が皆まで言わずとも、ツヴァイス殿下は彼の心情を理解した。

 侯爵はそれを肯定するように、瞳を淀ませながら深々と頷く。


「儂はもう、帝国が憎くて憎くて、堪らんのです……。より多く、帝国の蛆虫どもを殺せる側に付くと、最初から決めておりました……」


 ツヴァイス殿下は極大魔法の鍵を持っているので、大勢の帝国の人間を屠れるはずだった。けど、ルチア様と同盟を結んだから、彼が帝国に与えた被害は軽微で終わったんだ。

 それに比べて、アインスはどうだったのか……。帝国南部の惨状を思い返せば、考えるまでもないよね。


 私はスラ丸の視点で、引き続き過去の様子を覗き見する。




 ──ツヴァイス殿下がノースモニカ侯爵に拘束された後、しばらく経ってから、アインスが会議室にやって来た。

 彼は得意げな表情で、第一王子派の重鎮たちを引き連れているよ。

 その集団の中には、アムネジアさんの姿もあった。

 狐目白髪長身猫背で、中性的かつ胡散臭いという、キャラが濃い宮廷魔導士の人だ。


 床に転がされているツヴァイス殿下は、冷めた目でアインスを睨む。


「兄上……。やってくれましたね……」


「ああ、やってやったぞ。吾の勝ちだ」


 アインスは喜色満面の笑みを浮かべて、ツヴァイス殿下を見下ろした。

 嘸かしご満悦なのだろうと、誰が見ても分かるほど、表情がだらしなく緩んでいる。


「愚かな貴方に、一国は治められない。アクアヘイム王国を亡ぼすおつもりですか?」


 ツヴァイス殿下は見下ろされている立場で、しかも丁寧な口調なのに、その言葉はアインスを見下すものだった。

 アインスはこれに対して、特に不快感を示すこともなく、失笑する。


「賢き弟よ、吾は国のことなど考えていない。そんなことは、今の今まで、一度たりとも考えたことがなーい」


「なんだと……? 王になるつもりは、ないのですか……?」


 ツヴァイス殿下が理解出来ないと言った様子で顔を顰めると、アインスは下卑た笑みを浮かべた。


「いーや、王にはなる。毎日朝から晩まで、酒池肉林の宴を行うためにな」


「は……? 国政を考えずに、宴……? なんと愚かな……。想像を絶するほど愚かな兄だと、再認識しましたよ……」


「吾が愚かだということは、お前に指摘されるまでもなく、心底理解しているぞ。この場に吾よりも愚かな者など、存在しないと断言しよう」


 アインスはそう言い切って、ぐるりと周囲を見回し、この場にいる者たちと一人ずつ目を合わせていく。

 第一王子派の面々は等しく頭を垂れて、彼に恭順の意を示した。

 それを満足げに眺めた後、アインスは『だがな──』と言葉を続ける。


「弟よ。吾は、不幸ではないのだ。分かるかー?」


「貴方は、何が言いたいのですか……?」


「お前は賢いからこそ、未来を憂いて不幸になる。吾は愚かだからこそ、未来など気にせず幸せになれる。人生とは、刹那の幸福の連続であるべきなのだ。吾は愚かだが、憐れではない。お前は賢いが、とても憐れだ」


 だから、自分の勝ちなのだと、アインスは得意げに語った。

 誰が聴いても分かる。こんなの、愚者の暴論だよ。


「その在り方は、必ず不幸を招き寄せる……。貴方に頭を垂れている者たちが、下を向きながらどんな顔をしているのか、分からないのですか?」


 ツヴァイス殿下は怒りを滲ませながら、アインスに問い掛けた。

 第一王子派の面々は頭を垂れながら、欲望が煮え滾っているような顔をしているよ。富や権力など、欲しいものが色々あるんだと思う。

 それらは、賢いツヴァイス殿下が王様になると、手に入らないものなんだろうね。


 アインスは心底どうでもよさそうに、ツヴァイス殿下の問い掛けを鼻で嗤う。


「ふん。他人がどうであろうと、吾は今が幸せなら、それで満足なのだ。明日のことなど知らんし、ましてや何年も先のことなど、知る由もなーい」


「…………貴方とは、徹頭徹尾、分かり合えそうにありませんね」


「愚かな兄で、すまんな。賢き弟よ」


 謝っているけど、悪びれている様子はない。そんなアインスが、ツヴァイス殿下の髪を引っ張り、首を刎ねやすくするために座らせた。

 いよいよ殺されてしまう。その瞬間が間近に迫ってきたところで、ツヴァイス殿下の顔の右半分を隠していた仮面が、乾いた音を立てて床に落ちる。


 以前まで、その仮面の下にある顔は、呪いが原因で年老いていたらしい。けど、今は綺麗なご尊顔になっているよ。

 これを見たアインスは、長々と硬直して──失望したように、深い溜息を吐いた。


「……賢き弟、というのは訂正しよう。お前も存外、愚かだったのだな」


「…………」


 ツヴァイス殿下が沈黙を貫くと、アインスは滔々と語る。


「吾も子供の頃は、未来に思いを馳せられる人間であった。昔から頭の出来は悪かったが……あの頃はまだ、他人に誇れるものがあったのだ」


 徐に、アインスは左手で剣を握り、ぎこちない動作で素振りを行った。

 なんとなく、利き腕ではなさそうだと感じたけど、彼の右腕は失われているんだ。

 誰とも言葉のキャッチボールが出来ていないのに、アインスはまだまだ語る。


「吾には、剣術の才能があった。吾が唯一持っていた才能だ。剣を振るうことは楽しかった。それだけが楽しみだった。この剣で、どこまでいけるのか……。幼い頃は、それが楽しみで仕方なかった」


 彼は『しかしッ!!』と声を荒げて、ツヴァイス殿下の顔を斬り付ける。

 即死じゃないけど、誰がどう見ても大怪我だ。

 アインスはお構いなしに喚き散らしながら、ツヴァイス殿下の身体まで斬り付けていく。


「吾の利き腕は、呪われていた!! 右腕だけが急速に成長し、そして急速に老化し、十歳の頃には枯れ枝のようになってしまったのだ!!」


 それは、この国の昔の王様が、聖女の墓標の裏ボスに挑んだ際に、持ち帰ってしまった呪い。

 末代まで伝染する状態異常で、身体の一部が急速に老化してしまうというもの。

 生まれたときから、ツヴァイス殿下は顔の右半分が、アインスは右腕が呪われていたんだ。


 虫の息になったツヴァイス殿下を見下ろしながら、アインスは静かに感情を引っ込めて、再び深々と溜息を吐く。


「はぁー……。数多くの才能を持って生まれたお前には、分かるまいな……。たった一つの才能しか持たず、それを失った者の気持ちなど」


「…………」


 ツヴァイス殿下は、何も語らない。

 ここで、アインスが驚くべき情報を口にする。


「吾は言ったはずだな? お前が緑色の上級ポーションを手に入れたとき、それを吾に譲れば、吾は玉座をお前に譲ると。審問官まで立ち会わせて、吾は本音をお前に伝えたのだ」


 緑色の上級ポーションは、どんな状態異常でも治してくれる。

 アインスはツヴァイス殿下がそれを手に入れて、自分で使ったのだと勘違いしたらしい。

 本当は、私のスキル【再生の祈り】を使って、治したんだけど……そっか、ツヴァイス殿下は私を売らなかったんだ。


「赤色の上級ポーションは、既に手元にあるのだ。人並みの右腕を取り戻せれば、吾は剣の道を邁進しようと思っていた。これは嘘ではない」


 呪われている状態で、赤色の上級ポーションを使っても、老化した右腕が生えてくるだけなのかな……。

 なんにしても、アインスが嘘を吐いているようには、感じられない。

 発言の真偽が分かる審問官まで立ち会わせて、ツヴァイス殿下と約束したみたいだし、きっと本当のことを話しているよね。


「結局、お前は吾に、何一つとして譲る気がなかったのだな……」


 最期に、アインスは哀しそうな呟きを漏らして、剣を振り上げた。


「──さらばだ、愚かな弟よ」

 

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